8 戦果
「んなっ!? マジかよ」
「本当だ馬鹿者」
帝国軍がクラーベン要塞の中に入り、休憩をしつつ出発の準備を整えている頃。マリは要塞の司令塔にて自分の討った将軍首の詳細を聞きに来ていた━━━が、
「嘘だろオイ。あいつ絶対偉い奴だっただろ‥‥‥」
「マリが突破口を開いたお陰で北面軍は圧勝だったんだ。そこは胸を張っていいんだぞ」
ジルベルトに肩を叩かれて慰められるも耳には入ってこない。マリの頭の中ではデルバードの言葉がグルグルと回っていたからだ。
マリが討ち取ったのは爵位すら持たない下級将校であり、決して大手柄と言えるほどの成果ではなかったのだ。デルバードにそれを告げられるまでは、要塞軍の司令官とまでは言わないものの、五本の指には入るだろうくらいに思っていたマリにとっては膝を屈するほどの衝撃だった。
「さて、殿下。小童のことは置いておくとして、今後のことを話しておきましょうぞ」
「ですな。クラーベン要塞を落とすのが此度の目的ではありません。あくまでもローテルム城です」
「わかっているとも」
机の上に広げられた地図の前にジルベルトが立ち、それに合わせてデルバード、スクォギリオスとその軍の将軍達が机を囲む。マリもまた、フラフラと力なく立ち上がり、机を覗きこんだ。
「スクォギリオス。我が軍の損害はどの程度だ」
「ははっ。要塞にいた兵士が少なかったこともあり現時点の損害は軽微。八万の兵はほぼ健在です」
「そうか。では戦闘に参加できないほど重症の兵、ダレオンと三千の兵を要塞に残し、なるべくすぐに出立するぞ。何かあるか?」
ダレオンとはスクォギリオス配下の将軍であり、長年彼を支える重鎮の一人だ。
このクラーベン要塞を抜ければ山岳地帯が続く。もし王国兵によってクラーベン要塞が取り返されれば、王国内へと侵攻した兵は退路を断たれる形となるため、ここを守り抜くだけの兵を残すのは必然だ。
ジルベルトの采配に間違いはなかった。
「ありませぬ」
「某もです」
デルバードとスクォギリオスが頷き、それを見たジルベルトも頷く。
国門であるにも関わらず敵兵が少なかったこともあり、帝国軍のうち三万は無傷。重症兵も少ないため、今日中には出発できそうだ。
「この峡谷を抜ければナークラの街はあるのだったか?」
「はい。しかしながら、ナークラはそれほど大きな街というわけではございません。この要塞よりも容易に落とせましょう」
「そうか。出立は明日の早朝。急ぎ支度し、明日に備えよ」
「「「「「ははっ」」」」」
◇◆◇◆◇◆
「よっ、レイラ。お疲れ」
「ギュオォォォン」
竜舎に向かうと、マリの姿を見つけたレイラが顔を覗かせて嬉しそうに鳴いた。
マリはそんな可愛い相棒の様子を見て笑いながら、竜鎧を外してやる。
「重かっただろ。俺もお前も初陣だからな。俺と同じで肩が凝ってるんじゃないか?」
「ギュオ」
「強がるんじゃねえよ。そら、返り血を洗い流してやるから出てこいよ」
そう、マリが竜舎にやって来たのはレイラを洗ってやるためだった。初陣の後に絆を深め合うために交流する、というのも一つの目的だ。だが、それよりもレイラの体を洗ってやろうと思い立ったのだ。
マリの予想通り、レイラの黒鱗には時間が経って固まった赤黒い血が大量にこびりついていた。レイラ自身、彼の行く手を阻む敵兵を自ら殺しているうえに、マリが殺した敵兵の返り血も降り注いでいる。
白鱗ではないため目立ってはいないものの、汚れていることは間違いない。
たとえ竜であっても汚れたままでは嫌だろう。変な病気を貰うかもしれない。
持ってきた桶をひっくり返し、並々入ってた水をレイラにぶっかける。冷たい水の感触にレイラが跳ねて暴れ、抗議の鳴き声をあげる。
謝りながら鱗を束子で擦って洗ってやる。まるで機嫌をとっているかのようだ。
「よっしゃ。できたぞ」
「ギュオッ」
黙々と洗うこと小一時間。マリは綺麗にレイラの体を眺めて満足げに笑った。レイラもご機嫌だ。
レイラの体は大きいが、鎧の内側にまで血がついているわけではないため洗う場所は少ない。それでも小一時間かかったのだが、集中していたためかそれほど時間が経ったようには感じ得なかった。
「なあ、出立は朝なんだろ? 街にでも行かねえ? 可愛い女がいるかもだぜ?」
「お、いいねぇ。でも独り占めはいけねえぞ」
「俺はさっき行ってきたが目ぼしい女は殆ど将校達に取られてるぜ。ま、俺は女よりも金目のもんを漁りに行ったんだけどな。見ろよこの宝剣」
「おお、いや、でもすぐに折れそうだな」
「当たり前だ馬鹿め。これは飾っておくもんに決まってんだろ。ほらさっさと行ってこい」
「「ういっす。じゃあ、お疲れ」」
朝になればすぐに出立するため、再びレイラに鎧を着せていると、酒を飲んで酔った兵士達が笑いながら通りすぎていく。その会話に耳を傾けていたが、あまり気分の良い話ではなかったためすぐに目の前の作業に集中した。
このクラーベン要塞も、そこを守る兵士達だけがいるわけではない。その家族がいて、商人が集まり、一つの街が成り立っている。
そこを落としたのだから彼らに待っているのは略奪だ。ジルベルトの命によって殺しに凌辱は禁止されているが、略奪は禁止されていない。略奪は兵士達にとっては褒美にもなる。また、娼婦達もここぞとばかりに商売をしているだろう。
スクォギリオスの兵は良く統率されていているが、中には殺しや凌辱を許されている軍もある。極めて酷い話ではあるが、敵もまた攻めてくれば同じ事をするのだから致し方ないのかもしれない。
そもそも人と人で殺し合いをしているのだから今さらとも言える。戦乱の世とはどこも同じものだ。
マリは街に行くつもりはない。娼婦を抱いたことがバレればアナに何をされるか分からないし、略奪もしたいとも思わない。
明日も早いのだから寝るに限るだろう。幸いにもジルベルトの部屋の側に一人部屋を与えられている。
「んじゃ、また明日。お前も良く寝ろよ」
「ギュオォォォン」
レイラと別れの挨拶を済ませ、与えられた部屋に戻った。数日ぶりのベッドでの睡眠は心地よいものだった。
◇◆◇◆◇◆
予定通りにクラーベン要塞を発った帝国軍は、峡谷を進軍していた。ゴツゴツとした岩肌が荒々しい切り立った崖の間を縫うようにして八万の兵が進軍している。
既に峡谷で夜営をしているが未だに連なる崖が途切れることはない。マリは、いつまで経っても同じ景色に飽き飽きしながら、適度の緊張感を持って戦闘を歩んでいた。
「景色が変わらないな」
「そうですね。どこを見ても岩。正直に申しまして、飽きましたよ」
「ハハハ。俺もだ」
クラーベン要塞からナークラまでは約三日。おそらく半分ほどには到達しているのだろう。
それにしても、さすがにずっとこれでは飽きるというものだ。
槍斧を担いでため息をつくマリをデルバードが睨み付ける。
「緊張感が足りんぞ。いつ敵が襲ってくるかわからんのだ」
「しかし、某も飽き申したな。一戦くらい交えてもよいものなのですが、斥候すら見当たらないとは‥‥‥ウィントポル王国はどうなっているのか‥‥‥」
デルバードの小言を聞いてきたスクォギリオスがおどける。
一戦くらい交えたいものだ、とマリが槍斧を振り回してデルバードに怒鳴られた。
王国軍どころか義勇兵すら来ないのだから退屈でしかたがない。スクォギリオスではないが、本当に王国軍は何をやっているのだろうか。
そんな疑問を口に出そうとしたその時だった。
突如、轟音が鳴り響いた。