15-3 約束のパエリア
昼過ぎの明るい日差しに、ナグルファルの海が白く輝いて見えた。
遥か南方の海は蒼ではなく、碧色をしているというのは本当なのだろうか。
キャラルにそんな話題を投げかけてみると、カチュアが船旅について行きたいと言いだしかねないほどに、強い興味を持つことになったのが印象的だ。
さて、そういったわけで俺たちは当時の懐かしいレストランに到着し、海の見えるオープン席に腰掛けた。
実際に触れると冷たい海水も、遠くから眺める限りは涼しげで美しい。
「お客様、ご注文はお決まりでしょうか」
「うむ、まずはパエリア6皿と――いや面倒だ、ここからここまで全部持ってこい」
ジラントさえ現れなければ、もう少し落ち着いた飯になったのかもしれんな。
だがあれほどまでにしつこく食いたがっていたパエリアを前にして、ジラントが自重などするはずもなかった。
「えっ、えーーーっっ!?」
「ジラント様……ッ!?」
「か、かしこまりました。パエリアから順番にお作りします……いえ、本当に大丈夫ですか?」
それは腹の方か金の方か、両方なのか。
返事の代わりに、俺は金貨をテーブルの端に滑らせることにした。
「ならば100クラウンほど先払いしておこう」
「いや、二人ともどんだけ食べるつもりなのさっ!?」
「俺はほどほどにしておくつもりだ。食い過ぎで沈みたくはないからな」
給仕は金貨を受け取って、慌てた様子で厨房に駆けていった。
腹八分目となると足りない可能性もある。もう少し注文しておくべきだっただろうか。
「うむ、そなたの代わりに、パエリア三人前は我が輩が食っておいてやる」
「待て、俺とアンタで二人前ずつではなかったのか……?」
「食い過ぎると沈むぞ」
エサ代のかかる邪竜もいたものだな……。
この調子で何かにつけてバカ食いされると、俺の財布の方が苦しくなってくるぞ。
「なんか思ってたより、ジラントさんって庶民的……?」
「ジラント様に失礼だよっ、カチュア……ッ」
「ああ、こんなのはただの腹ペコ邪竜だ。別に敬わなくてもいいぞ」
「このバカ者、食を舐めるな。何を始めるにも腹が減っては動けぬであろう!」
わざわざパエリアを食うために実体化したくせによく言う。
今度は食い過ぎるなよ、ジラント。
『はて、なんのことかわからんな。それはそなたの記憶違いであろう』
これから冷たい海水に入って、岩礁を削ろうというのだ。
頼むから自重してくれ……。
アンタのえづく声を、俺は船の上で聞かされることになるかもしれんのだぞ……。
◆
◇
◆
蒸しイカと生エビのシーフードサラダが食い尽くされた頃、待望の魚介のパエリアがやってきた。
「我が使徒のつまらぬ暴言は水に流そう……。これがパエリアかっ、美味いっ、美味すぎる!! うむむむっ、復活してよかったと、今日この日ほど感じた日はない……。これだっ、これがずっと、我が輩は食べたかった!」
もはや説明する必要もないが、ジラントはご満悦だ。
山奥育ちのカチュアも最初はおっかなビックリとパエリアをつついていたが、いざ口にすれば黙々と食事に夢中になっていた。
「ジラントさんって、シンザに似て食いしん坊なんだね」
「待て、なぜそこに俺をからめる……」
タコの唐揚げと同時に食いながら言っても、まともな抗議になっていなかったかもしれないな。
しかしタコを食う習慣はなかったが、こうして唐揚げになっていると、あの不気味な形状も連想しにくい。表面がサクサクで、中がコリコリして美味かった。
「あくまで復活のためだ。美味い物は、さらなる復活に有益なのだよ」
「へー、そうなんだ! じゃあ美味しい物、もっとたくさん食べないとね!」
ずいぶんと都合のいい構造をしているな。
素直に美味い物が好きだと、答えればいいものを。
「だけど本当に美味しいよ。うっ、でもこの黒いやつは、まずい……。シンザにあげる……」
「意外だな、オリーブは苦手か」
「ならば我が輩がもらってやろう」
カチュアの皿から、オリーブだけ次々とかき集めてゆくジラントを見ると、なんとも言いがたい心境になった。
「今、神の威厳が、9割ほど消し飛んだ気がするぞ……」
「問題ないぞ、我が輩の威厳は既に計測不能の域だ。9割消えようとどうということはない」
そうか。なんでもかんでも、自信満々に言い切れるのがアンタの凄いところだ。
だが貰ったオリーブを幸せそうにほおばるその姿は、神というよりもむしろ、人の庇護欲を誘う少女めいて見える。
「文句があるなら口で言え」
「わかった。そのパエリアを皿半分だけ分けてくれ」
「ククク……ワカメでも食っておれ」
「俺の金だぞ……」
お前にはやらんと、青髪の美しい邪竜様がパエリアの皿を抱え込んだ。
やむなく俺は、酢で味付けされた海草サラダをまた口に運んだ。
ああも美味そうに食べられると、他人のパエリアが欲しくなってくる。
ジラントは絶対に渡さんと、こちらを警戒している。食べ終わった貝に残った、貝柱一つですら譲らない構えだ。
するとどうしたことか、カチュアとキャラルが顔を向けあって、ふいに笑いあっていた。
「なんだか思ってたのと違うけど、こういうの楽しいねっ! はぁ~、やっぱりさ、こっちに帰ってきてよかったよ!」
「キャラルっていい人だね。気配りできる都会の人って感じで、うちの村にはいなかったタイプかも……」
キャラルはカチュアの村に興味を覚えたようだ。二人はコリン村についての話で、さらに会話を弾ませていった。
俺とジラントがパエリアの攻防をしているうちにな……。
新しく注文すればいい? そういう問題ではない。
ジラントが美味そうに食べているからこそ、今食ってるやつを分けてほしくなるのだ。
「あ、このフルーツのシロップ漬け盛り合わせ、二人で一緒に食べない?」
「そんなのもあるんだ……。注文してもいいかな、シンザ……?」
「俺たちは仲間だ、遠慮しないでくれ」
聞くからに甘ったるそうなメニューだ。
キャラルが勧めるということは、まず間違いないやつだ。
「うむ、そこは我が輩を含めて三人前にしろ」
「だから食い過ぎるなと言っただろう、ジラント! これから俺たちは船に乗るんだぞ!?」
「問題ない。我が輩は無敵だ。船酔いなど返り討ちにしてくれよう」
もはやフラグにしか聞こえんぞ……。
なら先に言っておく。吐くなら海にしろ、もう二度と、俺の精神の中で吐くな……。
その後、白桃とオレンジ、リンゴ、マンゴーとパイナップルをシロップ漬けにしたデザートを、彼女たちは目を輝かせて平らげた。
味か? 俺には甘過ぎた。生クリームとベリーまでたっぷり乗っていて、ジラントの胃液の逆流が心配になったのは言うまでもないことだ……。




