17-3 アビスと呪われた子 - 災厄と共に生まれた娘 -
「確かに帝国が内戦に陥れれば、周辺の国々は苦境に立たされますね。だけど、最果てに住む私たちに直接の影響はありません」
「協力する理由がないか」
「ん……手を貸してあげたいですけど、そうもいかないというのが正しいです。はぁ……シグルーンからは、何も聞いていないのですね……」
「重ね重ねすまん。だが、アレが細かい事情を俺たちに話すと思うか?」
「ないですね……。では順番に説明いたします。ここはただの里ではありません。私たちは箱船を守護する民なのです。だから危険を冒したくないのです」
箱船。それは異界の物語にも出てくる言葉だ。
もっぱら舞台装置で、使われるような展開はあまり見たことがないがな。
「箱船か。いつかこの世界が滅びるとでも?」
「それはわかりません。箱船は世界に対する保険のようなものです。何かのきっかけで世界が滅びたその時に、新たな大地に種を芽吹かせるのが箱船の役目。そしてその箱船を守るのが、私たちなのです」
世界に対する不干渉。それこそが正しいとプレアは言う。
理屈は通っている。間違ってもいない。箱船というシステムは現在を救うことはないが、いつかの未来を救うだろう。
「バカを言えっ、敵の背後にはアビスの連中がいるぞっっ!! 反撃せずに、このままここに閉じこもってばかりいるバカがいるかっ!!」
「バカで結構。私たちは古の盟約を守るのみ。いざという時のために、有角種の技術を用いて、あらゆる種を残せ。ユラン様が私たちにそう命じたからには、それは絶対です」
急に思わぬ言葉が飛び出してきた。
それはたびたび比較されてジラントをイラつかせる、あの竜神ユランのことか。
「ならばもう一度言ってやる、このバカめっっ! ユランはそんなこと望んでなどいないっ、必ずア・ジールに手を貸せと、必ず言うはずだっっ!!」
「シグルーン、私たちは恩知らずのヒューマンとは違うの。永久の時が流れようとも、ユラン様の言葉は絶対に遵守されなくてはならない」
「そのユランが生み出したア・ジール帝国の危機であろう!」
なんの話なのやら俺にはわからなくなってきた。
どちらの意見も間違っていない。だからこそ説得が難しい。無理なようにも思われた。
「ククク……ユランか。ならば、我が輩の頼みならどうだ?」
最後の手段はジラントしかない。
その最後の手段が光と共に、書斎机の真上に顕現して書類の上に着地した。
ジラントよ、なぜアンタは目立つところ、高いところにわざわざ現れたがるのだ……。
足がインクで真っ黒になっても知らんぞ。
俺の思いをよそに里長プレアは目を見開き、竜の特徴を持つ少女に驚いて、己のイスから飛び上がっていた。
「そのお姿は、まさか、ユラン様……ッ!?」
「違う……。我が名はジラント。ユランとは――まあ、親戚のようなものだと思ってくれていい」
ユランは机から下りようとしない。
行儀が悪いと引っ張り下ろしたいところだが、蹴られるような気がしたので止めた。
「ふははっ、見ろっ、この竜が目に入らぬかーっっ!!」
「うわ、ぶったまげたわ……」
旅の間ジラントは姿を消していた。
そのジラントがいきなり神々しく君臨したとなれば、おっさんの驚きも当然だ。
一方の里長プレアは何やら深く考え込み、しばらくの間をおいて顔を上げることになった。
「ジラント様、でしたら交換条件があります」
「よいぞ、寛大な我が輩が、聞くだけ聞いてやろう」
「はい。お恥ずかしながら、箱船の地の奥底に、懸念が一つ残っています。その問題を取り除いてくれましたら」
「うむ、それで我が輩の威光にひれ伏すのだな?」
「貴女様が肩入れするアシュレイ皇子に、有角種の精鋭と、技術顧問と、世界に散らばる同胞への口利きをいたしましょう」
ジラント一人に彼女は態度を一変させていた。
俺から見ればただの、大食いで背伸びがちの少女でしかないのだが、プレアもジラントに神々しさを感じる口のようだ。理解できん……。
「最初からアンタが席に加わっていれば、こうも話がこじれなかったな」
「クククッ、物事にはタイミングというものがあるのだ」
そろそろ下りてくれと手を差し伸べると、ジラントは俺に向かって飛び降りてきた。
竜とは思えないその軽い身体を受け止めて床に立たせると、カチュアが羨ましそうにこちらを見ていた。
カチュアもまだ遊びたい盛りのようだ。
「で、俺たちは何をすればいい?」
「ユラン様と同格の存在ならば、アレを封じることができるかもしれません」
「なんだそれは、そんなの初耳だぞっ!? その時なぜ拙者を頼らなかったっ!?」
「……ぇぇ~? だってぇ~、言えばシグルーンのことだしぃ~。箱船の地に突っ込んでくのが見えてるしぃ~、だったら言うわけないしぃ~? みたいなぁー?」
「ええいっ、いきなりキャラを変えられると本気でイラッとするから止めろっっ! と、昔から言っているだろうっ、次は叩っ斬るぞ!!」
悪いがシグルーンに同意だ。
シグルーンの剣の柄を押さえながら、俺は調子の狂う里長にため息を吐いた。
シグルーンと仲がいいだけあって、化粧以上に性格が濃いな……。
「もう一度聞く。俺たちはどうすればいい?」
「その前に事情を説明します。……昔々、あまりに遙か遠い昔、私たちの先祖は、悪神サマエルの手により滅ぼされようとしていました。ユラン様がサマエルを裏切り、天の牢獄に封じたことで、天使に狩られることはなくなりましたが――とある事情により、先祖はこの最果てに逃げ込む他にありませんでした」
黒い角のある女が窓辺から里を眺めた。
ここは綺麗な里だが、別の見方をすれば鳥かごにも似ている。
古の約束が檻となって彼らをここに閉じこめていた。
少し同情――いや、共感めいたものを感じた。
「うむ、事実だ。創造主サマエルは生命を弄ぶ神だった。だからユランはついに見るに見かねて、大切な友人サマエルを裏切ったのだ」
ジラントは淡々とそう補足した。
「数ある種族の中でも、私たち有角種は最も知能に秀でた種でした。先祖は種族の存続のためにこの地へと技術をつぎ込むと同時に――悪神と人間に一矢報いる方法を模索し、数々の秘宝を生み出しました。そのうちの一つが今、ややまずい状態にあります」
「ええいっまどろっこしい! つまりどうすればいいだっ!?」
「箱船の地。その地下にある、アビスの大門を閉じてきて下さい」
「む、なんだそれは? アビスにでも繋がっているのか?」
「そう」
「わははっ、先祖はバカかぁ? そんなもの作り出してどうするっ、アビスにでも攻め込むつもりかっ!?」
アビスに攻め込む。そんな発想ができるのはシグルーンだけだろう。
そもそもアビスに通じる門があって、それが当たり前に開いていて、今も野放しにしているなど、俺たちにはとても信じられん。
「先祖は世界そのものを人質にしようとした。私たちを本気で滅ぼすつもりならば、この門を解き放つと」
「死なばもろともか……。恐ろしい手段だが、効果は確かだろうな。わかった、要求通りその門を閉じてこよう」
ラタトスクではスコップの全てを穿つ力で、アビスゲートをえぐり抜いて破壊することができた。
きっと今回もどうにかなるだろう。
「うむ、我が輩が手を下すまでもない。その程度、このアシュレイ皇子がどうにかしてくれるであろう」
「お願いします。アビスの存在ごときが、箱船の障壁を越えることなどできませんが、念のため不安を取り除いておきたいのです」
そういうことになった。
俺たちは準備を整え、しちめんどくさい儀式を受けた後に、最果ての有角種が守る箱船の世界へと入るのだった。
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◇
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・黒角
その年、有角種の里は怪異に見舞われた。
井戸が沸騰し、凶兆とされる白虹が空に浮かび、家畜が半人半獣の子を産んだ。
それだけではない。その年に生まれた赤子は全て死産となった。
里の者たちはこの恐るべき凶兆に震え上がり、愛すべき子たちが次々と死ぬこの悲劇に喘いだ。
そんな災厄の年に一人の赤子が生を受けた。
病で死亡した母親の母胎から、その子は自ら這い出すように世界に現れて、その年ただ一人の生きた赤子となった。
里の者はその赤子を呪われた子と畏れ、特に子が死産となった母親が辛くあたった。
お前がうちの子を殺した、お前など産まれてこなければよかったのに、と。
それでも赤子はすくすくと元気に育ち、いや元気に育ち過ぎて、不幸な生まれと環境にも関わらず、極めて剛胆で図太い非常に厄介な気質に育った。
だがその気質がまた、この地の者とそりが合わなかったのだろう。
呪いの子は、天より与えられた武芸の才で、里最強の男をたった13歳で打ち倒し、16で里を飛び出していった。その名をシグルーンという。
それでも帰ってきてくれてよかった。
無事な姿を見れて、本当によかった。
里の者がどんなに彼女を悪く言おうとも、私だけはシグルーンの友達だから――――みたいなー? マジで性格とか全然変わってなくて~、超うけるんですけどぉー♪




