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17-6 オルフェウス

 亡き妻を求めて地獄を下った男がいた。

 確かオルフェウスという名だったはずだ。

 それはどこの世界にでもある、地獄巡りの物語だ。


「俺は戦うつもりでいた。お前が白公爵様の願いを、受けるとは思えなかった」

「予定が狂ったか。悪かったな、俺はこんな大バカ者だ」


「いや、尊敬に値する……貴方は高潔だ」

「物は言い様ということだな」


 守護者に導かれてアビスを下った。

 最初は洞窟だった。アビスアントの姿を見たが、俺たちの姿を見るなり逃げ出していった。


 生態系の頂点に位置する、アビスの絶対的な支配種がそこにいたからだろう。

 岩の世界を抜けると、その次は氷の世界だ。

 飢えるアビスハウンドやオーガの姿があったが、彼らもあた守護者と名乗った男に恐怖して姿をくらました。


「初代皇帝もまた、ここを下った」

「それは残念だ。ここに来たのはきっと、ソイツへの対抗心もあったからだ」


「偉大な男だった。アビスの者は、誰もが彼に尊敬の念を覚えている」


 アビスの者にまで好かれるなんて、初代は本当に変なヤツだ。

 骨の芯まで冷える冷たい世界を、俺はまるでカチュアのようによそ見をしながら進んでいった。


 本を書くのもいいかもしれない。

 食べ物の話を交えた旅行本だ。アビスのことを書いたら、与太話だと笑われるだろうな。


 その次は炎の世界だった。

 燃えるような――というより、実際に世界が燃えてマグマが流れていた。

 アビスオーガの主な生息地がここのようだ。


 その次の世界は少し妙だった。

 紫水晶を主とした、鉱物に包まれた世界だ。


「今はいいが、帰り道は注意しろ。この世界では、後ろを振り返ってはならん。いいな?」

「怪談じみてきたな。わかった」


 数ある地獄(アビス)をくぐり抜けて、実際に書くかもわからない旅行本に思いをはせた。

 やがて目的地にたどり着いた。ここが白公爵の屋敷だろう。


 それは赤い黄昏に染まった、アビスの中にありながら異質な世界だった。


「ママゴトだと思え」

「ママゴトだと?」


「出された茶も菓子も、食わぬ方がいい。飲み食いする素振りだけすれば、主人も満足だろう」

「……わかった」


 地獄の飯を食べたら地上には戻れない。

 そんな伝説もどこかで聞いた。


「だが妙な世界だな。アビスのことは知らんが、アビスらしくない。いや、やはりアビスはアビスか……」


 しっかりと管理されているせいか、そこはアビスの中でも安らげる空間だった。

 だが間違いだ。淀んだ空気と、粘つくような気配は変わらない。


 暗がりには無数の血走った目玉があり、こちらを見つめてきていた。

 悪意は感じない。ただこちらを凝視している。ただそれだけのことだ。


「公爵様、アウサル――アシュレイ・グノース・ウルゴス皇子を連れて参りました」


 アウサルというのは称号や役職のようなものだろう。

 あの幽霊鍛冶師も言っていた。アウサルの子はアウサルであると。


 それはそうと草木まで赤い庭園に、車椅子の老人がいた。

 テーブルに腰掛けた彼の目が、俺に向けて静かに振り返る。


「貴方のおかげで、ようやく俺もお役目から離れられる。感謝する」


 守護者はそれだけ言って姿を消した。

 向こうの要求は会談だ。俺は白公爵の向かいのテーブルに腰掛けた。


 既に茶と菓子が用意されていたので、飲み食いする素振りを見せると、白公爵と名乗る老人が微笑んだ。


「なんと無謀な男だろうか。アビスの魔貴族の招待を受けて、地獄の底までやってこようとは……。フッ、フフッ……彼の報告以上だ……」

「アビスを旅する機会など、他になさそうだったからな」


「それもそうだな。お茶はどうかね?」

「いい香りだ、ここが地獄の底だとは思えん」


 つい口を付けたくなるほどの良い茶だった。

 飲んだら上に帰れなくなるかもしれない。そんな性質も加わってか、つい引き付けられる。


「……で、俺になんの話があるのだ?」

「若いな。何、ただその顔を見て、話がしたかったのだ。その目を見せてくれ、それと腕も……」


「いいだろう。同じ怪物同士だ」


 父上より賜ったレンズを外し、グローブを脱いだ。

 白い腕と竜の目。今はもうこれに忌まわしい感情はない。きっとジラントという同胞を得たからだ。


 白公爵は茶をテーブルに置いて、長い間俺を見つめていた。


「俺なんかに会いたいだなんて、アンタも相当な変わり者だな」

「そうかな。お前も歳を取ればわかる」


 白公爵が旨そうに茶を飲むので、羨ましくなった。

 せめて香りだけでも記憶に焼き付けよう。


 アビスに行って、最高の茶の香りを嗅いだと言っても、姉上も兄上も信じてくれないだろうが。


「悪いがヨルドやジュリアスのように、俺はそっち側には立たんぞ。アンタたちのせいでこ ちらは散々だ」


 話を進めよう。俺は老人の考えを読んで、先に忠告をした。

 彼は返事を返さずに、ただ静かにアビスの空を見上げる。気味が悪くなってくるほどに、空は赤々と輝いていた。


 ここは永遠に夕刻が終わらない世界なのだろうか。

 太陽がないのに赤く輝く空は、チカチカと不安定に光を強弱させる。


 氷地獄や炎地獄はよりもずっと、この世ならぬ不気味な土地だった。


「我々の目的は二つあった。どれも困難で、達成し難い夢だ……」

「過去形なのか?」


「ぁぁ……片方の夢はもはや叶わなくなった。残ったのは、このアビスから抜け出したいという、サマエルに騙され、この地に堕とされたあの日から変わらぬ、悲願だけだ……」


「それは困る。こっちはアビスの怪物に迷惑している。戻りたいと願われても、地上には俺たちの生活がある。共存は難しいだろう」


 こいつらは地上で暮らすにはあまりに強すぎる。

 もし戦いになれば、俺たちは征服されてしまうかもしれない。


「ククク……そうだな。我々は邪悪だ。だからサマエルも我々を裏切ったのだろう。我々神々を追い落とし、己が神とならんとした。ただ己の大切な者を守らんがためにな……」

「そんな昔話をされても、俺にはわからん。俺はただの人間で、ただの冒険者のシンザだ」


 赤い空をまた見上げて、それに飽きると物陰より見つめる目玉たちと睨み合った。

 茶も菓子も食えない。そろそろ苦痛になってきていた。


「頼みがある……」

「なんだ?」


「この汚染された大地にも、花を芽吹かせる土地がある。数百年前にこの地へと流れ着き、徐々に汚染され、緩やかに枯れ始めている土地だ。アウサルの末よ、その類い希な力で、汚れの渦を穿ってくれ……」


 それが本当の交換条件だそうだ。

 お安いご用だと俺はイスから立ち上がり、車椅子の老人の案内で、アビスの中にある楽園へと至った。


 信じられないほどに美しく、アビスにありながら清らかな世界だった。

 白公爵はこの場所を何よりも大切にしているようだ。


 その土地がアビスに飲まれ、徐々に変貌してゆく姿に、本心から心を痛めているようだった。

 アビスの連中とは共存できない。いずれまた戦うことになるだろう。


 だが塔に閉じ込められて育った俺にとって、楽園を望む彼らの気持ちは他人事ではなかった。

 だから俺は誠実に役目を果たし、けして後ろを振り返らずに地上へと戻った。


 サマエル、サマエルとつぶやく亡霊に背中から呼びかけられたが、ソイツは俺じゃない。

 俺はアウサルでもアシュレイでもない。今は冒険者のシンザだ。


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9月30日に双葉社Mノベルスより3巻が発売されます なんとほぼ半分が書き下ろしです
俺だけ超天才錬金術師 迷宮都市でゆる~く冒険+才能チートに腹黒生活
新作を始めました。どうか応援して下さい。
ダブルフェイスの転生賢者
― 新着の感想 ―
[一言] オルフェウスは妻を求めて地獄へ下った。 シンザは果たして何を持ち帰るのかな?
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