19-2 麻薬商人から富を奪え
・標的の右手
「もう止めよう」
「止める? 止めてどうする、今さら後には引けない、あるのは破滅だけだ」
最初は兄と私しかいなかった。
義父の暴力に嫌気がさし、私たちは寂しい北部の農村から帝都へと流れ着いた。
日雇いの仕事を続けて、遊びも酒も我慢して、硬い黒パンだけをかじって金を貯めた。
苦しい日々だった。空腹は堪えられても、見えぬ明日が堪え難い不安となって私たちを苦しめた。
「だが兄さん、どう足がこうと私たちは破滅する。ゲオルグに睨まれたらもう終わりだ……」
「黙れ! 皇太子様が皇帝にさえなれば、立場は逆転するのだ!」
「その皇太子がおかしくなったから、こんなことになってるんじゃないか! せめて、御禁制品の取り扱いだけでも止めよう、兄さん!」
苦労の果てに私たちは商人として成功した。
この国の皇太子とのパイプを築き、彼のためにありとあらゆる品物を手配した。
酒、珍味、異国の芸術品。それから高級娼婦、奴隷、毒薬、禁止薬物と、汚れた品を取り扱うようにもなった。
私たちは今、奴隷と麻薬を売り買いして利益を得ている……。
「それを止めたら商会が潰れるぞ!」
「兄さん、私たちは人を不幸にしすぎた。兄さんが止めると約束してくれないなら、私は証拠を持ってゲオルグ将軍に直訴する。もう潮時だよ、兄さん……」
「止めろ、死刑にされるぞ!」
「だったら皇太子の命令だったと言えばいい! あいつはもうダメだ、このままじゃ、俺たちまで一緒――ぇ…………。兄、さん……?」
兄が私の胸を刺した。血飛沫が吹き出して、兄の顔面を汚した。
ああ……もう助からない。私は突然に訪れた死に戸惑いながら、兄にしがみついた。
どうしてこんなことになったんだ……。
最初はただ、暴力のない自由な世界で生きたいだけだったのに……。
「お前が悪いんだ……俺はもう後には退けない、またあんな貧乏暮らしを繰り返すのだけは、堪えられない……!」
「兄さん……私たちは、きっと、アビスに……堕ちる……。あっちで、待っ、て……よ……」
「これからの時代で生き残るのは、全てを犠牲にできる者だけだ……。俺は悪くない、お前が裏切ろうとするから悪いんだ……クソッ、クソクソクソッッ、なんでお前が俺をッッ!!」
神よ、どうか兄の魂を救って下さい……。
これ以上、多くの者を犠牲にする前に、兄を止めて下さい……。
サマエル様、兄に情けを……。
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エリンの書斎にて、俺たちは事実上のプィスの机を取り囲んだ。
普通は領主の俺が向こうに腰掛けて、プィスがこちら側に立って報告をするのだろうが、しかしそれこそ茶番というものだろう。
「既にご存じの方もいますが改めて。今回の標的は小者です。元々は皇太子の取り巻きで、言うなれば寄生虫みたいな商売をする商人でしたが、宿主が引きこもるようになってより、まずい商売に手を出し始めました」
今回の協力者はユーミルとキャラル、それに義賊が大好きシグルーンだ。
俺がキャラルに計画を話すと、キャラルに親しいこの二人がなし崩し的に加わることになった。
「麻薬です。元々は皇太子のために密輸していたらしいのですが、その皇太子が急に品物の購入を止めたせいで、彼らは帝都の民草に薬を売りつけるようになりました」
「ああ、ゲオルグ兄上が証拠を集めている段階だったが、皇帝が死んだ今、司法にはしばらく頼れないと判断したようだな」
「はい。このままでは帝国の政情が安定するまで、この麻薬商人は野放しになってしまいます。もはや――」
「この拙者たちがっ、神に代わり天罰を下す他にないっっ! そういうことだなっ!?」
プィスならば、私刑という皮肉の利いた言葉を使っただろう。
だがシグルーンは天罰という、過激で後ろめたさの控えめな言葉に大声で書き換えていた。
「ああ、では恒例通りに行こう。シグルーンは輸送隊の手配を頼む。キャラルは船への積載の段取りを。俺とユーミルは最後の見定めだ。質問はあるか?」
キャラルはどうしても強奪に付き合いたいそうだった。
自分が売りさばく物が、どういった場所から仕入れられているか、ちゃんと知っておきたいそうだ。
「じゃあ私から。一緒に連れてゆくの、キャラルちゃんじゃなくていいの?」
「えっ!? ユ、ユーミル様ッ、ちょ、急に何言ってるのっ!?」
「おや、それを彼に聞いてしまいますか。どうなのですか、アシュレイ様?」
「積載のことならキャラルが一番だ、他に適任はいない。そして輸送隊には獣人を使いたい、彼らは口が固いからな。ならばそっちはシグルーンが最も関係深い。よって、こっちはユーミルに付き合ってもらう」
おかしいな……。これで大正解のつもりが、また外れの解答だったらしい。
キャラルがため息を吐き、ユーミル嬢がこちらに冷たい目を向け、シグルーンはガハハハと笑った。
「フフフ、私はアシュレイ様の、そういった少年めいたところが、性癖に突き刺さってとても好きですよ」
「よくわからんがプィス、女の前で性癖という言葉を使うのは、どうかと思うぞ……」
俺はかねてより手配してもらっていたmy台車にユーミル姫を乗せて、帝都ベルゲルミルまでひた走った。
ご令嬢は恥ずかしいと文句をたれていたが、これが一番早いのだ。文句を言われようとも全て無視した。
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「あらアシュレイ、いらっしゃ――あらまっ!?」
「どうかしたか、おばさん?」
帝都に来たのならばまずここだろう。俺はいつものカフェに立ち寄った。
何やら驚いているが、俺はただお嬢様を台車に乗せて、ここまで走ってきただけなのだがな……。
「綺麗な子ねぇ……じゃなくて、キャラルちゃんはどうしたんだいっ!?」
「キャラルか、キャラルならエリンだ。だが後で合流するからな、ここのケバブサンドを差し入れたいところだ」
「ごめんなさい、この人いつもこうなの。私はユーミル、見ての通りの平凡なライトエルフよ」
恥ずかしい恥ずかしい降ろしてとわめいていた台車から降りて、ユーミル嬢は麗人らしく澄ました。
「あたしゃここのカフェの主人だよ。それよりアシュレイ、アンタねぇ……キャラルちゃんの気持ちを考えたことあるかい?」
「おばさん……だからキャラルには、ケバブサンドを差し入れると言ってるだろう」
「そっちじゃないよっ、このうすのろっ!!」
「大丈夫よ、おばさん。キャラルもこの子にはもう慣れてるから……」
古風な暴言を吐かれた上に、子供扱いされてしまったな。
「わかった、カツサンドとBLTも付ける。それでキャラルも満足だろう」
「アシュレイくん、まだ食べ物の話だと思ってるのね……」
「あたしゃ心配だよ、この子が……。ごめんなさいね、こんな子だけど見捨てないでやってあげてねぇ……」
今日は念のためオープンカフェではなく、中で腹を満たしてから、俺たちは本来の目的地に向かった。
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ここから先はあまり気分がいいものではない。
よって簡単に解説しよう。
俺とユーミル嬢は帝都郊外にあるスラム街に向かった。
プィスがそこの頭目と話を付けてある。
まずその頭目を訪ねると、ヤクザにしか見えない屈強な男にスラム街を案内された。
紹介されたのは純度の低い麻薬で廃人になった者。同じく手足が壊死して死んだ者。財を失ってスラム街暮らしになった元貴族などだ。
平和なフィンブル公爵領からは想像も付かない、悪意が渦巻く世界に、ユーミル嬢は強烈な嫌悪を抱いていた。
最後に案内人へと、感謝の気持ちのカツサンドを差し出しておいた。
「お、おう……くれるって言うなら、まあ貰うけどよ……あ、美味、これ美味いな? どこで買ったんだ?」
「帝都のとあるカフェだ。ここから赤の大通りを通って中央まで行ったら、小鳥が三羽描かれた看板があってな……」
少し話が折れたが、案内人と別れて俺は再び台車にユーミル姫を乗せて、ひた走った。
「で、アンタはどう思う?」
「聞くまでもないわ! 人の目が恥ずかしいに決まってるでしょ!」
「そっちじゃない。俺は潰すべきだと思う、同情などできん。これだけの不幸をまき散らしながら、富を貪る者は、私刑に遭っても当然だ」
「そっちも聞くまでもないわ! 私たちがやらなきゃ止まらないなら、その商会を破壊するまでよ! やりましょ!」
まあそういうことになった。
俺たちはプィスが買い上げてくれた空き家を拠点に、そこから麻薬商人の倉庫を穿つことにした。




