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14 アナとの再会

 


 スーに謁見の間から引きずり出されたマリは、城の医務室に寝そべっていた。宮廷医師は傷だらけのマリを見て、意識を保っているどころか生きていることすら不思議であると本気で驚愕した。

 そして、彼にできうる最高の治療を施してくれた。


「アンネローゼ殿下にはお会いにならないのですか?」

「傷だらけで会ったらご心配をなさるに決まってるだろ。とりあえず治療だけは終わらせて、綺麗な身なりで行くしかない。お前も、絶対に俺が重症であることは言うなよ」

「わかってます」

「さてどうしたものかな。左手と左の太股にはヒビ。内蔵も傷ついて自力では歩行困難な俺がアナ様を逃がせるんだろうか」

「弱気になっても仕方ありませんよ。私もいますから、最悪盾にはなるでしょう」

「おまっ、先輩に向かってひどいことを言うなぁ」

 

 治療が終わってもマリは少しの油断も許されない状態であることに間違いはない。それは本来であれば一年以上の療養期間を設けなくてはならないほどである。

 一人で立ち上がることすら困難であるのに、怪我をしたことをアナに隠せる可能性は限りなく低いが、それでも男たるもの時には見栄を張らねばならない、とマリは黙っておくことに決めた。


「ま、とにかくいつまでもここにいるわけにはいかないか。アナ様はどこに?」

「自室に引きこもっておられます。ですがその前にお食事を取られてください。治るものも治りませんよ」




 ◇◆◇◆◇◆



 アナは自室のベッドの中に潜り、泣いていた。彼女の手の中にはマリから預かった銀の首飾りがあり、マリの存在を感じるように力強く握りしめている。

 涙は既に枯れて一滴も流れない。食事どころか水すらも喉を通ることはなく、赤く腫れぼったい目には大きな隈を作り、唇もひび割れている。


 優しく逞しかった兄を失った悲しみ。そして何より、心から愛していたマリを失った悲しみ。


 マリはアナの初恋の人だ。小さい頃から毎日遊び笑い合い、時には喧嘩もした。

 大きくなって、いつからかマリはアナに敬語を使うようになり、二人の距離は離れてしまった気がしたが、それでもマリのことが大好きだった。

 いつかは結婚するものだと思っていたし、年老いて、子供と孫に囲まれながら二人で天に召されるものだと思っていた。


 しかし、その未来は二度と訪れない。マリは死に、帝国も滅ぶ寸前だ。自分に訪れる未来は、マリとの楽しい生活ではなく、辱しめられて殺されるという残酷な未来しかないことはアナにも分かっていた。


 マリ以外の男には体を触らせるつもりはない。もし、城が落ちることがあるならば、自ら命を絶って火を放つ予定だった。


 突然部屋の扉が叩かれた。使用人が来たのだろうと思い、いつものように無視した━━━が、次に聞こえた声に、脳を直接金属製の棒で殴られたような衝撃に襲われた。そして、いくらかの時間を有したが、その声が何者によるものかを理解し、様々な感情に胸をかき混ぜられ、アナは飛ぶように床に転がり落ち、そのまま這って扉を開けに走った。




 ◇◆◇◆◇◆



「アナ様。マリアンナにございます」


 扉を叩いて名乗ったが返事はない。留守ではないのだろうから、使用人と勘違いしたのだろうか、もしくは自分の名を聞いて会いたくないと判断したのではないか等の不安に駆られる。

 そして、扉は開かないものだからその不安は払拭されるどころか増長するのみで、マリはこの場から去ろうと扉に背を向けた。

 もともとマリは嫌われてもおかしくないという覚悟でこの場に来ていた。

 近侍(ヴァレッド)としての役目は主を守り、最悪の場合はその遺体を持ち帰り、それすらも出来ない場合は共に冥府へ逝くことであり、主を守れないどころか遺体一つ持ち帰らずにノコノコと帰ってくることではない。

 そして、マリの場合の主とは、ジルベルト(アナの兄)のことを指す。だからこそ、マリが兄を殺したにも等しい自分をアナは許さないと考えるのは必然であったし、兄よりも自分の方がアナにとっての優先度が高いだろうなどという自惚れも無かった。

 絶交、或いは死刑こそアナから言い渡されるべき自分への罰。また、たとえアナから許されたとしても、マリはアナを逃がしてから死ぬつもりでいた。


 アナとの約束はこの場で果たされたのだ。あとはジルベルトの元へ向かうしかないのだ、と。


 会ってすらもらえない自分がアナをどうやって逃がせば良いのかと考えながら一歩足を踏み出した時、大きな音がした。振り返ると今まで閉ざされていた扉が開いていて、そこには(やつ)れてはいるものの、マリが逃亡中ずっと会いたいと乞い願った少女の姿━━━━。


「ア━━━━」

「この馬鹿マリア!!」


 頬に衝撃が走った。それは、間違えるはずもなく、アナの平手打ちだった。


「マリアは兄上の近侍(ヴァレッド)でしょ? どうして、どうして守ることができなかったのよ。兄上は皇太子なのよ。次の皇帝になるの。たとえお父様がお隠れになっても、兄上がいればこの国は続くの。サノーラ帝国は死なないのよ。それを防ぐのが皇太子の近侍(ヴァレッド)たるマリアなのよ。マリアだったのよ。それにね、近侍(ヴァレッド)が主を捨てて帰って来ていいと思ってるの? 主と共に死ぬのが近侍(ヴァレッド)の役目なのよ? ねえ、聞いてるのマリア?」

「‥‥‥‥」


 アナの叫びに、マリは言葉も出なかった。膝をつき、拳を握りしめ、ただひたすらにアナの叱責を聞いていた。

 マリの目の前で、アナはポロポロと涙を流しながら、大声で喚くようにマリを責める。八つ当たりをするように、ここ数日溜まりに溜まっていた鬱憤を晴らすように、ひたすらにマリに怒鳴った。


 そんなアナの姿を見てマリは思った。あんなに笑顔の愛らしかったアナに、いつも笑顔で溢れていたアナに━━━このような顔をさせてしまった、と。耐え難い後悔と屈辱に、マリはただ俯くばかり。


「━━━━父上もなんなのよ。こんなに危ない戦争なら兄上を参加させることなんてなかったじゃない。兄上は初陣なんだから、経験豊富な父上が行ってパッと勝ってくれば良かったのよ━━━━━━だいたい最近の使用人は煩いのよ。やれ行儀が悪いだ、やれ歯を見せて笑うなだって。そんなことどうでもいいじゃないの。じいやもそうよ。マリアと話してたらさ━━━━」


 アナの叫びは続く。声が枯れ始めてもアナの叫びは止まらない。既にその怒りの矛先は何処を向いているのかすらも分からなかった。


 それからどれだけ時間が経ったことだろうか。ただアナの叱責を聞きながら自責していたマリにとっては永遠にも近い時間だったかもしれない。


「━━━ねえ、マリア」

「‥‥‥‥」

「マリアってば」

「‥‥‥‥」

「ねえ、マリアってば」

「は、ははっ」


 呼ばれたことにすら気づかなかったマリは、慌てて姿勢を正して返事をする。

 アナは疲れきった顔でマリを見つめていた。枯らした涙をさらに枯らし、全てを出しきったアナは、叫ぶのでもなく、怒鳴るのでもなく、静かにマリに問いかけるようにそう呟いた。


「ねえ、どうして何も言ってくれないの?」

「‥‥‥‥」

「私、マリアのことをあんなに悪く言ったのよ? 笑顔でお帰りって言ってあげるつもりだったのに、いろいろ言ったんだよ? アナに帰ってこいって言ったのは私なのに、まるでマリアが帰ってきたことを責めるように怒鳴ったんだよ? ねえ、どうしてなの? どうして怒ってくれないの? ねえ、どうしてなの?」


 マリは目の前のアナに対して痛わしく思ってしまった。気が動転しているのか、自分でも何を言っているのかわかっていないような様子で、マリにすがり付くように何度も問いかけてくるのだ。

 気づけば、マリはアナを力いっぱいに抱き締めていた。華奢な体が折れるかというほど、自分はここにいるのだと証明するかのように力の限り抱き締めた。


「アナ様。マリアンナはここにおります。マリアンナはここにおりますから。マリアンナはここにおりますから」


 口にしなければならないと思った。それを絶対にアナに伝えなければならないと思った。そうしなければ━━━━アナがどこか遠いところから帰ってこなくなるような気がしたから。


 殴られてもいい。絶交されても良いし誅されてもいい。だが、今は絶対にこうしなければならない、とマリは必死でアナを抱き締めて叫んだ。


「マリアはいるの? マリアンナ?」

「ここにおります。ここにおります。マリアンナはアンネローゼ皇女殿下のお側におりますから。冥府でも戦場でもなく、今、この場に、貴女様の御前におりますから」

「‥‥‥いるのよね。マリアはいるのよね」

「はい。おります。ここにおります」


 マリアの背中に回されたアナの手に力が籠った。


「‥‥‥ねえ、マリア。兄上が死んじゃった。じいやも死んじゃった。この国も滅びるかもって。次は父上と母上なの? それとも姉上なの?」


 言えなかった。陛下()からアナ()()を連れて脱出するように命令されていることを。


「いやぁ‥‥いやぁ‥‥マリアァ‥‥マリアァ」


 そして再び泣き出すアナ。長い間アナはマリの胸の中で泣き続け、今日までの疲れが押し寄せたのか、泣きつかれるように眠った。

 一瞬ギョッとして呼吸を確認させられるほどの突然の眠りだった。


 マリはアナを抱き抱えて彼女の部屋に入り、ベッドの上に横たえた。風邪を引かないようにと布団を被せ、部屋からソッと立ち上がろうとした時、自分の袖が引っ張られるような感触がした。

 

 見ればアナがマリの袖を握りしめている。外そうと思ったがどうにも外れない。

 マリは致し方なく、近くにあった椅子を足を伸ばしてなんとか近くに寄せて座った。

 最初はずっと起きているつもりだったのだが、帝都に来るまでに安眠など一度もしていないマリには絶えることの出来ない睡魔に襲われ━━━━━いつの間にか瞼は下りていた。






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