19-3 炎と署名 - 酢 -
それはそれ。これはこれだ。
翌日とんでもない事実を突きつけられるとは知らずに、俺たちはエリン港へとたどり着いた。
すぐにヘズ商会と獣人たちによる積載が始まった。
俺も仕事を手伝おうとしたが、恒例のようにキャラルと共に現場を追い出されていた。
「またね、ユーミル。少しだけシンザを借りてくね」
「うん、そっちも船旅気を付けてね。アシュレイくんじゃないけど、今度は私も沿海州に連れて行って」
それともう一点、俺が沿海州に同行するつもりだった極秘情報が、ユーミルに漏れていた。
喋ったな? とキャラルに目を向けるもキャラルは少しも悪びれない。
「いいよっユーミルなら大歓迎! 帰ったら一緒に買い物に行こう!」
俺とキャラルは慌ただしい桟橋から離れて、港の外れに場所を変えた。
ちなみにここの海岸にあった翡翠たちは、大半が回収されて港の装飾に使われた。
かき集められてただの金に変えられるより、翡翠たちも満足な使われ方だろう。
「ごめんね?」
「何の話だ?」
「さっきのことだよ。ユーミルに話しちゃった」
「そのようだな。思っていたより仲が良くて驚いた」
港の外れは薄暗く、キャラルの顔もよく見えない。
竜の目を覆うレンズを外せば夜目が利くが、それでは同じ夜を共有できない気がした。
「シンザはさ、自分の立場に無頓着だけど、一応皇子様なんだよ? そんな人が船旅について行きたいって言ってきても、私だけじゃ判断なんてつかないよ……」
「それが仲良くなったきっかけか?」
「そうだよ。ユーミルは、結婚したら最高の奥さんになるよ。私が保証するよ、私が男だったら惚れちゃうくらいいい子だから!」
「……話が飛んだな。だがよくわかる。ユーミルは貴人らしくないところがいい」
「あははっ。アシュレイくんにだけは言われたくないわ! って言われちゃうよ」
親しいキャラルと、共通の友人が出来たのが嬉しかった。
明日の見えないこんな時代だ。友情が安心感をくれた。だが……。
「キャラル、情勢次第では、また会えるかもわからん。アンタが帰ったら、俺は暗殺されているかもしれん」
「うん……そうだね」
「だがそれでも、俺たちは己の持ち場を守らなければならん。引き際がくるまでな。必ずまた会おう、アンタが帰るその日まで、俺は俺なりにあがいておく」
「シンザにしては大げさだね。……何かあった?」
楽園で父上と別れてより、少し俺もおかしくなっているのかもしれない。
人との別れは突然来るのだと、あの一件で突きつけられた。後悔がないようにしたかった。
「悔いがないようにしたいだけだ。必ず戻ってこい、キャラル・ヘズ」
「言われなくとも戻ってくるよ! またおばさんのお店で、ケバブサンド食べようね!」
キャラルが胸に飛び込んできて、俺の胴体に腕を回して締め付けた。
この前の不意打ちの口づけもそうだが、避けようと思えば避けられた。だが俺はしなかったようだった。
「ユーミル、元許婚に逃げられたって」
「知っている」
「責任取ってあげたら?」
「それには同情するが俺の責任ではないな」
「はぁ……。ダメだよっ、ユーミルにはもっとやさしくして! じゃあね、シンザ!」
何を考えたのか、彼女は俺の両手を取った。
それを片方ずつ自分の背中に回して、俺に自分を抱かせた。彼女が目をつぶってぬくもりに浸ったのは一瞬のことだ。
俺は矢となって遠ざかってゆくキャラルを目で追って、船が港を去ってゆくのを見守った。
キャラルのぬくもりが頭から消えない。
俺も次男ジュリアスを笑えないくらいに、マザコンだったようだ。
あの船に俺も乗ってゆくつもりだったのに、船団が軌跡を残して消えてゆく。
夜目の利く竜の目で、ずっとずっとそれを見送った。
◆
◇
◆
見ればもうじき夜明けだ。
帝都がそびえる東の空が青白く光を灯している。
「行ってしまわれましたな」
「ああ……明るいキャラルが旅立つと、寂しくもなるな」
「あら、これは良い傾向なのかしら……」
振り返ると爺だけではなくユーミルもいた。
もう二人の目には船は見えないのだろう。俺も竜の目を元に戻した。
「シンザ様、これからどうするおつもりですかな……?」
「さあな。俺たちまで政争に加わって、混沌をまき散らすわけにもいかん。今は力を蓄えるしかないだろうな」
「はい。お父上も当時は争いを避けて、辺境に身を寄せられたものです。あなたが望むなら、今からキャラル様を追ってもかまいません。しかしもう二度と、私はあなたの下から離れませんぞ」
「今さら逃げるなんて、そうも行かないと思うけれど」
ユーミルの言うとおりだ。結社ベルゲルミルの影が生まれ、ゲオルグ兄上とアトミナ姉上ががんばっている。
辺境に逃げるときはあの二人も一緒だ。
「しかしシグルーンは、全くどこに消えたのだろうな……」
「アシュレイ様、ユーミル様はよしとして、私はあの方だけは認めませんぞ!! きゃつめ、先日私の茶に酢を入れたのでございますっ!! なぜ笑うのですかっ、父親代わりの私が、おとしめられたのでございますぞっ!?」
アレは本当にとんでもない女だな……。
だが、少し想像するだけで、茶を吹き出す爺が頭に浮かんで笑ってしまった。
「アシュレイくんはあの人を大目に見過ぎよ……」
「全くでございますっ、絶対にアレだけはダメでございますぞ!」
塔に閉じ込められ、外の世界に憧れるだけだった俺が、こんな人生を歩むことになろうとは、夢にも思わなかった。
もう少しだけ帝国に留まり、俺によくしてくれた人々のためにあがいてみよう。
何よりあのケバブサンドが一生食えなくなるような事態だけは、可能な限り避けたいからな。
投稿ペースを落としてしまい、あらためてごめんなさい。
この調子ならどうにか立て直せそうです。




