17-4 最果ての箱船
箱船はどこにあるのだと俺が聞くと、プレアに笑われた。
少し待てばわかると言われておとなしく儀式の終わりを待つと、俺たちは奇妙な空間に迷い込んでいた。
真っ白な世界だ。そこに一匹の蝶が飛んでいる。
それを追いかけろとプレアに伝えられていたので、この世ならざる世界を進んでゆくと、なんとその先が箱船の地だった。
「うっわ……何、ここ……。綺麗……」
「むぅ、ここが拙者たちの聖地か……」
「あのよー、おっさんここにいていいんかねぇ? なんかよぉ、場違い感マシマシなんだけどよぉー……?」
有角種の聖地、箱船の地は美しかった。
そこは透き通った空気と、輝かしい光に包まれていた。
だというのに空を見上げても太陽がない。
四方には天高くそびえる障壁が立ち並び、世界を狭く苦しく閉じこめていた。
その世界はあまりに清らか過ぎて、不自然で作り物めいて感じられる。
こんな場所にアビスに通じる門があるなど言われても、とても信じられない。
「俺たちに付き合ったのが運の尽きだ。最後まで付き合ってくれ」
「ああっそのつもりだぜ、あんちゃん」
「あっ、町があるよっ!?」
進んでゆくと住宅街にさしかかった。
ところが住民がいない。どの家を確認しても空っぽで、だというのに埃一つ積もっていない。
「変な場所だな……」
「変っていうより、怖いよこんなの……っ」
「こりゃ廃墟ってやつだな」
あまり気持ちのいい光景ではない。
それは人のいない楽園だ。快適な土地から、人が消えた理由に不気味さを感じずにはいられない。
「ここにいた連中は、ここでしか生きられなかったのだ」
振り返ると、消えていたはずのジラントが隣を歩いていた。
その声色には哀れむような響きが混じっていて、言葉につられて俺はもう一度四方を見回す。
この世界から出られない。外に出たら死ぬ。
少し想像してみるだけで、喉が息苦しくなってくる。
「かつての地上は神の毒に汚染されていた。ア・ジールの初代皇帝が世界を清めて回るまでは、古い種族たちは、自分たちの力を奪う毒から逃げて生きるしかなかったのだよ」
ジラントは誇らしげだ。初代皇帝が世界を救ったのだと、まるで自慢するかのような言い方だった。
色々と思うことはあるが、プレアから貰った地図を頼りに俺たちは道を進んでゆく。
美しいが寂しい世界だ。
箱船の地というよりも墓標のように感じられた。
「ここの者たちは、外の世界を憧れていたが、ここを出ることすら叶わなかった。その結果生まれたのが、この黒角の種族だ。他種族と、アビスの怪物すら自らに掛け合わせて、新しい有角種を生み出したそうだ」
「おおっ拙者より詳しいな、ジラちゃん!」
黒い角は純血の有角種ではないとジラントが言う。
そろそろ風景にも飽きて退屈になってきた。うんちく語りに付き合ってやることにした。
「ならば、その角の黒くない有角種はどこにいったのだ? 里の者は皆黒かったぞ」
「それなら拙者も知っているぞ。先祖たちはこの世界を捨てたのだっ!」
「それはおかしいだろう。世界が清められたのになぜ捨てる必要がある」
「そ、それは――それは知らん、ジラちゃんに聞けっ!!」
シグルーンの前にはジラントもただの小柄な少女だ。
なんの意味があるのかわからんが、女豪傑はジラントをお姫様だっこで持ち上げて、助太刀を頼むとすがった。
「……棲み分けたのだ。純血の有角種は、あまりに知能が高すぎたそうでな、最終的に有角種側が共存不可能と見なした」
ジラントは動じない。抗議をせずに涼しい顔だ。
「む、むむ……先祖の方が優秀なのに、なぜ先祖が世界を捨てる必要がある……? どういうことだ、ジラちゃんっ!?」
「古の有角種は、その気になればその知能と魔力で、世界を支配してしまえた。他種族と共存共栄するには、彼らは極端に優秀すぎたのだ」
意味が分からないとシグルーンは首を傾げた。
シグルーンの思考回路はかなりシンプルだからな……。
「俺ちゃんもわかるようでわからんわ。頭の出来が良過ぎる連中なんてのは、俺らから見りゃ、そんなもんなんだろうけどなぁー」
「末裔がこれでは先祖が浮かばれぬな……。つまりだシグルーンよ、そなたの先祖は潔く、そして誇り高かったということだ。支配する側とされる側が入れ替わるだけで、その繰り返しに嫌気がさしたのだ」
いい加減下ろせとジラントは暴れるも、シグルーンはいまだ首を傾げたまま拘束を解かない。
その傾げられた首が戻り、ジラントに向けられると、ヤツはこう言った。
「…………まったくわからん!!」
「ええいっこの単細胞めっ、いいからもう我が輩を下ろせっ!」
「それは断るっ、何せジラちゃんは抱き心地が最高だからなっ、わはははっ、スベスベだぁ~っ!」
「ぬぁぁぁーっ?! 神である我が輩になんたる侮辱っ、なんたる横暴っ!? 止めろっ、わぶっ、あっ、あのギャル里長に言いつけるぞーっ!?」
シグルーンの前には神も何もないようだ。
ジラントは胸に激しい頬ずりをされて、くすぐったいと悶絶していた。
「緊張感ねぇなぁ……。おっ、アレが例の入り口じゃねぇのか?」
「そうみたいだね。ほら前見てシグルーン様、地下に入るから前衛をお願い。じゃなきゃシンザに任せちゃうよ」
「それは困るっ、よしこれはお前にやるっ!」
「ぇ……うわぁっ!?」
言葉通りですまんが、ジラントが宙を舞った。
シグルーンが投げ捨てたのだ。さすがにそんなものを投げつけられてはカチュアが潰れる。
慌てて俺がカバーに入ったのは言うまでもない。
一応使徒らしいことをしておけば、後で機嫌がよくなるかもしれんからな。
「ど、どうということはない……そ、空など、飛び慣れておるからな、は、はははは……」
「ならすぐに立てるな」
「それは無理だ、腰が抜けておる……」
「おーい、早くしろー? 早くしないと拙者は先に行ってしまうぞー?」
さすがの傍若無人っぷりだ。
ジラントはその言葉に、怒りを燃え上がらせてこう言った。
『あの単細胞生物めっっ!! 力を取り戻したら、いつかケチョンケチョンしてやるぞ!!』
ジラント、それは直接に本人に言ってくれ……。
言ったら言ったで、シグルーンはじゃれてもらえる勘違いして、剣を抜くかもわからんがな……。




