そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)vol,02<chapter,07>
本部に戻った彼らは、全員、有無を言わさず医務室に放り込まれた。
治癒魔法を用いれば外見上は完璧に、短時間で傷を治すことができる。しかし傷口から雑菌が入っていた場合、破傷風や敗血症で命を落とすこともあるのだ。念には念を入れて、全身、徹底的に検査されてしまった。
今は衣服を丸ごとはぎとられ、検査用のローブを着せられた状態である。大量に採血されたため、四人は検査室前の長椅子でぐったりと座り込んでいる。当分はこのまま動けそうにない。
「まったく、お前らときたら。いったい何がどうして、幽霊屋敷の調査がホムンクルスなんてトンデモ論文の実証になってしまうのだ?」
呆れた顔でそう言うのは特務部隊長サイト・ベイカー。少女のように可憐な顔も、今は疲労の色が隠せない。ロドニーらが検査を受けている最中、彼は関係各所に連絡を入れ続けていたのだ。今頃は魔法省の機動調査班があの屋敷に到着し、例の装置が本物か否か確認していることだろう。
「いやぁ、隊長。それがですね……」
事の顛末を詳細に話すのはロドニーで、時折ゴヤが霊についての解説を入れる。そして最後に、マルコとデニスが爆弾を持って脱出したときの様子を説明する。
「……と、いうわけでして。ゴヤさんの浄霊の様子を見ながら、僕とマルコさんで、どうにか外に持ち出した感じです」
「そうか……なるほど。だいたい分かった。それで? 当主が寝転がっていたという草原に心当たりは? そこと似たような景色を見たことはないのか? 当主の遺骨が発見できれば、ホムンクルスの実在を裏付ける確かな証拠になるのだが……」
四人は一斉に首を振る。
あのとき四人は、同時に同じ光景を見ていた。
青々と茂った草原がどこまでも続いていて、からっと晴れ渡った青空で、太陽が眩しくて――そんな条件に当てはまる草原なら、セントラル郊外にいくらでもある。だが、ホムンクルスの活動限界時間、二日以内に移動出来て、それからずっと死体が発見されない草原となると、幾分か絞り込むこともできるかもしれない。
ベイカーは難しい顔で考え込み、ややあって首を横に振った。
「駄目だな、候補地が多すぎる。やむを得ん。時間はかかるだろうが、それらしいところを虱潰しに捜索させるか……」
ベイカーの言葉に、ロドニーが意見する。
「王家直轄地の、第二十三号特別区はどうでしょう?」
「二十三号? ……というと、西側のあれか?」
「はい。だってあそこ、もともと住んでいた狩猟民以外の居住が認められていないじゃないですか。その狩猟民だって、三十年くらい前の感染症の大流行で人口激減したはずですし……」
「確かに、あそこなら遺体は発見されないかもしれんな。土地面積の割に人口が少ない」
「あと、たぶん、俺の予想で間違ってないと思うんですけど……」
「なんだ?」
「放牧地ではない草原です。羊が食うと中毒起こす『ドクハコベラ』がいっぱい生えてました。ウサギとか野ネズミの気配はあったんで、アカギツネを獲って生計を立てている狩猟民なら暮らしていける感じだと思います。草丈もかなり高い感じでしたから、死体の一つや二つ、簡単には見つからないでしょうし……」
「ロドニー」
「はい?」
「お前の観察眼はどうなっている?」
「あ、すみません! 五感がゴヤの水準だから、匂いとか音とかはほとんど分からなかったんで、この程度の憶測しか……」
「逆だ! 逆! 怒っているのではない!」
「え?」
「すぐに治安維持部隊に捜索させる。ほんの数分で、よくぞそこまで見てきてくれた。さすがは特務の絶対的エース」
ベイカーはロドニーの頭を抱き寄せると、何の遠慮もなく、髪をワシャワシャと掻き回す。その動作はまるきり『犬を可愛がる飼い主』である。
普段は気さくにふるまっているロドニーだが、彼は人狼族。強く、気高く、何よりも掟を重視する。そんな誇り高き人狼族相手に、こんな無礼な真似は許されない。この後、いったいどんな惨事になることか――肝を冷やすマルコに、ゴヤが小声で耳打ちする。
「大丈夫ッス。先輩、隊長限定でなんでも許してるんで」
「なんでも……ですか?」
「はい、もう、マジでなんでも。完全にオオカミに変身してるときはもっと犬扱いッス。仰向けにされて、腹回りの柔らかい毛もふもふされてるッスよ」
「あの、つかぬことをお伺いいたしますが……人狼族は、完全な獣の姿にもなれるのですか? 変身状態の方を見たことがないのですが?」
「あー、まあ、そりゃあそうッスねー。チンコもキンタマも丸出しだから、あんまり人前で変身する人っていないんじゃないかなぁ? 俺ら、宿舎で一緒に風呂とか入るから、全然気にしなくなってるんスけど……」
「な、なるほど……そ、そそ、それは、そう、ですよね……」
ゴヤのストレートすぎる説明に、思わず赤面するマルコである。
(し、しまった。私は、何を馬鹿なことを聞いてしまったのだ……)
誇り高き人狼族でなくとも、そこは隠して当然だ。動物=全裸。すなわち丸見え。あまりにも基本的な問題であったため、考えてもいなかった。
そんな失礼な会話が聞こえていないはずはないのだが、ロドニーは特に怒るでもなく、おとなしくベイカーに弄られている。その『ほわん』とした顔は、マルコにとってはじめて目にする表情である。今のロドニーは、これ以上ないほどリラックスした様子で――。
(……なるほど。そういうことか……)
マルコは理解した。この二人の関係は上司と部下ではない。ご主人様と飼い犬かというと、それも違う。
(ロドニーさんにとっては、『そこ』が帰る場所なのですね……)
ベイカーの腕の中、何をされても無抵抗のロドニー。その様子を見て、まったりと和むゴヤとデニス。
あの草原で聞いたゴヤの言葉が、マルコの脳裏に再生される。
「一緒にいたいって思えれば、なんだって家族になれるんス」
全員、故郷や実家を離れての宿舎暮らし。共同生活を送る騎士団の仲間たちが、彼らにとっては最も身近な家族であり、家族のいるこの場所こそが、彼らの『帰るべき家』なのだ。
(一緒にいたいと思えれば、か……)
今すぐには無理でも、いつかは自分も、その一員になれるだろうか。
そう考えて、すぐに思い直した。
(いや、なれるだろうか、ではなく……)
マルコは自分の意志で、その言葉をはっきりと口にする。
「私、しばらくマイホームはいりません」
「え? なんでッスか? マイホーム資金のために特務入ったんじゃないんスか?」
「ええ、はじめはそのつもりでしたが、気が変わりました。ここはたいへん居心地が良いので、当面は、騎士団本部が私の家と思って生きていこうと思います。……あの、みなさん。私も、このファミリーの一員として認めていただけますか?」
マルコへの返事は言葉ではなかった。ゴヤは満面の笑みでマルコをハグする。
突然のスキンシップに目を丸くするマルコだが、抱きついてきたのはゴヤだけではない。
「マルコーッ! 好きだーっ! いや、大好きだーっ!」
「えっ!? ロ、ロドニーさん!? あ、あの!?」
「こらロドニーッ! その場のテンションだけでそういうことを言うから、お前は男に迫られるんだ! もう少し考えてから発言しろ!」
「だって好きなもんは好きなんだから仕方ないじゃないですかーっ! それなら隊長はなんて言うんですかー? 具体例くださいよ、ぐーたーいーれーいーっ!」
「え? そ、それはだな……フォーエバーラブ?」
「ほら、もっとヤバくなったじゃないですか!」
「隊長さすがッス! パネエッス! マジヤベエッス!」
「や、やばいとか言うな! え、え~とだな……す、好きの代わりは……え~っと……」
「ね? ね? やっぱ『好き』しか出てきませんよね~?」
「ラブとライク以外は、だいたい夜用の口説き文句しかねえッスよ?」
「じゃ、じゃあ、う~ん……アイコンタクトとか……?」
「男二人でお目々をパチパチさせながら見つめ合えと?」
「すまなかった」
「デスヨネ~」
「パネェッスゥ~」
いつも通り息の合った三人に、デニスは爆笑しながら突っ込みを入れる。
「結局みんなラブラブなんか~いっ!」
体ごと投げ出すダイビング突っ込みである。皆慣れているようで、受け止めるタイミングも力加減も絶妙。駅前広場でフリーライブをしているお笑い芸人も顔負けの、最高のチームワークを披露して見せる。
この鮮やかかつ滑らかな流れに、マルコは本気で感銘を受けていた。
「す、すごいです! これがかの有名な、特務部隊の連携プレイなのですね! 私も精進して、いつか必ずこの域に到達してみせます!」
「真面目か!」
という四人のセリフが、一瞬の狂いもなくぴたりと一致した。それが余計におかしくて、全員、一斉に吹き出した。
彼らの笑い声は、それからしばらく、騎士団本部に響き渡っていた。
翌日のことである。
一通りの調査を終えた魔法省から、あの屋敷に関する報告書が送られてきた。
「……と、いうわけだ。分かったな?」
特務部隊オフィスで報告書の内容を読み上げたベイカー。それを聞いたゴヤとロドニーとマルコは、何とも中途半端な表情をしている。
「ん? どうした三人とも? もう一度読んだほうがいいか?」
「あ、いえ。そうじゃなくて……」
「なんと申しますか、その、内容が……」
「そーッスよー。なんで今回の任務そのものが隠蔽決定なんスか? ホムンクルスの生成プラントが本物だったなら、フツーに『本物見つけました~』って発表しちゃえばいいんじゃないッスか?」
「いやいや、よく考えろゴヤ。あの家は二百年も前から、人間ではないものに仕え続けてきたのだぞ? ヘンケルス家の人間はとうの昔に滅んだのに、最後の当主に似せて作られた『人形』と『家の名前』だけが勝手に生き続けていたのだ。それを世間にどう発表する気だ? ホムンクルスは、オートマトンやゴーレムと同列に考えられているのに」
「それは……いや、でも! あの人、ちゃんと『命』があったんス! 本当にただの人形だったら、俺の魔法じゃ、浄化できなかったはずッス!」
「そうだな。だが、証明する方法は? お前の魔法自体が、世間に認知されていないのだぞ?」
「あ……んー、けど、何か方法が……」
「疑似生命体を当主に据えた、二世紀にわたる『貴族と使用人ごっこ』だ。ヘンケルス家にも、数は少ないが家来もいた。いくつかの領地もあった。この件を公表したら、世間は彼らをどう見る? 彼ら自身は何も知らないのに、世間を欺き続けた詐欺師の仲間と言われかねんのだぞ?」
「……でも、何もなかったことにされるのは、なんか違う気がするんスけど……」
暗い表情になるゴヤの肩に、ロドニーとマルコが手を添える。
「ゴヤ、落ち着け。大丈夫だ。これでいいんだよ」
「そうですよ。世間に発表されようが、されまいが、それは彼らの人生とは無関係です。彼らがそこにいた事実が無くなるわけではありません」
「でも……なんか、悔しくないッスか? 誰にも知られず、あんな場所で一人で死んでいったなんて……」
「それは違います!」
きっぱりと断言するマルコに、ゴヤだけでなく、ロドニーとベイカーも問いかける視線を向けた。
マルコはふっと微笑むと、優しい声音で続ける。
「私たちが知っています。彼に『命』があったことも、愛し、愛される『家族』がいたことも。それで良いではありませんか」
「ああ……そうだなマルコ。なあゴヤ? それではいけないか?」
「いや、その……隊長が言うなら……。でも、やっぱなんか……」
スッキリしない顔のゴヤに、ロドニーが畳みかける。
「こう考えようぜ。発表しないことであいつらの願いは叶えられたんだ。だってあいつら、言ってたじゃん? 『ヘンケルス家の名誉を守る』って。当主は今までも、これからも、ずっと『行方不明』のまま。ホムンクルスかどうかなんて関係ねえ。ヘンケルス家は当主不在で取り潰されただけ。それでいいじゃねえか」
「ん~……いいんスかね?」
「発表しないことで、誰か不幸になるかよ?」
「いえ……特に、誰も損しないと思うッスけど……」
「世間の連中にゴチャゴチャ難癖つけられるより、俺たちだけで覚えておけばいいじゃねえか。発表しちまったらさ、あいつらの思い出、土足で踏み荒らされることになるんだぜ? お前、それでいいのか?」
「いや、それは全然良くないッスよ! ……って、あれ? じゃあなんで、先輩たちビミョーなリアクションしてたんスか? 隠蔽反対じゃないなら、ほかに何が……」
「そりゃあ決まってるだろ? あの屋敷の跡地利用だよ」
「王家が買い取るとのことですが……あれだけの土地面積となると、いったいいくらするのやら……」
「五百……いや、六百億くらいするんじゃねえか? すげぇよなぁ。俺んちじゃ、三代かかっても払いきれねえよ」
「王家にも、そんな金額を即金で支払える余裕があるとは思えませんが……?」
首を傾げるマルコに、ベイカーはあっさり事実を告げる。
「五百七十億ヘキサ、全額支払い済みだ。現時点で、すでに所有権はフェンネル伯から王家に移っている」
「えっ? ですが、どこからそんな大金が?」
「屋敷の地下だ。あの装置の裏に、さらに隠し部屋があったそうでな。時価総額七百億ヘキサ相当の金の延べ棒が隠されていた。だが、これまでにヘンケルス家の資産として申告された形跡はない。脱税の証拠兼遅延懲罰金として、すべて王家が押収した」
「……ヘンケルス家の収入で、どのようにしてそんな蓄えが……?」
自身も地方の小貴族として育った身の上である。マルコにはどうしても、七百億ヘキサという莫大な隠し財産の存在が信じられなかった。
ベイカーは「あくまでも推測だが」と前置きしたうえで、自分の意見を述べる。
「ヘンケルス家ならではの貯蓄術ではないかな。なにせあの家は、二世紀もホムンクルスが当主を務めていたのだ。おそらく、ホムンクルスに人間のような虚栄心や承認欲求はない。貴族としての生活を維持するのに必要な、最低限の出費しかなかったのだと思う。二世紀も質素な暮らしを続ければ、あの家の格なら、十分貯蓄できる金額だ」
この言葉に、洞察力のあるロドニーが反応した。
「でも隊長、質素な暮らしっつーわりには、あの屋敷の家具、最高級品ばっかりでしたよ? うちの家具ショボいな~、って思うくらい」
そう言われて、ベイカーは数秒考えてから答えた。
「欲に目がくらまない分、審美眼も確かだったのではないか? 提示された金額に見合うか、それ以上の価値がある物しか購入しなければ、自ずと貯蓄も増えていくはずだが……」
この言葉に、マルコは大きく頷いた。
「なるほど。高品質な家具ほど、長持ちするものですからね。多少傷んでも、修繕もできますし……」
「あー、そっかー。考えてみりゃあ、貴族向けの家具って、椅子一脚百万とか普通にあるもんなー」
「安価な家具の買い替え周期が五年としたら、最高級品はその十倍は使えますからね。それを二世紀も続ければ、たしかに……」
「マルコんち、食堂の椅子何脚あった? 来客用の食堂じゃなくて、家族用のほう」
「ええと、確か……二十四脚ですが?」
「あ、やっぱりそのくらい? 三人家族でそれって無駄だなー……とか思ったことねえか?」
「あります。なによりクエンティン家の場合、兄上が自室よりお出でにならず、私は騎士団に就職していましたから。父上がお一人がでお食事なさる場所なのに……」
「無駄だよなー」
「無駄ですね……道理で貯蓄が増えないわけです」
「ホムンクルス見習わないとな」
「そうですね」
この会話に、ゴヤは青ざめた顔で震えていた。
(ヤベエ……貴族の会話がクソヤベエ……。何その金額。食堂の椅子だけでソレって、うちの椅子何千脚買えちゃうの……)
来客用と家族用の食堂がある時点で、庶民的な生活水準のゴヤには理解不能な世界である。雲上人の会話に意識を遠のかせながら、半ばやけくそで発言する。
「でも、あれッスね。王家も、あの家買っても使い道ないッスよね。八人も腐乱死体で見つかった現場なんて、別荘にもできねーでしょうし……一通りデータ取ったら、立ち入り禁止で朽ちさせとくんスかね?」
なんとかセレブの会話を止めたくて、苦し紛れに発した言葉である。だが、これはベイカーの次の話にうまくつながったようだ。
ベイカーは机上に置かれた封筒から、一枚の書類を取り出した。
「マルコ、ここにサインしろ」
「はい?」
自分の前に突き出された書類を反射的に受け取り、マルコはフリーズした。
「なんだ? どうしたんだよマルコ……って……え?」
「……うわ、マジっすか、これ……」
「こ、これは……これは……」
ガクガクと震えるマルコに、ベイカーは天使のように可愛らしい笑顔で告げる。
「マルコ・ファレル・アスタルテ。良かったな、今日からお前も、ブルーベルタウンに屋敷を持つトップセレブの仲間入りだ。中央社交界へようこそ!」
「そ、そんなっ! 嫌です! いりません! マイホームは欲しいと思っておりましたが、あの家は……っ!」
「受け取りは拒否できない。これは王命だ。その書類にお前が自主的にサインしない場合、王命に背いた咎で鞭打ち刑に処されるぞ☆」
「ど、どど、どうしてそんなに楽しそうなのですか、隊長!」
「あっはっは。よく思い出してみよう! 特務部隊とは、どんな組織だったかな?」
「そ、それは……貴族階級の者を合法的に取り締まり、処罰するために結成された女王陛下直属の……ということは、まさか、隊長……?」
「お前が駄々をこねたら、鞭だろうと蝋燭だろうと木馬だろうと、何でも使って調教しろとの勅命を受けている。さ、何から始めようか?」
「ちょ、調教……?」
マルコの両側から、ゴヤとロドニーが優しく肩を叩く。
「逆らうな。従え。冗談だと思ってると、本気でやられるぞ」
「調教だけならまだいいんスけどね~。開発されちゃった人たちも、結構いっぱいいるんスよね~」
「か、開発とは……?」
「二度と引き返せない次元に叩き落されるんス。悪いことは言わねえッス。サインしたほうがいいッスよ」
「アヘ顔で『もっとください』とか口走りたくなければ、素直に受け取っちまったほうが得策だぜ」
「い、いえ、ですが、百歩譲って所有権を頂戴したとしても、あの屋敷自体は取り壊して新たに……」
「それは不可能だ。あれは築二百年の文化財だからな。まあ、油染みがついた床の張替許可だけは出るだろうから、それで良いではないか。地下の装置は近日中に魔法省に移設されるわけだし。あれさえなければ、ごく普通の高級住宅だぞ? 何か問題があるか?」
「いえ、むしろ問題しかございませんが!?」
涙目で訴えるマルコだが、残念ながらここは君主制国家。王命に背くことはできない。泣く泣く書類にサインをして、高級住宅地ブルーベルタウンの土地、建物、その内部にある何もかもを『女王陛下からの恩賜品』として拝領する。
「いや~、良かった良かった。陛下はお前に住居を与えられなかったことを、たいそうお気に病まれておられたのだ。これで陛下のお心も晴れよう! めでたしめでたし! あっはっは!」
「うう……おめでたくありません。こんな恩賜品、ちっとも嬉しくありません。自分の手で何人も撃った現場に住めとは、陛下は一体何をお考えなのか……」
落ち込むマルコに、ロドニーが言う。
「馬鹿だなお前、自分で住む必要はねえんだってば」
「はい? それはいったい、どういうことでしょう?」
「おいおい、もう忘れたのかよ。馬車の中で話したじゃねえか。どこの貴族も、使用人や私兵隊だけ置いてるって」
この言葉に、マルコはすばらく考えてからポンと手を打った。
「なるほど! そういうことですか!」
「いや遅ぇよ! 鈍いなお前!」
「え? え? 先輩、どーゆーことッスか? 俺全然分かんねーッスよ?」
そんなゴヤには、ベイカーが一から説明した。
まず、あの町特有の事情。歴史ある建築物ばかりで、正直、現代人のライフスタイルには全くそぐわない。幽霊など化けて出なくとも、別の住宅地に家を買い、普段はそちらで生活することが常識になっている。所有したからといって、そこに暮らさねばならない道理はないのだ。
次に、あの屋敷自体の話。殺人事件が起こったこと、その霊が居座っていたことはフェンネル伯の口から方々に知れ渡っている。しかし、その霊が何のために居座っていたかは知られていない。ホムンクルスのことが隠蔽されている限り、あの屋敷はただの幽霊屋敷。数多くの物件を所有している大貴族らにとって、幽霊屋敷の一軒や二軒、珍しくもなんともないのだ。
そしてベイカーの説明は、ここからが重要だった。
「マルコは女王陛下の私生児という、非常に微妙な立場にある。法律上、何の後ろ盾もない。今のままでは気位の高い貴族たちには相手にしてもらえないだろう。しかし、ブルーベルタウンに家を持つならば話は別だ。あそこは中央貴族の中でも、特に格の高い一族でなければ家を持つことができないからな。それに、この記事のこともある」
どこから取り出したのか、ゴヤの眼前に昨日の朝刊が突き付けられた。それはロドニーとマルコの同性愛疑惑を報じた、あの三流ゴシップ紙である。
昨日の早朝まで中央を離れていたゴヤは、この紙面をはじめて目にしたらしい。
「ううえぇえええぇぇぇ~いっ!? なんスかこれ!? えっ!? まさか二人ともガチでそういう……」
「違います!」
「彼氏は募集してねえっつーの! つーか隊長! なんで急にその話が!?」
「ん? 分からないか? お前の女癖の悪さを知っている中央社交界の貴族は、こんなネタは信じない。ここから受け取る情報はただ一つ。『ブラックキャッスル』の実質的オーナー、ロドニー・ハドソンとマルコ・ファレルは非常に懇意にしているということ。新参者としてイジメの標的にするより、ほどほどに仲良くしておいたほうが良さそうだと考える者が大半ではないかな?」
「……あの、隊長? 部外者を全員追い払ったうえで暴走ゴーレムと戦ったのに、なんで隠し撮りなんかされてるのかなぁ~、とか疑問に思ってたんですが、これってまさか……」
「俺に有能な補佐官がついていることを忘れてくれるな」
「やっぱり! この記事、全部隊長の仕込みですか!」
「いや、全部ではないぞ。うちから提供したのは写真一枚だ。記事の内容その他は新聞社の判断に委ねた」
「だからって……あー、もう! またやられたぁ~っ!」
大げさに嘆いてみせるロドニーの隣で、マルコは驚きを禁じ得ないといった様相で礼を述べた。
「ベイカー隊長、ありがとうございます。私のために、いろいろとお手を煩わせてしまったようで……よもや、これほど周到なお考えが巡らされていようとは」
「あっはっは、気にするな。隊員を守るのも隊長の務めだ。それに、礼ならゴヤに言うといい」
「ゴヤッチに?」
「丁度良い物件があると陛下に進言したのは俺だが、あの家の最大の問題を解決してくれたのはゴヤだ。なぁ?」
「や、そんな、お礼とか……俺はただ、任務を遂行しただけッスから……」
「ゴヤッチ!」
「うわぁ、なんスか急に!」
がばっと抱きつき、大きな声で宣言する。
「ありがとう! 大好きです!」
「あ、う、うん! 俺もマルちゃんのこと大好きだけど、ちょっとタイミングとか考えてもらえると嬉しいッス!」
「えっ?」
ゴヤが必死に指差す先を見て、マルコは一気に血の気が引いた。
オフィスの入り口に、総務課の三人娘が立っていた。三人とも、それぞれ大量の書類を抱えている。業務連絡に来たことは間違いないのだが、彼女らの表情は、もはやそれどころではなかった。
「あら、あらあらあら、まあぁ~♪ なんの現場なのかしら~♪ うふふふふ~♪」
「兄さんだけじゃなくて、ゴヤッチにまで手ぇ出すなんてなー……ひょっとして王子様、おとなしそうな顔して絶倫だったり?」
「ベイカー隊長~! そこは危険なのですぅ~! 早くこっちに来るですぅ~!」
「きゃ~、こわぁ~い。ミリィ、サーシャ、リナ、助けてぇ~」
「え、ちょっと隊長!」
「何がキャ~なんスか!」
「隊員を守るのが務めとおっしゃったばかりですよね!?」
あっさり裏切った美少女風の隊長は、何の違和感もなくストンと女子グループに合流してしまった。そしてそのまま、女子のようなテンションで盛り上がりつつオフィスを出て行ってしまう。
あとに残された男三人は、顔中、妙な脂汗を滲ませていた。
「ヤベェな……あの三人にゲイ認定されたら、もう完全終了じゃねえか……」
「彼女らには、それほどの影響力が……?」
「ああ、少なくとも、騎士団内にはな」
「ミリィは騎士団の情報発信基地ッスよ。明日の昼には本部内……いや、中央近郊の全支部の女子職員に知られてるッス」
「ど、どうしたら……」
「どうにもならねえよ……うう、また彼氏に立候補してくるマッチョが増える……俺はノーマルだっつーのに……」
「マルちゃん、マイホームはゲットできたけど、しばらく花嫁募集はできそうにねえッスね……」
「そんな! 嫌です! どうしたら良いのですか!?」
「いやもうどーにもなんねえって。ほとぼりが冷めるまで、おとなしくしてようぜ」
「必死に否定して回るのも、逆に怪しいッスもんね」
「そ……そんなぁぁぁ~っ!」
マルコ・ファレル・アスタルテ、二十四歳。夢のマイホームと家族同然の仲間と同性愛疑惑を同時に手にした彼は、生まれてはじめて、心の底から絶叫した。
「こんなの、断じて、認めませえええぇぇぇーんっ!」
これから数か月間、マルコは『同性からモテまくる』という人生最大の受難を経験することになるのだが、現時点で自身に迫る諸々の危機を予見することなどできようはずもない。
何とも絶望的な表情で、マルコの『中央セレブリティ生活』はスタートした。






