コーチとしての成長
<コーチとしての成長>
時間も遅くなり始めたスタッフルーム。事務仕事をする晴人が、その手を止め区切りのため息をつき、大きな伸びをした。
彩香「駅まで一緒に帰りましょ!水元さん!」
晴人の正面に顔をのぞかせるその動きは、帰りを思わせるそのタイミングを見計らっての彩香の誘いだ。誘われた晴人も、もちろんそろそろ帰ろうかと思っていた所なので、迷いも疑いもなく答える。
晴人「あっ・・・はい。いいですよ。」
◇
二人で歩き始めた夜の道、妙な静けさがある喋りづらい雰囲気だ。拓也との帰り道を思い出すがその時に感じた緊張感よりも、なんだか今回はテレのほうが大きい。そんな恥ずかしさある雰囲気を壊して最初に喋ったのは、晴人ではなく彩香。彩香はきつめな真顔で、いきなり大胆な一言を、いつもと違う低い声で口にした。
彩香「自分が選手だった頃の練習をやっていても駄目だぞ!!!」
突き刺さるようなその一言。晴人は今までの彩香との関係もぶち壊してしまうほどの迫力あるその言い方に、驚き固まってしまった。
彩香「私が競泳選手コーチとしてアルバイトしていた頃に言われた一言です。」
笑顔と優しい声質に変えた彩香の言葉を聞いて、晴人はその低い声を使った理由を心で納得した。
晴人「えっ??それじゃ森下コーチは、競泳選手コーチをやった事があるんですか??」
彩香「ええ。1年だけですけど。その時、指導方法を教わっていたコーチに言われた一言。それが、さっき言った 『自分が選手だった頃の練習をやっていても駄目だぞ!!』 です。私も小さい頃から水泳をやっていた選手上がりのコーチなんです。水元さんの選手時代見たく、いい結果は出せていませんけど・・・・。」
恥ずかしそうなテレ顔で少しの間をおくと、彩香は懐かしく振り返るような表情を見せた。
彩香「今日の水元さんを見ていて、同じだなって・・・・あの時の私と。」
悟られた彩香のその言葉を聞いた晴人が、深刻な顔でうつむきその心境を語りだす。
晴人「そうなんですよね。選手時代にやらされた事をただやっているだけ・・・・・・・・・・・でも、今の自分にはそれが精一杯の指導方法なんです!!それ以外の練習方法なんて、指導経験がない自分にはまったく思いつかないですし・・・・・それでもやっぱり、選手達の言う通り。当時の自分と今の彼らでは、出来る練習のレベルが違う。選手に言われて始めて気づかされるなんて、ほんと情けないよ・・・・」
自分の非力さを痛感する晴人。そんな、晴人を見て彩香が元気づけるような明るい笑顔を見せた。
彩香「実は今日、私が1年間競泳指導を教わっていたそのコーチと呑みに行くって話しになっているんです。もし良かったら・・・・・一緒に行きませんか??」
すっ・・・・・と静かに立ち止まり、悩み考える晴人。
このままでは確実に、また信頼を失い選手との距離が広がってしまう。指導経験のない浅はかな知識。自分自身がコーチとして成長をしなければならない。その為にも、本物の競泳コーチから、本物の競泳指導を学ぶ必要があるのは明らかだった。その事の重大さが分かっている晴人は、一際重く意志の強い表情に変えると、彩香を見つめはっきりと言い切った。
晴人「ぜひ・・・お願いします!」