17-7 有角種の誇り
「おおっ、必ず戻ってくると我が輩は信じていたぞっ!!」
「シンザッ、無事でよかったよっ! オレたちもう、心配で心配で、ジラント様なんて泣きそうな――」
「ええい黙れ田舎娘っ、我が輩はそんな顔などしていない!」
「マジで戻って来やがったか……で、何食ってきたんだ?」
シグルーンの姿がない。いや、いた。
他の連中は俺のことを心配していたが、ヤツは待つのに飽きたのか、奥の床で寝息を立てていた。
「ふが……? ぉぉ、戻ってきたか……んんー……」
「ああ、さすがにアビスと地上を行ったり来たりは疲れた」
後は門を閉じるだけだ。
門に向かって振り返ると、そこにあの守護者が立っていた。
「アンタ、いつからそこにいたんだ?」
「ずっとここにいた。この肉体は言わば、影でな。ともかくよくやってくれた、これから約束を果たそう」
「おいお前たち、向こうが何をしてきた……?」
親しみを込めて守護者と目を合わせていると、ジラントが疑いだした。
「何をしてきたと言われてもな。茶の席に座って、その後軽く庭仕事をしてきただけだ」
「庭仕事だと? 意味がわからぬぞ……」
「説明してくれ、守護者。俺よりアンタの方が事情に詳しいだろう」
いきなり話を振られて彼も困ったようだ。
だが説明しないで門を閉じるわけにもいかないと思ったのか、しばらく考えてから口を開いた。
「魔貴族は元々、天界より地上を支配していた神々だ。その魔貴族の住まう土地に、天界よりはがれ落ちた土地が流れ着いてきた。我々はその大地が、徐々にアビスに汚されてゆくのを、ただ眺めることしかできなかった。それをそのシンザが救ってくれた」
「へぇ、だから門を閉じるって言うのかい? よくわからんけどよ、これはお前さん方かりゃすりゃ、地上を侵略する橋頭堡だろう?」
おっさんが言うとおり、一番の違和感はそこだった。
普通なら全力かけて、このアビスの門の支配権を守ろうとしたはずだ。
だというのに、茶の席と庭仕事をするだけで、ここから引き下がるなど妙だ。
「それは無理だ。この門をくぐれるのは下級の存在、それこそアビスハウンドやアビスアントに限られる。喩えるならば、非常に大きなアビスゲートといったところだ」
……どうやら騙されたようだな。
ここに戦略的な価値は最初からなかったようだ。
「いや、あえて言い換えよう。これを作り出した有角種は、最初から、世界を滅ぼしてまで生き延びる気はなかったのだろう。この門は、有角種の往生際の悪さではない。有角種の誇りそのものだ」
つまり取り越し苦労に付き合わされたということだな。
「また会ったときは剣を交えよう。さらばだ」
門番はアビスの門を閉じた。
するとその肉体は実体を保てなくなって、崩れるように黒い泥へと変わっていった。
それが黒こげの汚い液体となり、地の底へと消えてゆく。
ヨルドに魔剣を与えた一方で、俺に魔霊銀を与え、話のわかる態度も示す。本当にわからん連中だ……。
『その時点で十分に帝国の敵であろう。気を抜くな、話のわかるやつと、わからないやつがいるのはどこの世界でも同じだ』
それもそうだな。その点においては皇帝家も笑えん。
俺たちは閉じられたアビスの大門から引き返し、有角種の里へと報告に向かった。
・
・アビスに堕ちた古き神
「これは驚いた……いったい何があったのですか?」
「戻ったか、ウェントス」
白騎士ウェントス、私の僕。だが忠実とは言い難い存在だ。
私の命令に従いながらも勝手な行動を止めない。だが私も処罰しようとは思わぬ。
彼なら新しい流れを生み出してくれると期待していた。
「客人をアビスに招く機会を得た。そしてその客人は、我らに希望を与えて去っていったのだ」
「汚れの渦があった、その空間そのものが見事えぐり取られていますね……。その客人というのは、まさか……」
「クククッ、我らの宿敵。サマエルの末路だ……」
「やはりあのアシュレイ皇子の業でしたか。これが天上の世界……公爵様の生まれ故郷ですか……。なんと、あまりに美しい……」
かつてサマエルと呼ばれる天使がいた。
我々に愛されるためだけに作られた、あえて知恵足らずに設計された、愚かだが愛らしい子だ……。
我々が愛し、弄ぶためにサマエルは存在した。
傲慢な行いだ。言うなれば我々は、己の業そのものに焼かれたのだろう。
「一兆年ここで暮らせば、貴方たち魔貴族はアビスの結界をくぐり抜けて、天上に帰れるのでしょうかね……」
「それはわからぬ。自由に行き来できるお前と違ってな……」
全ては我々が次元を渡る竜、ユランを殺そうとしたからだ。
愚かなサマエルは天上の秘宝を我々より奪い取り、知恵と力を手にし、ユランという友人を殺そうとした者どもを、このアビスに追放した。
無論、我々はサマエルを呪った……。
「では、一兆年ここで待ってから、事を起こしますか?」
「希望は絶望でもある。待ってなどいられん……。ウェントスよ、私は帰りたい……もう一度、あの光り輝くあの世界へ……。その地で私は今度こそ、正しくこの世界を管理しよう……」
「では計画通りに、アシュレイ皇子には感謝に堪えませんが、帝国をひっかき回しましょう」
「うむ……」
だがサマエルもまた、我々と同じ闇に墜ちた。
天上の高き座に腰掛けると、その者はどこまでも傲慢になれる。
彼もまた地上の民を弄ぶようになり、我々を裏切る動機となった、ユランそのものに最後は裏切られた。
サマエルは天上の牢獄に封じられ、長い時間をかけて復活を目論んだが……。
最後はもう1人の自分自身に、皇帝アウサルによって、自ら牢獄へと戻る選択を選んだ。
アシュレイは知らぬであろう。まさか己の中に、ジラントと同質の竜、ユランが眠っていようとは。
そしてそれゆえに、あの二人は惹かれあったのやもしれん。
「会ってみてわかった……。不思議と、アレには復讐する気が起きぬ……。あれほどまでに憎んだのに、今では同類への憐憫を抱く……」
あのとき、サマエルが我らを裏切らなくとも、別の者が我らを裏切っていただろう。サマエルがユランに裏切られたように。
私たちは、凡ての支配者ゆえに、一つ一つの命を省みず、身勝手で、ただただ傲慢だったのだ……。
「私も彼が好きです。敵だとわかっていても、つい気にかけてしまいます。世界の混乱を招く――という意味では、彼やゲオルグ皇子が帝王の玉座に着くのは、不味いのですがね……」
「そこが我らの弱さだろう……。我らは永遠。滅びぬがゆえに、徹底という部分が足りない」
その気になれば、彼をここに幽閉して、永久に私の茶飲み友達にすることもできた。
しかしそれではつまらない。そんなことをしては私たちの誇りが傷つく。それが私たちの弱さだ。
「サマエルへの復讐はもういい。ただ、私たちはあの天上に帰りたい。頼む、ウェントス、私をこの美しい世界があった場所に帰してくれ……」
「仰せのままに。喩え何千年かかろうとも、その願い果たしてみせましょう」
神無き天上の世界は、私の帰還を願っているのだから……。




