11-7 杭の町ラタトスク - 田舎者の宿命 -
東の空がまるで絵画のように淡く燃えている。
帝都より出発して三日目、俺たちは西の地方都市ラタトスクに到着していた。
「わぁ……。なんか賑やかな町だな……」
今のカチュアは特に落ち着きがない。そのラタトスクの外壁をくぐりなり、コリン村のカチュアはあふれる好奇心に、市内のあちこちを見回していた。
人の多い大通りだというのに、彼女はやたらとよそ見が多く、そのせいで何度も人にぶつかってはそのつど律儀に謝っている。
「カチュア、こんなことを言うと保護者がましいが。取りあえずは前を見て歩け」
「うん……でも不思議な町だからつい。あっ、ごめんなさい」
今度はふくよかな女性に背中から当たってしまったようで、押し飛ばされた元村娘を俺は止むなく腕で抱き支えた。
それでもカチュアは見物に夢中で、懲りずにまたよそ見をしながら歩き出す始末だ。
こんなことをあまり言いたくはないが、ここはあえて言おう。
アンタ、田舎者丸出しだぞ……。
「ふふふ……少し変わってますよね、この町。ここは杭の町と呼ばれています」
そんなカチュアにユングウィ神父が声をかけた。
どうやら俺たちに観光案内をしてくれるようだった。
「杭?」
「迷宮のことです」
「ああ、言っていたな。確か迷宮に近い場所は、アビスに繋がると」
だから彼女たちは清貧な財布から1000zも支払って、シンザとカチュアという護衛を雇ったのだ。
「それは仮説です。ですがこうも頻繁にアビスの怪物が発生していると、否定もしにくいようですね……」
「否定も何も、この都市の有り様を見ればな」
都市ラタトスクは高い城壁に囲まれていた。
その外側の耕作地にも大げさな柵が立ち並び、それぞれの住民が己の畑や家を守っている。
「シンザの作ってくれた堀みたいなのもあったね。郊外の方はなんかちょっとだけ、コリン村を思い出すよ」
「懐かしいな。それで杭というのは、アレのことか?」
目前にそびえるそれは嫌でも目に付いた。
その都市の中央には一本の白い杭が突き刺さっており、それが城壁よりも高くそびえていたのだ。
あんな物が大地に突き刺さっていたら、ここを杭の町と呼ぶ他にない。
「わっ、な、何アレッ!?」
「あれだけ騒ぎ立てておいて、気づいてなかったのか……」
杭は都市のオブジェにしてはあまりに巨大だ。
まるで剣のような十字の杭が夕刻前の日差しを受けて、白くチカチカと空に浮かび上がっていた。
「このラタトスクには、合計で13の巨大な杭が地中深くまで突き刺さっています。近辺の冒険者たちは、それぞれ一攫千金を夢見て、杭から地中に広がる大迷宮に挑むのです。それが杭の迷宮都市ラタトスクになります」
この都市については旅行本で読んだことがある。
財宝を吐き出す迷宮と、杭の突き刺さった土地を持つ不思議な土地があると。
しかし実物は誇張以上だ。意味不明としか言いようがないほどに、中央の杭はあまりに巨大だった。
「へー、あれがそうなんだ! ぁ……でも仕事中だっけ……。あーあ、こんな時じゃなかったら、シンザと一緒に挑戦したのになぁ……」
「その気持ちはわかる、俺も腕試しには興味がある。だが迷宮から財宝が得られるなど、それこそ得体の知れん話だな」
ちょうど今通り過ぎた店では、クズ宝石と書かれた看板の下に、色とりどりの宝石が並んでいた。
混合物が多かったり、割れていたり、濁っている物が安値で売られていた。
「そうかな? ていうか、シンザはワクワクしてこないのっ!? オレ――じゃなくて、アタシ、迷宮に挑戦するのも夢だった! 迷宮の深いところには、凄いお宝があるんだって!」
「わかったわかった、ならそれは帰りにな」
「ほんとっ!? わぁいっやったぁーっ、約束だからね、シンザ!」
他にも薬や貴金属、延べ棒まで迷宮産と銘打って売っているのだから、どうも奇妙な土地だ。
この都市ならではの流通物を眺めていると、俺もカチュアにつられて危険な腕試しをしたくなった。
どうせ俺の命は軽いからな、帝国を去る前に挑戦してみるのも悪くない。
死んだら死んだでその時だ。
何気なしに町並みをもう一度眺めれば、あの旅行本の通りの情景が広がっている。
アビスの怪物が現れる危険な土地だが、都市ラタトスクは冒険者と交易商人で絶えず賑わい、人々をたくましく生かしていた。
人は杭から繋がる世界を迷宮と名付けて、得体の知れない富に群がり、ここに安全な都市を作りだしたのだ。
率直な感想を述べれば、不可解でミステリアスな土地だ。
こんなおかしな町、帝国広しと言えど他にないだろう。そのくらい彼らは、アビスの怪物と迷宮の富を、常に隣人にして日々を生きていた。
◇
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◇
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◇
思い返せば野宿やらベンチやら、寝床に恵まれない日々が続いていた。
しかし今日ばかりは違う。ラタトスクの聖堂には、彼ら巡礼者たちのための宿泊施設があるそうだ。
ユングによると食事も無料で、人数分のベッドも用意されている快適な宿舎らしい。
ところが聖堂にたどり着くその前に、俺たちはまた騒動にぶち当たることになった。
いや、むしろそれは自然災害や、天変地異と呼んだ方がいいかもしれん。
バザーの立ち並ぶ白い石畳の通りを歩いていると、ふいに男の絶叫が聞こえた。
「アリだぁぁーーっっ!!」
悲鳴にも等しい叫びだった。その狂乱の混じった言葉は、よく燃える油のようにここラタトスクの民に飛び散って、たちまち人々は逃げ惑い始めた。
俺たちにとっては意味不明な叫びも、この地では危険な意味を持つらしい。
「え、アリってなんのことさ!?」
「逃げましょうシンザさん、あれは――あれは恐らく、アビスゲートです!」
ある一点を中心に市民は放射状に逃げ出した。
そこに目を向ければ、人が通れるほどの奇妙な穴が生まれている。
それがアビスゲートだそうだ。
まるでその穴そのものが別の空間に繋がっているかのように、穴の向こうには、地中ではなく岩盤の世界が広がっていた。
「私たちは下がります! さあ早くあなたもたちも!」
「えっ……な、何あれっ!?」
その穴から、確かにアリが現れた。
人を超える体躯を持った、鎧のような肉体を持つ巨大アリだ。
真っ先に動いたのはカチュアだ。弓を引き絞る物音が隣で響いたかと思えば、すぐさま怪物に弓を放っていた。
決断の早さに感心したが結果の方はかんばしくない。
矢尻が胴体を打ち抜くはずが、硬い外骨格に浅く突き刺さるだけだった。
醜い巨大アリの装甲は、鉄の矢じりなどものともしなかったのだ。
「ヤバッ、アイツ弓が利いてないよ!?」
「逃げ出すどころか、真っ先に先制攻撃に入るとはな。手の早い後衛もいたものだ」
そんな後衛を、協調性がないと怒るやつもいるだろう。
だが俺は好ましいと思う。先制攻撃こそ勝利のイニシアチブとなるからだ。
「だって身体が勝手に動いちゃって――うわっ、アイツこっちにくるっ!!」
「アンタが挑発したからな! だが俺たちの役目は巡礼者の護衛だ、あんなものさっさと片付けるぞ! それとさっきのはいい感じだ、次はもっと柔らかい急所を狙え」
「う、うんっ!」
その別世界から現れたアリは、背丈こそ俺の腰ほどの大きさだったが、体長となると4割増しほどもあった。
それは蟲だ。堅い外骨格による肉体を持つ、獣より厄介な者どもが市街に現れた。




