18-7 騎士に憧れた少年
ギルドの昇級試験を受けて、人には見せられない特殊な本を持ち帰ったその日、俺は忘れていた予定を一つ思い出した。
「熱だと?」
「はいご領主様。しばらくは安定していたのですが、今日に来て微熱が出てしまったようで、食事もあまり喉を通っていません」
それはコッドウォールの蔵から、俺たちが盗み出したあの少年のことだ。
様子をうかがうつもりが、すっかり忘れていた。それが熱を出したらしい。
「体調が戻ったら私から報告しましょうか……?」
影の薄い主人にメイドが控えめに言う。
事実上、この館の主はアトミナ姉上みたいなものだろうな。
「いや、こういう時こそ芋だ」
「……ぇ? お、お芋ですか?」
「そうだ。こういうときはすり下ろした山芋に限る。よし、採ってこよう。厨房の目立つところに、下ろし金をおいておいてくれ、ではな」
「あ、あのっ、ご領主様っ、今夜ですよっ!? あっ……」
夜は俺のテリトリーだ。
領主の館を飛び出すなり、瞳を覆うレンズを外した。
この目のおかげで苦労したが、今となっては便利な特能でしかない。
俺はエリン北の森に飛び込んだ。
そして芋を探した。見つけた。せっかくなので5、6本確保して、館へと戻った。
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◇
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「はい……どうぞ……」
扉をノックすると中から弱々しい少年の声がした。
どうやら起きていたようだ。ランプに明かりが灯されていて、少年は窓の向こうの木々をただ眺めていた。
その顔がこちらに振り返る。
「えっ……!? あ、アシュレイ様ッ!?」
「覚えていてくれたか。体調はどうだ」
「え、体調……あ、はい、だいぶ落ち着きました……。何もお返しできないのに、僕なんかを看病してくれて、ありがとうございます……」
少年はかしこまった。だがそういう態度をされても俺は嬉しくない。
そこで俺は、とろろ芋のお椀を彼に突き出した。
「熱を出したと聞いてな、芋を掘ってきた。さあ食え、これなら喉も通る」
「あ、あの……ぇぇ……? これ、僕のために、採ってきたんですか……?」
「せっかく救ったのだ、死なれては寝覚めが悪いからな。さあ遠慮するな、ぐいっといけ、それがアンタのためだ」
「ぅ……っ」
受け取らないので踏み込んで突き出すと、少年が身を縮こまらせた。
綺麗な顔をしている。まだ虐待の傷を身体中に残していたが、変態が好きそうなかわいらしさがあった。
「すまん、少し乱暴だったようだ」
「い、いえ……これは僕の問題ですから、アシュレイ様は悪くないです! い、いただきます……」
「まだ男が怖いか」
「はい……ごめんなさい、自分でも、情けないです……こんなの……」
彼はトロロ芋を口に付けると、身体が栄養を求めていたのか、美味そうにすすりだした。
さじで碗を擦って、綺麗に食べ切ってくれた。
……そういえば、自分の分を忘れていたな。
「ふぅ……すみません、お腹すいてたみたいで……」
「そのようだ。それだけ美味しそうに食べてくれると、採ってきたかいがあった」
「貴方は……やさしいです……」
「それはどうだろうな。俺は直感に従っているだけだ。元気になったようでよかった」
こうして話してみると、ずいぶんと話しやすいやつだった。
控えめで、謙虚で、この館に集まる連中の中じゃ希少な存在だ。どいつもこいつも自己主張が強いからな……。
「バルドゥールと申します、アシュレイ様。人からはバドとよく呼ばれます……」
「勇ましい名前だな。よろしくな、バド」
「はい、よろしくお願いします! そして、改めて、僕を助けて下さりありがとうございます……! ずっとお礼を言いたかったのに、タイミングを逃してばかりいました……」
「というより、単に俺が一カ所に留まれない人間なだけだろうがな」
バドか。バルドゥールという顔ではないが、バドというのはかなり似合っている。
歪みなく真っ直ぐで、応援したくなるようなところがあった。
「行動力がある証拠です。アシュレイ様、この身体がもう少し治ったら、僕に貴方のお手伝いさせて下さい!」
「手伝いか……。だが俺たちを手伝っていると知れると、アンタの家族が脅されるかもしれんぞ。それがヨルドの手口だ」
「僕は孤児ですから大丈夫です。父親が従者だったので、父が死の際に騎士団へと僕を紹介してくれたんです」
身寄りない少年を狙ったか……。
コッドウォールの末路に、多少の罪悪感を覚えたこともあったが……こんな子を狙うなど最低だ。
「だが男が怖いのだろう。今はいいからゆっくり身体と心を癒せ」
「そ、それは……平気です……。怖くなんかありません……」
「なら試してみよう」
「ッッ……?!」
少年の手を取って彼の顔色をうかがった。
青い顔をして震えている。これはまだ社会復帰は無理だ。
「へ、平気です……っ、僕は、男です、男なんて怖くない……ッ、ッッ……」
「アンタは偉いな。そうやって辛いものと向き合おうとする。俺は面倒ごとから逃げてばかりだ」
せめてもの慰めに、彼の手のひらをやさしく撫でた。
こんなもの見せられては、慰めずにはいられんだろう。性別は関係ない。
「いっぱい……酷いことをされました……」
「だがこうして切り抜けた。もう悪夢は終わっている」
「苦しむ僕を見て喜んでいました……。助けてと、僕が懇願すると、アイツは嬉しそうに笑った……悪魔のようなやつだった……」
それはサディストというやつだろうな。
そこに良心の欠落という欠陥が加わると、暴力を心から楽しめる怪物が生まれる。これも異界の本に教わった。
「赤く燃える焼きごてを押し付けられて……。なんの理由もなくいきなり殴られて……。あばらが折れそうなほどに、臭いアイツの身体が僕を締め付けた……」
「だがコッドウォールは死んだ、もういない。悪行に相応しい無惨な死に方をした。アンタはもう安全だ」
口にせずにはいられないのだろうな。
自分が何をされたのか、誰かに話したかったのだろう。
「貴方は、素晴らしい人です……」
彼は身体から震えが止まった。
こちらの手を握り返して、何やら俺を勘違いし始めたのか、何やら幸せそうに妙なことを言った。
「お願いします、僕に身の回りのお世話をさせて下さい。今の僕には、そのくらいしかできないですから……」
「悪いがそれは断る。俺は放蕩皇子だ、一カ所に留まるのが苦手でな、小姓など必要ないのだ」
「ではついて行きます!」
「なおさらダメだな。それは俺の自由を阻害する。ん……?」
ノックが鳴った。何かと思い振り返ると、それはアトミナ姉上とユーミル嬢だ。
「あらアシュレイ、意外なところにいたわね……」
「そっちもな。ん、それは?」
「厨房に山芋があったのよ。これならバドくんも喉を通ると思って、私たち擦ってきたの」
誰も考えることが同じだな。
俺が掘ってきたとは言わないでおこう。
「よかったなバド、腹が減っていただろう」
「え……っ?」
「ちゃんと食べなきゃダメよ?」
「つい作りすぎてしまった気がするわ。けど何も食べてなかったんだから、このくらいいけるわ。がんばって、バド!」
しかしさすがに三人前も食わされたら吐くか。
「あの、僕はもう、アシュレイ様から貰いましたから……」
「なんの話だ?」
「とぼけないで下さいよぉっ!?」
「あら……あの山芋、貴方が採ってきたの? 意外に良いところあるのね……」
「大丈夫よ、三人前くらい入るわ♪ だって男の子ですもの♪」
「無理です、そんなにいっぱい入りませんよぉっ!!」
「そんなのダメよ。ちゃんと食べなきゃ良くならないわ。それにアトミナ皇女様が、下ろし金で手を少し擦ってしまった下ろし芋よ? ちゃんと食べないと罰が当たると思うわ」
性格的に姉上とユーミルは合うようだ。
笑い合いながら少年にとろろ芋の入った碗を押し付けていた。
山芋は見た名以上に腹が膨れるからな。バドはもう腹がいっぱいだろう。
ただそのことを説明しても、この状態になった姉上は止まらない。これは経験則だ。
「だが三人前は死ぬな。よければそっちは俺にくれないか?」
「あら、アシュレイくんは私の手料理が食べたいの? そうね……いいわ、特別にあげる」
芋を擦っただけで手料理と呼ぶのはどうなのだろうな。
ユーミル嬢からお椀を受け取ると、さじを使って口へとかっ込んだ。
「ひうっ!? お、お腹っ、本当にいっぱいなんですっ!」
「遠慮しちゃダメよ。まともに食べてなかったんだから、ちゃんと食べなさい」
「だ、だから……そんなに一気に入らない……」
「皇女命令よ。食べなさい、バドくん」
「ひぅぅっーー!?」
口へとトロロ芋を一方的に押し込むそれは、もう半分虐待だな。
だがそれも愛ゆえだ。俺は姉上の愛を否定できるほどに偉くなどない。
俺は同情からバドの肩を軽く叩いた。
すると彼は男性恐怖症をほんの少しだけ克服したようだ。
スキンシップに震えたり、声を上げるようなことはなかった。
「食欲がなくてもちゃんと食べなきゃダメよ。アトミナ様、私が押さえつけておくわ」
「えっ!?」
ただ女性恐怖症はどうだかわからんな。
一瞬止めようかとも思ったが、姉上に介抱されるその姿を見たら気が変わった。
たまには荒療治も必要だろう。
ああ、断じて俺は、こんなに弱った少年に嫉妬などしていない。




