15-1 或る男の狂気 / 真夜中のエリン - かしまし -
己の領地に帰った頃には、もう立派な夜更けだった。
だというのに俺を見つけるなり、メイドは歓迎もせずに屋敷の奥にかけていった。
どうやらメイドはそうするよう指示されていたようだ。
歓迎は自分がすると言わんばかりに、アトミナ姉上とキャラル・ヘズがエントランスに飛び込んできた。
「もうアシュレイッ! こんなにかわいいキャラルちゃんをおいて、どこに行ってたのよっ!」
「うん……。いきなり放置されるとは、さすがに思ってなかったかな、私も……」
せっかく身だしなみを整えて戻ったというのに、ひどい言いぐさだ。
俺が突然に姿をくらますのは、いつものことだ。そこは諦めてほしい。
民には見せられない姉上のふくれっ面と、俺にあきれるキャラルの顔を確認して、返事の変わりにまずスコップを突き出した。
「あら、それって……」
「ああ。鍛冶師が見つからないので、ジラントの勧めでフィンブルに行ってきた」
姉上がスコップを受け取って、不思議そうに黒塗りの金属塊を眺める。
キャラルも商人だ。興味を覚えたようだった。
「え、たった五日で? ああ、アシュレイって皇子様だから、凄く速い馬持ってるんだね」
「いや、走ってきた」
「へー走ったんだー……。はぃ……?」
「ごめんなさいね、キャラルちゃん。アシュレイって変わってるでしょ……」
知らんうちにずいぶん仲良くなっているな……。
性格的にどっちも陰陽の陽であることから、気が合うのだろうか……。
「それってまさか、自分の足で、ってつもりで言ってる?」
「まあそんなところだ」
エントランスから奥をみた。時間帯もあって照明は最小限のようだ。
確か空き部屋の大半を、獣人の軍勢に割り当てることになっていたはずだった。
「プィスはいるか?」
「彼なら書斎にいると思うけど、ダメよ、アシュレイ。その前にキャラルちゃんの相手をしてあげなさい」
「それはなぜだ?」
「もう、そこは聞き返さないで、お姉ちゃんの言うとおりにしなさい」
姉上がらしくもない命令口調を使った。
姉上がそこまで言うならば、逆らう理由はない。早くプィスに報告したかったが、キャラルに目を向けた。
「い、いいですアトミナ様っ、アシュレイがこういうやつなの、わかってますから……。あっ、それよりそのスコップ、私にも見せて下さい」
「はい、どうぞ♪」
「ありがとう、アトミナ様!」
姉上から受け取ると、商人キャラル・ヘズが先祖の残した謎のスコップを鑑定し始めた。
どうやらかなり気になっていたようで、キャラルは入念に観察して、余すところなく撫で回しだす。
「うわ、私こんなの見たことない……。だけど、凄い完成度……。これがあの魔霊銀で作ったヤツ?」
「違うな。実は色々あって、それは拾ったやつだ」
「いや、こんなのそこいらに落ちてるわけないでしょ……。でもっ、これはいいものだよ! 特にね、材料不明なところが凄くいいっ、ロマンがあるよっ!」
「それは俺もわかるな。実はな、それは先祖――それも初代皇帝が使っていたやつらしい」
キャラルの鑑定眼をもってしても、先祖のスコップは正体不明だそうだ。
「ふふふっ……ならアシュレイは先祖帰りなのね。ん……そうだわ、これからみんなで夜の散歩に行きましょ?」
「散歩……? ん……アシュレイがイヤじゃないなら、それも悪くないかな……」
何かねだりたい物でもあるのだろうか。
キャラルがチラチラと俺を見る。商会としての商談か何かだろうか。
「わかった、付き合おう。服もまだ生乾きだからな……」
「やっぱり。どうりで変な匂いがすると思ったよ……」
「はぁ……。アシュレイッ、臭い服のままで、女の子に会っちゃダメよっ。もう大人なんだから、ちゃんとしなさい! じゃないと逃げられちゃうじゃない、もぅ……」
姉上が妙に厳しい言葉を使った。
放蕩の限りを尽くすところには文句を言わないのに、そこは譲れないのか。基準がわからんな……。
「で、行くのか行かないのかどっちなんだ?」
「行こっ! アトミナ様も一緒に!」
「あら、だけどお姉ちゃんは邪魔じゃないかしら……」
「そんなことないですっ、アトミナ様が一緒だと頼もしいです!」
「ふふふ……。ねぇねぇアシュレイ、この際だから、この子にしておきましょっ!」
なんの話だ、姉上。そう言おうとしたが、止めた。
これはきっと異界の本にあるところの、藪からスネークだ。
◇
◆
◇
夜の散歩とは聞こえはいいが、屋敷の周りをぐるりとふらつくだけだ。
帝都では遠い星空も、ここエリンでは存在感があった。
姉上に持たされたカンテラを頼りに、俺たちは空ばかり見上げて夜の澄んだ空気を吸った。
これも帝都ではなかなか味わえないものだ。
「もう少し早く歩かないか? 今日中にプィスに報告したいことがあるのだが……」
「それなら大丈夫よ。あの子、毎晩夜更かししてるから。……アシュレイの部屋でね」
「そうか、それはよかった。……待て、俺の部屋で、だと……?」
「そうよ。何をしてるのかしらねぇ~、ふふふっ♪」
さらりと出てきた情報だが、これは聞き捨てならない。
当然だ。自分の部屋に男が住み着いていると聞いて、喜ぶやつなどいない。
「そういう言い方意地悪だよ、アトミナ様。プィスさんは、アシュレイの本を読んでるみたい。あの人凄いね、異界の言葉がわかるんだね!」
「ああ……そういうことか」
プィスは仕事をしているのではなく、よからぬことをしているわけでもなく、ただ単に俺の部屋を図書館にして入り浸っているだけだった。
確かに、逆の立場になってみれば俺だってそうするだろう。
暇な夜に、娯楽性の高い異界の本は欠かせない。
「ところでアシュレイ……臭いわ」
「まだ言うか姉上……」
「そうだ、私の香水使う? 沿海州で買った少し珍しいやつがあるよ?」
「……止めておく。プィスに余計な勘ぐりをされそうだ」
「あらっ、つまりそれって……既成事実というやつねっ!」
「ア、アトミナ様……ッ」
「よくわからんがぜんぜん違うと思うぞ……」
なぜそんなにはしゃいでいるのだ、姉上。
キャラルを気に入ったようだが……ヤシュやドゥリンに向けるものともまた何か違うな……。
期待が混じっているというか……。
「ならそうだわっ、キャラルちゃんに領主様らしい姿を見せましょ」
「落ち着け姉上……。それに領主らしくと言われてもな。つまりどうすればいい?」
「ふふふっ、お姉ちゃんに任せて、アシュレイ!」
「アトミナ皇女様って、思ってたよりずっと明るくて手強い人だよね……」
ゆっくりと俺たちは夜の散歩をした。
◇
◆
◇
◆
◇
「ぉぉ~~……なんか一気に気品が出たような……!」
「そうよねっ、やっぱりそうよね! これね、ゲオルグのお下がりをね、私とドゥリンちゃんがねっ!」
長いので以下略だ。姉上の思い付きに乗ってみれば、ただ単にかしましさが増すだけだった。
しかしプィスは俺の部屋ではなく、まだ書斎の用だ。
早く報告をしておきたいと断って、俺は部屋に姉上とキャラルを置き去りにした。




