15-1 或る男の狂気 / 真夜中のエリン - 天に代わって -
まっすぐにプィスの書斎を訪ねると、そこに珍しくも眼鏡をかけたプィスがいた。
その鼻あてが俺を確認するように上げられたようだ。
「アンタ、眼鏡もかけるんだな。妙に似合っている」
「それは嬉しいですね。実はこれ、ゲオルグ様が下さいまして。日用使いには度がきついですが、書類仕事にはなかなかいいのですよ」
仕事机に書類の山が積み重なっている。
つくづく、プィスの存在に感謝しなければならない分量だった。
「プィスには感謝しきれないな」
「ふふ……アトミナ様にも同じ言葉を差し上げて下さい。……ところで、なぜ正装をされているのでしょう?」
「ああ、生乾きの服で帰ってきたら、姉上に臭いと取り上げられたのだ」
「フフフフフフ……それはまたおかしい、ハハハハハ……ッ!」
「そんなに笑わなくてもいいだろう……」
「女性は男性より嗅覚が敏感ですからね。宮殿暮らしのアトミナ様からすれば、仕方ないのでしょう」
香水でも買った方がいいのだろうか。
だがそれはそれで、特徴的な匂いが付くので潜伏に向かないな。
「やはりそういうものか。ユーミル嬢は何も言わなかったのだがな……」
「ユーミル……それはどなたです?」
「フィンブル公爵家の令嬢だ。よくわからんが、皇帝に会いたいと言うので連れてきた」
「ふむ……気になりますね。後でゲオルグ様に聞いてみましょう」
「勝手にやってくれ。俺は興味ない」
何か皇帝を巻き込んだ計画があるのかもしれん。
だが勘ぐるだけムダだ。伝える必要があれば、向こうから接触してくるだろう。
「しかし……ベルゲルミルの影が始動して早々に、また姿をくらますとは困った方ですね……」
「俺はお飾りだ。いてもいなくても同じだろう」
「そうですね。そうもいかない場面も多いですが」
「俺は兄上と姉上の影だ。表に立って映える人材ではない」
「そこは……まあ、そうですね。あの二人は陛下によく似て、それにとても美しい。まさに帝国の宝ですよ」
同感だ。俺はプィスに同意の微笑みを向けた。
兄上と姉上は帝国の宝だ。俺がもっとがんばれば、その二人を守れるのかもしれない。
「それよりここ数日の報告をする。兄上にも伝えてくれ」
「ええ、それは命じられるまでもないことです。ゲオルグ様とは、極力全ての情報を共有するようにしています」
「助かる。では聞いてくれ、帝都を発った俺は――」
自分の体験談にこう評するのも妙だが、面白おかしい話だったのもある。
そこでできるだけ丁寧に、今回の一部始終をプィスに伝えた。
「初代皇帝のスコップと、その個人的な遺産に、ジラント様がおっしゃっていた、伝説の地下隧道ですか……。あまりに壮大過ぎて、これは頭が思うように働きませんね……」
「そういうことを言うと、あの出しゃばりがまた顔を出すから、そこはわかっていたことにしてくれ」
見られていることには慣れたが、いきなり現れて、こちらの意図と異なる行動をされると俺も戸惑う。
調子が狂ってあまりいい気分ではない。
『そう言うからには、その気はなかったが口を挟んでもいいぞ』
止めてくれ、俺は早く部屋に戻って寝たい。
『うむ、そこは同意だ。今日は疲れたから止めておこう』
疲れるようなことを、アンタがしたようには見えんがな。
皮肉を言ったつもりだが、ジラントは反論もせずに引っ込んだようだった。
「まあアシュレイ様の能力を用いた計画の、前提条件がそろったと喜びましょう」
「そうだな。これでやっと動ける」
「古の地下隧道と、財宝の輸送隊については、ヤシュさんをリーダーにして、夜目の利く獣人族を頼りましょうか」
「ヤシュを使うのか? ヤシュは大使補佐だろう」
「フィンブル公爵家は、帝国にありながら古くより独立した権限を持っています。ここは新米外交官に任せてみましょう」
獣人の国のカーハ王が俺たちに賭けるというのだ。
シグルーンいわくライオン丸こと、ベガル大使も配役に文句など言わないだろう。
「さて、でしたら今度は私から貴方に報告ですね。まあ、報告といっても、たった五日でできることなど限られています。組織が組織として動けるよう、まだまだ整備が必要といったところです。それを粛々と進めておりました」
プィスが眼鏡を外してしまった。
似合うが、やはり度がきついのだろう。気になったので拝借してみたが、きつい。俺には当分必要なさそうだ。
「妙に似合いますね……」
「そうか?」
「ええ、とても妄想を……ではなく。話の続きです。粛々と進めると同時に、こんなものをご用意いたしました」
「これは……。これはまた、いつの間にこんな物を……」
それは数枚の紙だ。見出しには達筆にこう記されている。
[天に代わって地獄を見せるべき、許されざる悪党リスト]
そこには人名と罪状が列挙されていた。どうやら☆が多い方がより悪党らしい。
「今のエリンは、実は資金難でしてね。開拓やプロジェクトを進めようにも、その金がありません」
「だから悪党から金を盗んでこいと?」
皇帝アウサルの遺産もすぐには換金できない。
存在していることを把握するのに往復で7,8日、フィンブル公爵家とのやり取りから、実際の運搬まで含めるとまだまだかかる。
「ええ、シグルーン様とキャラル様のあのプランは、なかなかに悪くありません。最優先するべきでしょう」
「世知辛いな……」
「誰だって明日の生活がかかっていますからね」
「そうだな、財源をまず確保か……。ただ問題はどいつを狙うかだな」
プィスの隣に移動して、一緒にリストへと目を落とした。
それはなんとも、読めば読むほど気分が悪くなってくる書類だった……。
「オススメはこの男です。騎士コッドウォール卿。騎士団を束ねるヨルドの金庫番です」
「ヨルドの仲間か……」
ヤツはゲオルグ兄上を斬りたがっている。
帝国の未来はさておき、最もシンプルな意味で、ヨルドは俺たちの敵だった。
勢力を弱体化させておいて損はない。
「騎士と名乗っておりますが、コッドウォールは騎士の位を金で買ったお抱え商人でして――問題は、娶った妻が1,2年刻みで病死している点です。噂では新しい女ができるたびに、古い女を殺している異常者だとか」
不快な話だ。そんな異常者を腹心の一人にしているヨルドもヨルドだ。
「本当なら祟られてしかるべきクズだな。だがなぜそれが罰されない……?」
「あなたならおわかりでしょう。それはヨルドの金づるだからです。この男もまた、ヨルドの権力をあてにする、いわば共生関係というやつですね」
本当ならば野放しにはできない。
こんな情報を5日で手に入れてくる、プィスの手腕も手腕だ。
「つまり典型的な、法では裁けない特権階級か」
「はい。しかしこの男を守っているのは、金とコネです。金さえ奪えば、彼は自滅します。そして貴方は、彼を貶めるのに十分な力を持っています」
プィスは高潔なゲオルグ兄上とは異なる、俺に近しい部分があるようだ。
汚れた方法を使ってでも悪に天罰を下す。その思想に共感して、彼は意地悪に笑っていた。
「ゲオルグ兄上が聞いたら、怒り散らしそうな計画だな」
「ええ、これは私たちと貴方との間の秘密にしましょう。やっていただけますか?」
「……そうだな、俺の方からもコッドウォールについて調査してみる。確信を得たら実行しよう」
「おや、私の調査ではご満足いただけませんか……」
せっかく調べたのにと、プィスは見るからに不満そうだった。
俺の手間を省こうとしてくれたのだろうな。
「そういう問題ではない。手を汚すからには確信がほしい」
「いえ、このリストにグレーはいません。これは99%の黒です」
私刑にしようというのだ。
このくらいの傲慢さがなければ、こういった汚れ仕事はつとまらない。
内心で言えば、俺もこの悪党から、すぐに全てを根こそぎ奪ってやりたい。
「アンタがそう言うからにはそうなのかもな。それと、盗品をどう運ぶかも問題だ。ヘズ商会の船に運ぼうにも、ナグルファルを経由すると、余計な足が付く可能性が高まるぞ」
「それは――それもそうですね……。軽率でした」
プィスは謙虚な男だ。ならばどうしたものかと、俺の代わりに考えてくれた。
俺より頭がよくて、しっかりと勉強をしてきた男だ。だから頼もしい。
だがこの男におんぶに抱っこなのも、どうかと思う。
自分でも考えてみよう。
「ならばあの計画を先行されてはどうでしょう。エリンの崖と岩礁を削り、船が近寄れる場所を作るという、本当に実現できるか、信じがたいプランですが――ヘズ商会が抱えるリスクを考えれば、実行してみて損はありません。おや、どうされましたか?」
「俺がやろうと思っていたことを、先に言うな。やる気が削がれる」
ところが発想がかぶっていた。
というよりも、他になかったのかもしれん。
「フフフ……私はあなたのファンですから、同じ思考ができて光栄です」
「……そうか」
不快とは言わんが、ファンというのは業が深いな……。
しかし悪くない。これなら盗んだ財宝を、ナグルファル港を経由せずに持ち出すことができる。
キャラルたちが盗人にされては、寝覚めが悪いからな。これくらいやっておくべきだ。
「まあいい。ところでプィス、散歩に行かないか? もう夜も遅い、あまり根を詰めるな」
「いえ、それは違います。私は貴方の代わりに、こうして徹夜をしているのですよ」
プィスの皮肉屋っぷりは相変わらずだ。
そうだな。俺がもう少し領主らしくしていたら、アンタは楽ができただろう。
だが断る。俺には向いていない。だからアンタを選んだ。
「ならば散歩など止めるか」
「いえ行きましょう。そうですね、貴方が塔を出た頃の、やさしかったゲオルグ様の話をして下さい。それだけで、私は一週間は元気に働けますので」
「まあ、それは別に構わんが……」
むしろ当時の兄上の話は、俺の方がしたいくらいだ。
素晴らしい理想の皇子だった。哀れなアシュレイに、兄上と姉上は分け隔てない手を差し伸べてくれた。弟として俺を扱ってくれた。
そのことに、俺と爺がどれだけ救われたことか……。
「本当ですかっ!? なんでも言ってみるものですね!」
「ああ、昔の兄上はアンタの想像以上にやさしかった。繊細な気配りのできる、まさに皇子の中の皇子でな……。活発なアトミナ姉上とは対象的に、陰ながら人を支えるのが上手な、ひかえめというか、人と人の仲を取り持つようなタイプだった」
プィスとはその後、屋敷に戻るのが惜しくて、庭で小一時間語り合った。
話のネタは、もちろんゲオルグ兄上とアトミナ姉上。それと芋だ。
「アシュレイ様、芋の話はもう結構です」
「いや語り足りない。サトイモという品種を知っているか? まだ食ったことはないのだが、これは――」
サトイモ……。どこかに埋まっていないものだろうか。
サトイモは俺の憧れだ……。




