19-8 獣人の国カーハと蟻の群れ
・正真正銘のモグラ
俺たちはア・ジール帝国跡地に戻ると、その南部に存在する獣の地下隧道を進んだ。
こちら側は比較的落盤が少ない。俺は白狼のヤシュと黒角のシグルーンが乗る台車を引きながら、快速で地下道を進んだ。
崩落部は稀だが、俺でなければ修復困難な大規模なものが多い。黙々と進み、黙々と補修して、台車の上でいびきを上げる白狼と鬼を運んだ。
かくして長旅の果てに俺たちは獣人の国カーハに到着した。
地下世界では日数の経過など把握しようがないからな、経過日数はよくわからん。
感覚で言えば、思っていたより早く着いてくれて助かった。
『なぜそんなにキャラルの顔を見たくなるのか。そなたは考えたことはあるか?』
「さあな。わからんが、不思議と飽きない顔だと思うぞ」
獣人の国カーハには、沿海州の港であるポートアケも存在している。つまり邪竜の書のオーダーを達成すると同時に、ここでキャラルを待ち伏せして脅かすこともできる。
さらには船に乗せてもらって、楽して国に戻ることもできるという算段だ。
『我が輩にはそこまで面白い顔には見えんな。もういい、さっさとカーハ王に会って仕事を済ませろ……』
先祖は古い祠に繋いだようだ。そこを抜けて地上に出ると、そこは森の中だった。
いや、密林と言い直すべきだろう。図鑑でしか見たことがなかった南国の樹木が立ち並び、信じられないほどに蒸し暑かった。
「よーしっ、脱ぐかっ!」
「シグルーン様はそれ以上脱いだら、変態になっちゃうワンッ!」
「ああ、俺も変態を連れて歩く気にはならん。脱ぐのは構わんが、仲間と思われない距離を保ってもらうぞ」
シグルーンが脱ぐと言い出す前に、俺はヤツを抱えて台車に乗せた。
ヤシュもちょこんと搭乗してくれたので、俺は台車をつかんで木々に飲まれた空を見上げる。
幸いなことに、祠の前には一本の道が通っている。俺は迷わずに西への道を進んだ。
「あ、あの、アシュレイ様……これって方角とか合ってるワンッ!?」
「ああ、あっちが南でこっちが西だ」
「まあ迷うよりは進む方が早いぞ! 間違ってたら引き返せばいいしなぁっ!」
邪竜の書がくれた方向感覚スキルの力だ。地味といえば地味だが、俺のようなモグラ男には理想的な能力だった。
南国の森が融けるように流れゆき、道をひた進む。西にさえ進めば、王都にたどり着けなくとも、流通の要所であるポートアケには行き着くだろう。
だが残念なことに、しばらく爆走すると森が開けて平野の彼方に外壁を持つ都が現れた。
「赤い壁! あれが王都だキャンッ!」
「はははっ、キャラルの現れる港の方じゃなくて残念だったなぁ、シンザ! ……ん、なんだアレは?」
「どれのことだ? む……何かいるな」
「二人とも目が良いにもほどがあるキャンッ!」
レンズを外してもう一度、彼方にある黒い何かを確認した。
黒い点がいくつもうごめき、それがカーハ王都の城壁に向かって進んでいる。さらには門の向こう側から人がぞろぞろと現れて……。
「わはははははっっ! 喜べシンザッ、あれは戦闘だぞぉっ♪」
「ちょ、ちょっと待つキャンッ!? 戦争なんて困るキャンッ、アシュレイ様、みんなを助けて!」
「言われるまでもない。それにどうやら片方は人ではなさそうだ、気兼ねせずに暴れられるな」
再び台車を引いて走った。少しずつ少しずつ風景が鮮明になってゆく。
ここは獣人の国だ。竜の目のままでも構わんだろうと、俺はレンズを戻さずに視力を保持した。するとようやく正体が分かった。
「アリだーッッ!! スコ男よッ、あれはアビスアントだっ! 人をも食い散らす最低の怪物だぞぉ♪」
「そ、そんな……みんなが食べられちゃうキャンッ!」
「数が多いな……。だが、なぜ城壁を使わないんだ?」
「穴を掘られて中に入られるのがオチだ! 市民を巻き込んだ乱戦より野戦の方がマシに決まっているぞっ!」
「シグルーン様は、こういう時だけ頭の回転が凄く速いキャン……」
ラタトスクでの一件とは比較にならんほどに数が多い、100匹はいるだろうか。
ここで兵員が失われれば、帝都への援軍要請も困難になりかねない。
「ヤシュ、あれは俺とシグルーンだけでは手が余る。アンタも手伝ってくれ」
「こ、怖いけどわかったキャンッ……。シグルーン様、アシュレイ様、失礼があったら、ごめんなさいだワン……」
「早くあの危ない葉っぱを食え食えっ、祭りが始まるぞぉーっ!!」
コルリハの葉だったか。それを服用した獣人は闘争本能に目覚め、戦いには向かない種族の温厚さを克服するという。
「んぐぅっ?! あ、危ない葉っぱとか、そういう言い方止めてキャンッ!? 本当は使いたくないけど、仲間を守るためだから、我慢して――うっ!」
少し飲むのが遅かったようだ。ヤシュが台車にうずくまった頃には、シグルーンが目前のアビスアントに飛びかかっていた。
そして信じられんものを見せられた……。俺でも斬れなかったヤツらの装甲を、前足を剣で両断していた。
「むぅ、手応えが重い……っ、硬すぎるぞっ!」
「アンタはやはりおかしい」
おかげで俺はまんまと敵の背中に飛び乗れて、胸と腹を繋ぐ間接部にスコップを突き刺せた。これで撃破1だ。
しかしこの前よりも感覚がやわらかい……。
この先祖のスコップがあれば、もかしたらこいつら貫けるのだろうか。
考える間もなく新手が俺たちの前に群がった。
「気を付けろよシンザッ、あの顎にカプッとやられた終わりだぞ!」
「なぜ微妙にかわいい表現なのだ! む、こいつら、以前と違う……?」
敵は俺たちを強敵と見なし、4匹による連携を組んできた。
そういえば図鑑に載っていたな。アリは群体生物で、強敵には群れで対抗すると。
「アリんこのくせに戦法がせこいぞっ!? おおそうだっ、こんなときはこれだ!」
シグルーンはトラブルメーカーだ。突然、耳をふさぎたくなる酷く不快な高音が鳴り響いた。
「う……うるせぇキャンッッ!! シグルーンの姐さんっ、それうるせぇ!!」
それは震える剣だった。アビスアントの前足に触れると、ノコギリでも振るっているかのように力を入れずとも足が飛ぶ。
さらにはうずくまっていたヤシュの敏感な聴覚を刺激して、戦闘に参加させる効果もあったようだ。
「よしっ、ならお前たちはあの連中に加勢しろ! 拙者はここで暴れておくぞ!」
「姐さんっ、マジうるせぇから止めるキャンッ!」
誰だ、コイツにこんな人迷惑な剣を持たせたやつは……。
ダメだ、俺も一緒には戦えん。アビスアントも最低の音に触覚を震わせて混乱していた。
「一応言うが、死ぬなよ」
「もう堪えられねぇキャンッ、行くキャンッ、こんなの置いてくキャンッ!」
「わははっ、これは楽しいぞぉーっ、どんどんこいっ、どりゃぁぁぁーっっ!!」
聞こえていないようなので、ヤシュを荷台に乗せて俺はアビスアントの群れを強行突破した。
すぐに向こう側の前線に到着すると、反転して加勢する。
「な、何者……お、おおっ!!」
先祖のスコップを力任せに敵の前足にぶつけると、かなり重い手応えだったが断ち斬れた。
これならばいける。後は異界の言葉で言うところの脳筋である俺が、力任せに敵を破壊してゆくだけだ。次々とアリどもが俺に群がったので、一本一本確実に前足を叩き斬った。
ジラントに己の身体能力を出し切っていないと言われて、力任せの戦い方がしたくなったのかもしれん。
「てめーら耳かっぽじって聞ききがれっ! このお方こそ、ア・ジール帝国の皇子アシュレイ様だぜ! アシュレイ様が俺たちを助けにきてくれたんだ、感謝しろやオラァッ!!」
「ヤシュ、口を動かしていないで、手を動かせ」
獣人の軍勢が沸いた。本来、壊すことのできないアビスアントの装甲を破壊するたびに、それが希望となって士気を高めてゆく。
後方のシグルーンが囮になっていてくれるのも幸いしていた。
さっき俺がやったのを見ていたのか、ヤシュは優れた跳躍力で敵の背に乗り、間接部をナイフで貫く。
獣人の軍勢もそれに従うと、戦況は一変して俺たちの有利に変わった。
そこからはあっと言う間だ。逃げ出すアビスアントを追えば、シグルーンという騒音の塊と最後の一体を片付けることになった。
「シーンザーッッ♪ やっぱりお前は強いなぁっ、わはははーっ!」
「やかましい! 早くその剣を止めてくれっ、獣人たちが耳を抱えてうずくまっているぞ……!」
「……おおそうだったな! えーっと、ここを……んー? すまん、止め方を忘れたようだ!」
「止め方がわからんのに、そんなやかましい剣を使おうとするな!」
その後、俺はシグルーンの道具袋から説明書を取り出すはめになって、どうにかこうにか災害みたいな剣を止めた。
さっきから耳鳴りが止まない。王都の平和は守られたが、シグルーンは早くも天変地異と獣人たちに認識されたようだった……。




