19-3 炎と署名 - 恐怖 -
帝都の地下を掘り進んで悪党の倉庫を荒らす。
それは単純な仕事のようで、ときに慎重な判断が必要になる。
なぜならばこの帝都ベルゲルミルには、管理者の行政府でも把握しきれないほどの、複雑を極めた下水道が走っているからだ。
この下水道に姿を消した役人は数知れず、体長5mのワニが棲んでいるだの、そのワニの腹には黄金と宝石が眠っているだの、はたまた地底に国があるという与太話まであった。
「どうしたの、アシュレイくん?」
「ここではシンザで頼むと言っただろう。いや、また下水にぶつかったようだ。少し引き返すか」
フィンブルの地下に眠る、帝国ア・ジールを見た今となってはなかなか否定もしがたい。
「それでもこの前よりマシだわ。ふふふっ、あの時はもう、泥まみれで笑っちゃったもの」
幸いこの辺りは地下水が少なかった。
やや湿り気を帯びているが、これならばスコップで土を圧縮しても、絞り出された水分の大半が地中に染み込む。
もっと短く言い切れば、靴が少しグチャッとする程度だ。
「アンタは姫君なのにたくましいな……。本音を言えば、あの時はアンタに感心した。貴人でありながら、汚れることをいとわぬその性質は、俺からすれば非常に魅力的に映る」
「ふふふっ、光栄だわ。口説かれていないのが残念なくらいよ」
「ああ、安心してくれ、口説いてはいない」
「そうね、本当に残念な皇子様よね……」
「女を口説いている暇も余裕もない。アンタも親の命令なんて突っぱねて、元の許婚とよりを戻せ。俺に付き合うと死ぬぞ」
壁を掘りながらユーミルと楽しく語らった。
しかしまた言葉を間違えたようで、ユーミルが黙り込んでしまった。振り返ると見るからに不機嫌な顔つきだ。
「女心のわからない人ね……。無理よ、彼は――許婚はもう他の女性と縁を結んだの。最初からその子と結婚したかったみたい」
「そうか……それは、困るな……」
「いいのよ。だって不倫みたいなことされても嫌でしょ。きっと、あまりよくない夫婦生活が待っていたと思うわ」
「すまん、そうなのか。俺には色恋沙汰の想像力がないようだ」
ただ許婚だった相手が、別の女のものになれば、気持ちの上では悲しいものだろう。
俺がフィンブルを訪れなければ、こうはならなかった。というのは後ろ向きでつまらん発想だ。
「本当にダメダメね、貴方……。まあいいわ、貴方に付き合うのも楽しいものっ!」
「足下にあふれた、下水混じりかもしれん泥を、そうやってかき集める仕事がか?」
「そうよ。ちょっとした仕事だけど、フィンブルでお嬢様やっていた頃よりやりがいがあるわ。ううん、とても一言では良い尽くせないほどよ」
「……そうか。やはりアンタのその性質は、貴人としての美徳に満ちていると俺は思う」
進路の土を崩し、崩れたそれを壁材に変える。
そこからわずかにあふれた地下水を、ユーミルが俺のシャベルを使って布に積めて、水だけを絞っては捨ててくれた。
「そういうの、よくも下心なしで言えるものね……」
「俺にだって下心はある」
「あら本当?」
「ああ。アンタと仲良くしておけば、いつか美味いご馳走を食わせてもらえそうだ」
「はぁ……。そうやって、胃袋でばかり考えるの止めなさいよ……」
俺たちはその後も語らいながら、後続の仲間が現れるよりも先に地下道を目的の倉庫へと繋いだ。
一つは積み上げられた麻薬の山、もう一つは運転資金らしき砂金の山と金銀宝石、最後の一つは皇太子がいかにも好みそうな香料や年代物の酒、旧時代のアンティークで埋まっていた。
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「アシュレイ様ッ、私はっ、私はこんなこと一言も聞いておりませんぞ……っ!? とういうよりもですな、まだこんなことを続けておられたのですかっ!」
「そうだ。言えばこうなるからな、言わなかっただけだ」
ついでに爺も呼んだ。
爺はキャラルが大好きだからな、一緒に仕事させたら喜ぶだろう。
それに加えて、友である父上の死にかなり堪えているだろうからな、悲しみが吹っ飛ぶほどの刺激を与えようと俺は考えた。
狙い通りだ。爺の悲しみを怒りと呆れで上書きできた。俺は孝行者だ。
「あ、あなたはっ、今この帝国がどんな状況なのか、理解されているのですかっ!?」
「だからと言って、俺が心を入れ替えて生き方を変えると思ったか? それは甘いぞ、爺」
買い取った一軒家にて俺は、後続を待っていた。
そして爺たちが姿を現すなりこの騒ぎとなり、現在に至る。
「私はあなたを、そんなふうに育てた覚えはありませんぞーっ!?」
「もちろん爺には感謝している。だが、この先しばらくは、まともな司法など期待できないというのが、俺とゲオルグの判断だ。ならば俺たちが麻薬商人を、自滅に追い込むしかない」
爺と俺の愉快なスキンシップに、誰も口をはさもうとはしなかった。
最後にキャラルが爺の背中をポンポンと叩くと、馬のように入れ込んだ老人が落ち着いていた。
「では始めよう。一部のアンティークがやたらでかい点をのぞけば、ほぼ段取り通りだ。商品、運転資金、そこにあるもの全てを奪い取ったら――麻薬倉庫を焼いて逃げるぞ」
話をまとめて、俺たちは地下道を進んでいった。
思っていたよりも一部の強奪品が大きかったので、あの後トンネルを横長に再拡張して、三人が通れる規模にした。
「なあシンザ、拙者たち義賊が世間になんと呼ばれているか知っているか?」
「いや、聞いたことがないな」
「恐怖だ! だがな、拙者たちは恐怖ではない、希望だっ! よって名を定め、宣言する必要があるっ!」
「興味ないな。なんならアンタが決めておいてくれ」
「ちょ、ちょっと待って! この人に任せるのは止めた方がいいわ!」
一応これでも知恵者と名高い有角種だ。
シグルーンは俺よりも神話に詳しく、この手のネーミングに向いていると思う。何より自分で自分の名を決めるなど釈然としない。
「わははっ、では仲良しのきっかけに拙者とユーミルで決めるとしよう! よしっ、義賊ジャスティスというのはどうだっ!?」
「傲慢にもほどがございますぞっ!? ああああっ、アシュレイ様がこんな不良と付き合いがあるだなんて……アシュレイ様、ご友人はよくお選び下さい!」
「不良か。爺、シグルーンはそんな生やさしい存在ではない。言わば災害に足が生えて歩いているものだと思った方がいい」
「危険人物と付き合うなと、私は言っているのですよっ!?」
騒がしいやり取りも、途中の分岐までやってくるとそこで終わりになった。
三つの倉庫に向けて俺たちは別れ、爺はキャラルに慰められながら別の倉庫に向かった。
俺か? 俺は麻薬倉庫を焼く仕事を受け持った。
これだけは確実にこなしたいからな。
不安があるすれば、こっちの分岐にシグルーンが付いてきた点だった。
「クククッ……特別に我が輩も手伝ってやろう」
「おおっ、ジラちゃんではないかっ!」
「よりにもよって、アンタまで現れたか……」
俺の身の回りで制御しにくいやつを3人上げるならば、まずは兄上、その次にジラント、最右翼にシグルーンの名が上がることだろう。
精製済みの白い粉末や、乾燥した草、小さな水薬が所狭しと暗い倉庫に敷き詰められていた。
俺はアジール帝国跡地で拾った太陽の石を取り出して、浮遊するそれを光源の一つにした。
「クククッ、我が輩が高位の炎魔法で焼いてやろうか?」
「それはわくわくするなっ! やはり火遊びは最高だっ!」
「静かにしてくれ、シグルーン……。そしてジラント、魔法はダメだ、ここは可燃油で焼く」
「いいぞっ、そっちの方が拙者が楽しい! 燃やそう、早く燃やそう!」
これが適材適所だったのかもしれんな……。
シグルーンはこの通りの性格で、ジラントも傲慢を地で行く。
過激な火遊びに罪悪感を覚える者はここにいない。
投稿のストックがもう3話分しかありません。
またコロナの影響で、これから切り替えて行かざるを得ない状況になりました。
大切な本作を打ち切りになどしませんが、投稿ペースが大幅に落ちます。ごめんなさい。
このまま無理な更新を続けて心折れたり、書けなくなったり、品質が台無しになるよりは、新作を書いて、気持ちの整理を付けようと決めました。
どうかお許し下さい。コロナのせいでもう大変です……。




