虚構の季節 一
一
教室は不安を象徴するような暗さであった。静謐な雰囲気に、鉛筆の描く音が聞こえる。
学生はデッサンに集中していた。静物デッサンであった。皆、円錐や円柱をひたすらデッサンしている。
黒河 葉庭は溜息して、殴り描きのようなデッサンを描くのを辞めた。授業の終わるチャイムが鳴った。
黒河は、芸術家ではなかった。
人間らしく、生きようともがく、ひとりの学生であった。
橘が、黒河のところへ来て、
「よく描けてるじゃない。」
と言った。
「下手だよ。全然描けてないよ。」
と黒河は言った。
藩澤が来て
「上手いじゃないか。」
と黒河に言った。
「二人とも辞めてくれよ。」
黒河は辟易してそう言った。
授業は終わった。皆それぞれ、帰り仕度をして帰っていく。・・・・・・
黒河もまた、校舎から出て行った。地下鉄は森閑としている。サラリーマンや学生で賑わっている。
黒河は孤独であった。虚構の主観に生きていた。それが、永遠に続くことがないことを彼は知っていた。・・・・・・
黒河は人生を虚構と思っていた。
しかしそれは、間違いであった。彼は彼の障害を、心の陰影を埋めるための、永劫に続く虚構だったのだ。
彼は人間らしく振舞っていた。しかし、嗚呼、かれは人間ではなかったのだ。・・・
二
黒河は、或る不吉な病院から出てきた。
精神科の病院である。
彼はもう人間の資格が無かった。人間ではない。鳥でもない。獣でもない。
彼は発達障害と医師から宣告された。
黒河は、虚構の自身を、芸術と学問で埋めようとした。
彼はひたすらにデッサンをした。美術教師に頼んで指導も受けた。
黒河は自分には孤独な訓練しか無いことを悟っていた。
殴り描きのようなデッサンを描きながら、彼には芸術家とは無縁の人間であることを知ることに時間はかからなかった。