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死んでいく心

生きるべきか、死ぬべきか、それが疑問だ。


イギリスの劇作家 ウィリアム・シェイクスピア


「お嬢さん名前は?」

「……分かりません」

「これは重症なようだな……」


重苦しく呻く老人。

その姿を見ると騙しているという罪悪感から胃が痛くなる。だが、ここで本当の事を言っても信じてもらえない。

これが最善策なのだと無理やり納得する。

結果的に俺はこの世界の事をなんにも知らない。

だから結果的には記憶喪失と言ってもいいかもしれない。

どちらにせよ言葉のあやだが……。


「とりあえず、私は明日なったら近くの街へ行きます」

「この付近に街はない。歩いて三日はかかるぞ」

「そうですか……でも、いつまでもここにいる訳には……」

「記憶もないのに何処に行こうって言うんだい?私は構わないから少なくても記憶が戻るまでここにいなさい。」

「……」


沈黙。

俺はこの世界ではイレギュラーな存在だ。

他人と深く関わるべきではないだろう。助けてもらっただけでも感謝しきれない。

可能性は低いだろうが、死神あいつが再び俺の目の前に現れた時、この心優しき老人にも被害が飛びする可能性がある。

それは何としても避けなければならない。


「それじゃあ、言い方を変えようか?私の友達になってはくれないかい?」

「えっ?」

「私は独り身で寂しくてね。ずっと友達が欲しいと思っていたんだ。友達を助けるのは当たり前だろ?」


おじいさんは優しげな顔で微笑む。

その優しさに引き込まれる。気を少しでも緩めれば肯定してしまいそうになる。

人に絶望していたはずなのに。

死すら覚悟していたはずなのに。


だからこそなのだろうか?こうして人の暖かみに触れると人というものがとても恋しくなる。

自然と胸の奥が暖かくなる。

だが、それと同時に疑念がわく。


見ず知らずの自分に何故ここまで気を遣うのか?

何か裏があるのではないか?

何か別の思惑があるのではないか?


考えたくもない連想が始まる。

その疑念が出てくる度に俺は自己嫌悪に苛まれ、何も言えなくなる。

人など信じるに値しないという考えと。

他人の権利じんせいを踏みにじってまで得たやり直したのだから、もう一度信じてみたいという気持ちが混ざり合い、俺の心を深く染め上げる。

どっちつかずの曖昧なかんがえ、灰色へと。

その結果、俺は何も喋る事ができなくなってしまった。


「なに、すぐに答えを出せとは言わない。ゆっくりと体を休めればいいさ」

「はい」


不意におじいさんが話を打ち切る。

俺としては有難かった。

もしかしたら、これもおじいさんなりの優しさだったのかもしれない。


________________


「ここで寝るといい。」


連れてこられたのは家の二階。

家の造りは山小屋と大差ない。

ほとんど全てが木で出来ている。だが、この家には綿などの製品は一切見当たらなかった。

ベットも木の土台に干し草類を布でまとめた簡素なものだった。

もしかしたらこの世界では木綿などは貴重なものなのかもしれない。

ただ単におじいさんが持ってないだけかもしれないが……。

だが、寝るには充分だろう。そもそもこっちはお世話になっている立場なので寝床を用意してもらえるだけ有難い。


「ありがとうございます」

「それじゃあゆっくり休みなさい。私は下にいるから何かあったら呼ぶといい」

「はい」

「おやすみ」


そう言うと老人は下へ降りていった。

俺はそれを見届けるとゆっくりとベッドへ向かい、腰掛ける。


「ふぅ……」


柔らかい。

白い純白のシーツと毛布。

その感触が心地よくゆっくりとそのまま寝転がった。

干し草のいい匂いがする。

畳の匂いと似ているだろうか?

とても気分が落ち着く。


そのまま瞼を閉じる。

思い浮かぶ事は沢山ある。だが、一番に思いついたのはあの一場面。

生きるために生き倒れてた人を見殺しにしたこと。

あの時は生きたいということ以外考えられなかったが、俺はとんでもない事をしてしまった。

今から行ってももう遅い。

俺は生きるために自分の手を汚したのだ。


涙が溢れてくる。

涙がこぼれ、シーツを小さく濡らす。

あるのは罪悪感と後悔。

俺はなんで死にたいと望んでいたのにあんな事をしたのだろう。

生きるために他人を陥れる。これでは俺は叔母や、他の人達を悪く言う権利なんてないではないか?


やはりそれが俺の……否、人間の本性なのだろうか?


死ぬことも出来なければ生きる希望も見つけられない。

俺はこれからこの体で自己矛盾に苛まれながら生きなくてはいけないのだろうか?

そんなのは嫌だ。

絶対に嫌だ!!


右手で自分の首を掴む。

多少の息苦しさと血液が流れる感覚。

そして苦しさの余り小刻みに動く喉の出っ張り。

ここを思いっきり握り潰せば死ねる。


簡単な作業だ。

そんな単純な作業で今度・・・こそ俺は消える。

だが、俺の体は今や俺だけのものでは無い。

元々は・・・かのものだったのだ。


俺は盗んだだけだ。

だから、返さなくてはならない。

絶対にだ。


これが俺の死ねない理由。

下らない自己嫌悪でこの体を犠牲にする訳にはいけない。

ゆっくりと右手を離す。

多少の息苦しさが解消され、大きく息を吸い込む。

少々過呼吸気味に呼吸してると自分は生きているという感覚が凄まじいほど残った。

これからどうすればいいんだろう。



そして俺の意識は闇へと落ちる。




「目を開けて?」


少女の声が聞こえる。

瞼がとてつもなく重いのを我慢してゆっくりと瞼を開ける。

そこには深い深い闇が映り込むだけだった。

またこの感じ……。


「あなたは誰?何処から来たの?」


少女の声が闇の中でこだまする。

俺の……名前?


思い出そうとする。しかし、思い出せない。何故だ?俺は確かに名前を持っていた。

死神あいつ・・・うまでは確かに覚えていた。

俺の…名前は……?


ん?

ちょっと待ってくれ?


そもそも俺ってのは誰だ?

他人の体。知らない世界。意識だけの存在。

少なくてもこの世界には実在してない。

ならもし全てが思い込みだったとしたら?


元の世界なんて本当は無くて、俺はこの体のもう一つの人格として存在していた場合、俺は一体なんだ?

意識だけの存在。

曖昧な存在。

魂だけの存在。


ある日目覚めたら俺は消え失せているという事象が起こる可能性も無きにしも非ずだ。

もしそれが本当に起こった場合、死以上に残酷な死に方だ。

否、死にすら入らない。

存在の消滅。


肩が震える。

死を望んでいた俺だが、俺が求めた・・・はこれじゃない。

こんなのただの……。

ただの。


「屍……生きることも死すらも許されない存在」


少女の声が悲しそうな声色で俺の心の声を代弁した。

そうだ。俺は屍、生きることも死ぬことも出来ない人間。

そして、その存在すらも曖昧な人間。

何故、死神は俺をこんな目に遭わせた。

そんなことをしてあいつに何のメリットがある。


「関係ない。私は私、あなたはあなた、それぞれ違う使命を持った存在」

「(違う使命?)」

「私には私の使命があり、あなたにはあなたの使命がある。決して交わることはない存在。その使命を全うすればいい話」

「つまり何が言いたい?」


絞り出すように俺は少女に訊く。

その瞬間、闇が一気に晴れ、世界が光に包まれる。

眩しさで目を背ける。

そのせいで俺は気が付かなかった。

背後からゆっくりと白い手が伸びていることに。

そしてその手は俺の顔を抱き寄せる。そして俺の耳元で声が聞こえた。


「あなたしか出来ない事があるからここに呼ばれたってことだよ」


______


目が覚めた時、真っ先に感じたのは首の痛みだった。視界に広がるのは、朝日に照らされ、ほんのりと明るく色づいた部屋だった。

疲れが取れたような気がしない。思い詰めながら睡眠をとってしまったからか、嫌な夢を見てしまった。

質の悪い睡眠のせいで首の他に身体中の箇所箇所がギシギシと痛む。

ため息を吐きながら上半身を起こした。毛布がずり落ちベッドの下でとぐろを巻いた。

それを気に止めることなく、立ち上がって大きく欠伸をした。そうすると体が解れていくような気がする。

段々と意識が覚醒していく中、聞き覚えのない金属音が外で一定のリズムを刻み鳴っているのに気がついた。

その金属音は重々しい感じではなく、軽やかに心地のいい音色だった。


(これは一体なんの音だろう?)


少し気になり一階へと降り立つ。

そこにはおじいさんの姿はなく、ソファーに簡素な毛布だけが落ちていた。

どうやら起きてすぐ何処かへ行ったらしい。

となると、この金属音はおじいさんが出しているものなのだろうか?

何をしているのだろう。


扉らしき所へ近づく。

木製の扉は隙間から日光での光を漏らしその体を明るく照らしそびえ立っている。

取っ手に手をかける。

その時、俺の頭の中で恐怖と好奇心がせめぎあっていた。

だが、ゆっくりと息を吐き、覚悟を決めるとその扉を全力で押す。


あまりの眩しさに目を覆った。

高い樹木から零れる光は元の世界とは明らかに違う、それで

照らしている。

草木は青々と生い茂り、鳥のさえずりが聞こえる。

とても幻想的で尚且つ、自然的な空間がそこにはあった。


そして……、その樹木の下で一つの小屋。

お爺さんはそこで大きな釜に火をくべ、大きな水鍋に水を汲み。

そして鉄の台で灼熱に燃える金属を金槌で打っていた。


おじいさんは鍛冶職人だったのだ。






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