弊社の『お祈りメール』は一通一通、心をこめて祈祷しております。
ビール瓶片手に、統括部長に無双乱舞かましたった。会社の忘年会にて。
「え、お前なんでそんなことをしたの!?」
と聞かれれば、
「覚えてないけど、多分、無双ゲージがたまったから」
と答えるしかない。
何しろ統括部長のことは普段から嫌いだったし、ぼくも記憶が飛ぶくらい泥酔していたのだ。
忘年会があったのが金曜日。
からの、週が明けての月曜日と火曜日。まわりの人たちは誰も口を聞いてくれなかった。ぼくが近づくと、さっと目をそらす。距離をおく。防御姿勢をとる。まるで無双ゲージがたまって、身体からやばいオーラ出てる呂布のような扱いだった。
そしてその翌日の水曜日。なんともう異動が決まっていた!
あの問題行動からたったの三営業日で、飛ばされることが決まったわけだ。うーん……この対応のスピード感。我が社の人事部の優秀さがうかがえる。ちなみに異動先もその人事部だった。懐も深い。
これで出世の道は閉ざされたわけだ。しかし冷静に考えてみれば、そんなものは誰かに閉ざされるまでもなく、とっくの昔に自然にふさがっていた。ぼくはやる気もなかったし、頭もわるかったし、仕事もできなかったのだ。でも、これからは、堂々と会社にぶら下がることができる。なにしろ、飛ばされたのだから。
そう考えればこれは、かなりラッキーな状況だといえる。残りのサラリーマン人生は、首を切られない程度に仕事をするふりに専念すればいいのだ。そしてこれは、自分の得意分野でもある。
熱心に仕事をするふりをして、ひたすらブラウザを閉じたり開いたりする。表計算ソフトでそれっぽいグラフを作って架空の市場分析をする。ワープロソフトを使って架空の受託明細を作ってみる。何か面倒な仕事がふってきそうになると「その施策って本当に全体最適になるんでしょうか? その議論がなされないまま進めるのは危険なのでは」とか超適当なことをいってボールを押し返したり。
そういうのは本当に超得意で、だれよりもうまくできた。自分のキャリアプランを考えると、自分が伸ばすべきスキルはこういうものであるべきだ。そう考えると、迷いなく得意スキルの研鑽に集中できるこの異動は、自分にとってプラスでしかない。
そんなことを考えていた。しかし……。
異動初日。
人事部のチームの朝礼で、異動の挨拶をする。
「今日から人事部のチームに異動になりました、響と申します! 前職の営業支援部で得た現場でのノウハウを活かし、人事部の活動に貢献していければと思いますので、何卒よろしくお願いします」
異動の挨拶なんて、適当でいいのだ。
どうせ誰も聞いていない。ここで冷静に、
「一点だけすみません。具体的には営業支援のノウハウを、この人事部でどのように活かすつもりですか。一例でいいので、今見えているものを教えて頂けますか? あ、もちろん仮説ベースで構いません」
などと真剣に突っ込んでくるやつはいない。いたとしても、そんな情緒のないやつは黙殺してやればいい。
ちなみに今私がした挨拶は、『不自然な部署にひょっこり異動をするはめになったときに使える挨拶』のテンプレートなので、読者諸賢は適宜有効活用して欲しい。部署名を置き換えるだけでまるっと流用できる。汎用性に優れている。
挨拶を終えた私は、人事部のメンバーの顔を眺めてみる。おやおやっと思う。人事部はエリートの中枢のはずなんだが、不思議なことに、どいつもこいつも冴えない顔をしている。
「というわけで、今日から我々の仲間になる響くんだ。しばらくは異動で勝手が分からず戸惑うことも多いと思うので、みんなでフォローしてあげて欲しい。そして響くんは、逆に現場ならではの視点を持って、我々に気づきを与える存在になって欲しい」
と、部長の末堂さんが、また適当なコメントをする。
この挨拶は、『不自然な部署からひょっこり異動してきた人を迎え入れるときの挨拶』のテンプレートなので、読者諸賢は適宜有効活用して欲しい。これも、部署名を置き換えるだけでまるっと流用できる。
「よろしくお願いします」
ここまでが予定調和のような、一連の儀式である。
しかし話は、想像しない方向に進んだ。
「だがね。響くん。一点だけ訂正がある」
「はい」
「あのね。残念ながら、ここは、人事部では、ないんだ……」
「は?」
「あ、やっぱり勘違いしてた。ここはね、入事部なんだよ」
「いりごと……いやいや、異動通知にも人事部って書いてましたよ。ほら……、この異動通知見てくださいよ……って、よくみたら入事部って書いてた! なんだこれ!」
「そういうわけだ。入事部へようこそ」
なぜか拍手が巻き起こる。
「いやいや…が紛らわしい! っていうか、入事部って何する部門なんですか?」
「えっとね。人事部の下位組織だよ。人事部が対応するのがだるいけど、特に重要でもないからまあいいか、みたいな。そんな優先度の低い仕事を楽しく適当にこなす部なんだよ」
「え、なにそれ楽しそう」
ぼくの心の中のわくわくの火が灯る。
「でしょ? 会社の利益はおろか、社会の利益とまるで無関係な仕事なんだよ。楽しいよー」
「いいですね。ぼくはどんな仕事をすればいいんですか?」
「ちょうど任せようと思ってた仕事があってね。入社試験あるじゃん。あれに落ちた人に、不採用通知を送るよね。で、『今後のご健勝をお祈りします』みたいな一文がよくあるじゃん」
「はいはい。いわゆる、お祈りメールってやつですね」
「そうそう。でもさ、あれって本当は祈ったりしてないじゃん。それってコンプライアンス的にどうなの、みたいな話がでてるんだよ」
「おおおー。誰がそんなイカれたことを言っているんですか」
「俺だよ。『お祈りメール界の革命児』と、後に呼ばれる男だよ」
「確かに革命的……というかイノベーションですよこれは!」
「でしょ。で、それを昨日、人事部にいったら、勝手にやればって言われたの。本当、興味なさそうだったわ、あいつら。でもまあ、じゃあやってみるか、みたいな」
「うおおおお。楽しそう! マジで会社の利益と何の関係もない」
ぼくの心の中のわくわくが、一気にはげしく燃え上がる。
「じゃあ、朝礼終わったら説明するから、この後お話しようか」
朝礼が終わったあと、末堂部長から、作業の説明を受ける。
「これが、不採用になった人に送っているメールの文面のコピーね。不採用になった子にはまずこのメールを送って、その後に履歴書を追って郵送するの」
「ふむふむ。郵送先のリストは、人事部からもらえるんですかね?」
「うん。共有フォルダにリストがあるの。えっと……これね。で、お祈りメールを送って、履歴書を送ったら、リストのここにチェックして」
「履歴書は?」
「個人情報だから、施錠した人事部のロッカーに入れてあるの。不採用の人の履歴書の置き場所があるから、そこから取ってくるの。必ず施錠した場所で管理するルールだから、自分の机の中に入れたまま帰ったりしないでね」
「分かりました。で、祈るってどうやって祈ればいいんですかね」
「そこは、君の裁量に任せるよ。何しろ、会社の利益となんの関係もないからね。ぶっちゃけ、どうでもいい。あ、でも祈ってますってことが伝わるように、メールの文面も変えてくれていいよ」
「了解しました。まずはネットで調べてみたりします」
早速パソコンで、お祈りの方法を調べてみる。「お祈り」で検索すると、お祈りメールのページがひっかかってしまい、参考にならなかった。そこにイノベーションを起こすのが、今回の取り組みなのだ。お祈りメールに本当にお祈りしている会社は、他には見当たらなかった。参考になる先行事例はなかった。当たり前か。
検索ワードを『祈祷』に変えてみると、神社の『玉串礼拝』の作法が書かれているページを見つけた。玉串礼拝が何だかよく理解していないが、日本の企業だし、しっくりくるのかもしれない。
よしこれでいくか、と思ったが、よくよく考えるとバチがあたりそうで怖い。実際の宗教にからめては駄目で、そういうものを参考にしながらも、基本はオリジナルの儀式でいくべきだろう。
ではまず、祈りを捧げる神様をオリジナルで作り上げるべきだが、ここはまあ社長で問題ないだろう。ぼくはネットから社長のインタビュー記事をみつけだし、カラープリンターでA3用紙に印刷する。それを表彰状を入れる額縁にいれて、机の前にかざってみる。何かが足りない。
「そうか。お供え物」
ぼくは社長室にいって、好きな食べ物を聞いてみる。
「うーん。ワカメかなあ……」
「あ、ワカメなら毎日食べても飽きませんね」
コンビニで増えるワカメを買ってくる。それを薄くて白い紙の上においた小皿に盛り付けて、社長の写真に供えてみる。そして履歴書を置くための木のトレイと、薄くて白い紙でラッピングしてみたノートパソコンを机の上に置いてみる。
「あ、なんかそれっぽ」
心がわくわくする。早速、末堂部長に報告してみる。
「お、いいじゃーん。薄くて白い紙がいいね」
「よくお気づきで」
「これもう、行けるんじゃない? さっそく、一通送ってみたら? 俺なんもやることないから、一緒にやってあげるよ」
「マジっすか。じゃあ、やっちゃいますね」
ぼくは人事部のロッカーから履歴書をもってきて、その中のひとつをトレイの上にのせる。そしてリストから履歴書の学生を探し、メールを開く。お祈りメールのテンプレートをコピーする。そしてメールに『ご健勝をお祈りしています。』に下に、以下の一文を書き加える。
※弊社のお祈りメールは一通一通、心をこめて祈祷しております※
シュールな一文が書き加わると、得体のしれない笑いがこみあげてくる。末堂部長もうっすら笑みを浮かべている。
「響くん。じゃあ、二人でお祈りしよっか」
「あ、まだお祈りの作法決めてなかった」
「まあ、そういうのは実際にやってみて、市場の反応をみながら決めていこうか。小さくてもいいから早くはじめて、改善のサイクルを回しながら成長させていく。そんな感じで適当にやってみようかねー」
「なるほど。祈り方は任意で」
末堂部長は小さくうなずくと、手を合わせてから目を閉じて、社長の写真に向かって祈りをささげた。私もそれに続き、祈り終えてからゆっくりと目を開ける。
「こちらも終わりました。部長は何をお祈りしたんですか?」
「うん? えっとね。それは秘密だよ。響くんは?」
「なんですかそれ。じゃあぼくも秘密にします!」
「えー。つまんない。じゃあ、言うよ。言うから響くんのも教えてね。えっとね。『毎晩ずっと、すやすや眠れますように』ってお祈りした」
「あ、むっちゃいいですねそれ」
「でしょ。きちんと眠れるって、すごく大切なことだよね。ちゃんと眠れないのは、悲しいことだよ。で、響くんは?」
「ぼくは、『もっと似合うスーツがみつかりますように』ですね」
「おー、なにそれ」
「や、履歴書のスーツ見たんですけど、あんま似合ってないんですよね。色とか」
「なるほど。言われてみれば確かに。ちゃんと人を見てお祈りしていたんだね。いいじゃん」
「では、初祈りメール、送っちゃいますね」
「いいよー」
送信ボタンを押す。
メールサーバに送信され、送信完了を告げるメッセージが表示される。末堂部長は、口笛をぴゅーっと吹き、言葉を続ける。
「パーソナルコンピュータ、デジタルカメラ、インターネット、スマートフォン……」
「はい?」
「そして、真お祈りメール」
「起きましたね、イノベーション」
「明日からタートルネック着てくるか」
「着る資格はあると思います」
「ちょっと館内放送で、あの曲流そうか。プロジェクトがXしたときに流れがちなあれ」
「怒られますよ」
「いいじゃないの、そんなの別に。まさか怒られないために生きているわけでもなし」
「確かに」
しかしお祈りメールは、その後SNSやネットの掲示板サイトを中心に、話題が広がることになった。このふざけた取り組みには賛否両論はあったが、結果としては入社試験の応募数が10倍以上増えることになった。またユニークで優秀な学生からの応募が増えた。
という結果が生まれたのも、末堂部長が賛否両論を参考にしながら、お祈りメールを柔軟に進化させ続けたからだろう。
「ふざけてやっているように見えるから、どういう風に真剣にお祈りしているかも、もっと知ってもらうようにしよっか。まあふざけてやっているんだけど」
「『私が祈ってます』みたいな写真をメールにのっけてみる? そういう野菜とかあるじゃん。農家の写真のせるやつ。その方が安心しないかな」
「何を祈ったかを知りたいって意見が多いね」
「履歴書にお守り入ってたら嬉しいかな。落ちた人だけが得することがあってもいいと思うんだよね」
そして取り組みを初めて三年。
末堂部長は、社長賞に表彰されることになった。かっちりとした人事部が対応できない『遊び』の領域から、人材募集や育成の活性化をはかる、みたいなミッションが与えられることになった。いや、成果にミッションが後付されたといってもいいのかもしれない。
「末堂部長。社長賞受賞、おめでとうございます」
「よかったよねー。あ、そうだ。今日これから暇?」
「暇ですね」
「ワカメ工場の視察にいくんだけど、一緒にいく?」
「ワカメ工場?」
「うん、お供え物のワカメさ。あれ無駄に最高級のワカメにしたほうが、なんか面白くない?」
「いいっすね。行きますか」
そういってぼくは、ノートパソコンをしまって、スーツを着てからカバンを手に持つ。オフィスから出ようとしたとき、西日に輝く出口に三人の影があった。
〜ここでプロジェクトがXしたときの曲が流れ始める〜
「ワカメと聞いては、お前らに任せておけん! わしも行く……ッ!」
「社長!!」
「あーら、このアタシを置いといて、ワカメ工場に行こうなんて、百年早くなくって? うふふふ!!」
「社長夫人!!」
「フッ……おふたりとも……抜けがけはさせませんよ!」
「後輩の山根!!!」
西日を背にした三人の姿をまぶしそうに眺める末堂部長。
力強く、号をかける。
「じゃあ、みんなで行くか……ッ!」
「「「 はい!!! 」」」
「俺達のイノベーションは、まだはじまったばかりだ!」
〜 未完 〜
佐々雪さんの次回作にご期待下さい!