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3 訓練

 


 騎士とは一般的には百人将以上となった軍人を表し、将校となれば必然的に騎士様と呼ばれるようになる。

 隣国のように騎士爵を賜った準貴族を意味するわけではなく、この国では才能さえあれば騎士になることができるのだ。


 しかし、近衛騎士は一般の騎士とは少しだけ異なる。身分に関係がないという点では同じだが、近衛騎士とは才能がある者のなかでも限られた者のみ。

 軍人なら憧れる者も多い近衛騎士団は、千人将以上でなければ入団試験を受ける資格がそもそも存在しない。

 そのためその数は少なく、現在近衛騎士の名を得る騎士は五百人にも満たないという、謂わばエリート集団である。


 仕事は王族と城の警護。普通の騎士とは違い戦場に出ることはないが、普通の騎士よりも高い錬度を求められ、王に仇なす者は如何なる者であろうとも屠る。


 マリの目の前で激しい剣戟を繰り広げている騎士達は、今もなお、近衛騎士であるという誇りを胸に日夜訓練に励んでいるのだ。


「おお、マリじゃねえか」

「三分遅刻だぞ。また皇女殿下とお茶してたんだろ」

「チッ、爆ぜ散れよ」


 訓練場に足を踏み込めば、訓練中の騎士達が集まってきて、口々に話しかけてくる。中には物騒なことを言っている者もいたが、親しみを込めた冗談であることはわかっているため、おどけたように言い返して場の笑いを取った。

 マリは近衛騎士ではなく近侍(ヴァレッド)だ。しかし、長年近衛騎士達に混ざって訓練をしてきたため、マリの扱いは同僚のそれとも変わらない。

 最近では新人に稽古をつけてやるにまで至っていることから、マリのことを先輩と慕う者までいる始末だ。


「やっと来たか。遅いぞ」

「申し訳ありません団長殿」


 自分を囲んだ騎士達の群れのからなんとか這い出し、彼らとの戯れもそこそこに訓練場の中央に向かい、壮年の男に敬礼する。


 男の名はヒュリゴウエル・バッサルモンド。近衛騎士団の団長であり、素手で大熊を殺したとの逸話を持つ大将軍である。近衛騎士の中で彼に膝をつかせた者は誰もいないほどの猛者である。

 近衛騎士達には、豪快で愛嬌のある性格からヒュリゴさんと呼ばれて慕われている彼は、マリの敬礼に白髪だらけの髪をガリガリと掻きむしると、刃を潰した槍を無造作にマリの足元に転がした。


「色恋にうつつを抜かして訓練に遅れた罰だ。今日は俺と()るぞ」

「光栄であります団長殿」


 マリは地面に転がった槍を持ち、いつの間にか剣を構えていたヒュリゴに向かって構えた。

 なお、ヒュリゴが慕われていることは間違いないのだが、彼は容赦という者を知らないことでも有名であり、ヒュリゴと模擬戦をする際には気を抜けば即死亡という実戦に近い緊張を味わらせられる。


 凍てつく視線がマリを射殺し、濃密な殺気がゆっくりと訓練場に漂い初める。

 ヒュリゴは御年五十三歳であるが、十五歳で軍に志願してからずっと近衛騎士だったわけではない。彼が近衛騎士に入団したのは四十五歳の時であり、その年から近衛騎士団長を勤めている。

 もともと大将軍として万の兵を率いて前線を駆け、時に死線を潜り抜けながら多くの敵兵を肉袋に変えてきた戦場帰りの大将軍の放つ殺気は、戦場を知らない十八歳のマリに鉛のような不快な重圧となって襲いかかる。


 直接殺気に当てられているわけではない審判役の騎士でさえも手足が震えている始末だ。


「では、これより団長殿とマリアンナの模擬戦闘を始める。両者、構え━━━始め」


 構え、と言われても既に両者ともそれぞれの得物を構えている。開始の合図の直後、先に動いたのはマリだった。

 マリの得意とする得物は槍だ。正確に言えば槍斧(ハルバード)。さすがにジルベルトの傍らで自分の身長以上の武器を携えるわけにはいかないため剣も人並み以上には扱えるものの、帝国一の槍斧使いであるデルバートの教えを受けたマリは槍斧が最も手に馴染んでいるのだ。


 力強く地面を蹴り、槍斧を構えてヒュリゴに迫る。槍と剣では明らかに前者の方が間合いの点から有利である━━━が、ヒュリゴはいとも簡単に突き出された穂先を受け流し、逆にマリにとって不利になる間合いに入り込んだ。


 初撃できめられるとは端から思っていないマリは急いで距離を取って連続の突きを繰り出し、ヒュリゴもまた剣を振るってそれに応戦し、激しい攻防が続く。


 マリは生まれこそ恵まれなかったが、こと槍捌きにおいては天賦の才があった。

『奴の槍は蛇が如くうねる』と言われるデルバートの槍捌きは槍と斧を巧みに操り、蛇のようにうねらせ、何処に攻撃が飛んで来るのかわからなくなるから恐れられる。

 その槍捌きをほぼ会得し、それに自分なりの改良を加えた実力により、マリはヒュリゴと辛うじて善戦にまで持ち込むことができている。


「うねらなくなってきた。体力作りが当面の課題だな」

「━━━━ッッ」


 二人の戦闘を互角に見る者はいない。

 それは戦闘中に言葉を発することができるのがヒュリゴだけであることからもわかる。

 マリの槍はデュリゴを傷つけてはいない。対称的にヒュリゴの剣は次々に紅い線をマリの全身に刻んでいく。


 高速の槍戟をヒュリゴの目は確実に捉えており、身を反らして避け、或いは剣を使って払い退け、その隙を襲う。


 マリはヒュリゴを殺す気で槍を振るうがヒュリゴは一滴の血も流さない。


「何だこの腑抜けた槍捌きは。腰が入ってないんじゃないか? 槍は腕ではなく全身を使え。モンビーク大将軍の槍には到底及ばないぞ」

「━━━ッッ━━━ラァァッ」

「ここが戦場なら死んでるな。こうしてこうすれば━━━お前の死は確実だ」


 ヒュリゴが逆袈裟に振り上げた剣がマリが振り下ろした槍斧とぶつかりけたたましい金属音を鳴らし、マリが体ごと吹き飛ばされる。上体を仰け反ったマリきヒュリゴの剣の柄尻による一撃が肩を捉え、ほぼ同時に鳩尾にも膝による追撃が入った。


 マリの口からコヒュッと空気が漏れ、うつ伏せに崩れ落ちる。直後、マリの瞼すれすれの位置に剣の切っ先が突き下ろされ、前髪の毛先を斬って地面に突き刺さった。

 



 ◇◆◇◆◇◆



「意識はあるようだな。それだけは誉めてやる」


 鳩尾への一撃によって発生した嘔吐感を堪え、喉にまで上ってきた胃の内容物を飲み込みながら地に伏していたマリにヒュリゴが声をかける。


「立ち上がれ。たとえ両手両足をもがれようとも、生きたまま全身の皮を剥がれようとも、生きているならば主のために立ち上がって戦うのが近侍(ヴァレッド)じゃないのか。ここが戦場で俺が敵なら、俺は皇太子殿下を殺せる位置にいるぞ」

「心得‥てお‥‥りま‥す。団‥‥長殿」


 マリは槍斧を支えに震える膝に鞭を打ち、力を込めて立ち上がる。そして、ヒュリゴに向かって槍斧を構えた。

 肩にくらった一撃による痛みが指先にまで伝わってくる。穂先が目に見えて震えている。

 それに、今にも吐きそうだ。気を抜けば気絶する。


 浮かび上がる弱気な恨み言を消し去り、マリは再び槍斧を振り上げてヒュリゴに撃ち込んだ。

 腰に力を込め、全身で槍斧を操る。手足を操るが如き繊細な動きを意識し、ヒュリゴの急所を狙った。


 ヒュリゴの眉間を狙って突きだした穂先が空を斬る。ハラリと黒い何かが宙を舞ったのをマリは見逃さなかった。

 それはヒュリゴの髪だ。つまり、自分の攻撃がヒュリゴに近づきつつある証拠だ。


 ヒュリゴがマリの懐に入ろうと地を蹴り、マリは斧を振る。ヒュリゴはそれを避け、その隙を狙ってマリが穂先をうねらせ、ヒュリゴの横凪ぎの一閃が光った。

 マリの脇腹を狙ったその一撃を、マリはなんとか槍で受け止めたものの、今度は先程とは違って足が宙に浮いて地面を転がる。


 しかし、マリは転がりながら体勢を整え、再びヒュリゴに接近する。

 刺突と斬撃の二種類の攻撃がヒュリゴを高速で襲う。


 何度も何度も倒され、血を吐きながらヒュリゴに向かった。そんなマリの姿を、訓練場にいた騎士達は自分達の訓練を忘れて見いった。


「お前は何のためにその槍斧を振るうんだ。金のためか。それとも名声のためか。片腹痛い。こんな軽い攻撃では兵卒に殺されるわ。今すぐに近侍(ヴァレッド)を止めて庭師にでもなるといい」

「黙れェェェッ」


 ━━━━俺は王家のために戦うと決めた。アナのために死ぬと決めた。そのために槍を振るうんだ。金のためでも名声のためでもない。


 マリの内側に渦巻いた激情は槍斧によって体外へ放出される。一撃一撃に力が宿り、次第に速度を増していく。


 ヒュリゴの袈裟懸けの一撃がマリの肩を狙った。マリがそれを槍で受け止め、払い、胸めがけて突きこむ。


 狙うは心臓━━━


『よいか小僧。貴様は確かに才がある。だが、槍を操るだけが儂の槍術ではない。来ると思わせて別の場所を狙い、それを読まれたと仮定してまた更に別の場所を狙う。戦闘とはただ槍やら剣やらで斬り結ぶ場ではなく、強者と強者の知恵比べだと思え。己の読みが敵ので読みを上回った時、初めて一撃を与えることができるのだ』


 ━━━ではなく眉間。いや、これも違う。


 何処だ。何処を狙えばヒュリゴに当てられるんだ。


 槍を突き出す動作中に思考を加速させる。


 眉間を狙うと見せかけてやはり心臓を狙う。それはヒュリゴに見抜かれる。いや、だからこそ心臓を狙い━━━━


「甘いな」


 ヒュリゴが嗤い、己の心臓を狙った槍を剣で払おうとし━━━直後、マリの槍がしなった。

 蛇のようにうねる軌跡を描くマリの穂先が狙ったのは肩。それに気づいたヒュリゴは咄嗟にそれを避けてマリの懐に潜り込んだ。


 容赦のない一撃が再び鳩尾に叩き込まれ、遂にマリは意識を失った。


「おいランドル。マリの手当てをしてやれ」

「ははっ」


 審判をしていたランドルと呼ばれた騎士が倒れて吐瀉物にまみれたマリに駆け寄って医務室へと運んでいく。

 その後ろ姿を眺めながらヒュリゴは白髪の混じる頭を掻いて自分の頬を親指で拭い、ニヤリと口角を上げた。


 彼の頬には一筋の線。その線は鮮やかな紅色に染まっていた。







 

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