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水泳しかできない  作者: 野菜ジュース
最終章、インターハイ予選
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それぞれの想い

<それぞれの思い>


空を覆いつくすほど数ある大きなビル。道を歩く多すぎる人達の会話を、全て掻き消すように車のクラクションや走り去るエンジン音が街中に響き渡る。


そんなビルの一室。その部屋ではスーツ姿の男達が、所狭しと動き回りせわしさを表情に見せながら仕事をする。机を向き合わせ列を作るその職場に、一際目立つ大きな机が1つ。単独でおかれたその配置から、役職ある人が使う机なのだと見て取れた。


その机に座る男性が、ふとそのせわしく続ける仕事の手を止め、思い深げな表情を浮かべると、部屋の壁中央に設置されている大きな時計に目を向けた。


時計の針が示すその時間・・・・・その時間は10時30分。


その時間を確認すると、その男性は何かに気づくようにうつむいた。


男性社員「大久保課長!!先方にお持ちする資料が出来ました。見てもらえますか?」


慌てて持ってきた男性が抱える数十枚の資料が、腕の中で踊り乱れる。課長は、その男性にゆっくり目を向けると、落ち着いた態度で一言告げた。


大久保「すまない・・・・数分だけ時間をくれ・・・・・・」


そう言うとテーブルの上に肘を付き、両手の指を顔の前で絡ませた。そして、目を閉じると、心の中で何かを願い、思い続けた・・・・・・・・・・



自分の頬を、数回激しく両手で叩く翼。その目には、すでにスイムゴーグルが装着されている。


その横では拓也が、大きく腕を回転させ肩関節の可動域を広げていた。


脚を叩く翔太は、持ち前の武器である脚に、何かの暗示のようなものをかけているようにも見えた。


両腕を目の前で広げて身体の前で挟む、そんな平泳ぎの手の動きを繰り返す道春の目には、遠くで微笑む父親の顔が浮かんでいるようだ。


すでに自分達が泳ぐ4コースの前に立つ4人は、気持ちだけではなく、その身体にも確かな気合いを込め終えていた。


目の前で泳ぐそのレースが終れば次が自分達のレース・・・・・・・そう、最後のレースだ。


道春の母「道春!!!」


騒がしい観客席。大勢の人達の泳ぐ選手達への声援や、団体での応援合唱などが激しく響き渡る。道春はそんな声が入り混じる中、その自分を呼ぶ声にだけ気づき観客席に目を向けた。そこにいるのは道春の母親・・・・・・・・・


数多くの困難を乗り越え、やっとの思いで今日を向かえた母親。その目に、涙が溜まっているのが、プールサイドにいる道春からでも見て分かった。そんな母親が両手で持つ、小さなフォトフレーム。そこには先ほどまで妄想の中で見せていた父の笑顔が、しっかりと肉眼で見るように映し出されていた。それを見た道春は、思い出したように自分の手のひらを開く。そこには母が書いた一言が・・・・・


『3人で続けた水泳』


亡き父を思う母と子の熱き気持ちが、その言葉に込められていた。ジン・・・・っとその文字を見つめると、またその手をコブシに変え、腕を力強く突き刺すように高々と天井に突き出した。その姿は、母親が守り続けてきた道春ではない、確かな男らしさを感じさせた。


身体を動かしながら、無言で表情を固める拓也と翔太。2人は、ふと目を合わせると気持ちを込めた相槌のようなうなずきを見せ、コブシとコブシをぶつけ合った。


『センスあるお前のバタフライなら大丈夫だ・・・・・』

『お前が続けた努力ならクロールだっていける・・・・・』


しゃべらない会話は、そう語り合った。


目の前のレースが終わり、ついに自分達が泳ぐ時を迎えた。最初に泳ぐ翼は、その気合いをより高い興奮状態へと変えていく。


翼の父「翼!!!!」


声なんて届かない。何も視界になんか入らない。そこまで高めていた集中力を弾き飛ばすほどの驚愕が、身体の中を走りめぐった。


翼「お・・・・・おやじ・・・・?」


そこに居るはずのない父親の声。周りを見渡しその姿を見つけると、高ぶっていた感情が涙となって一気にこぼれ始めた。


ずっと理解してくれなかった自分の水泳。力も貸してくれず援助もしてくれなかった父親・・・・・それでも翼は誰より、自分が泳ぐその姿を父親に見てほしかった。なぜなら自分の将来を本気で考えてくれている父親だから・・・・・・誰よりも尊敬できる父親だから・・・・・・・・・・だから、自分の続けてきた努力を誰よりも父親に見せたかったのだ。


今まで一度も見せた事がない満面の笑みで、自分に手を振る父の姿を見た翼は、流す感情の涙をまた奮い立たせるような気合いへと変えた。


翼「よっしゃ!!!!!!!!!」


胸を強く叩く翼の表情からは、『目指すインターハイ』や『続けて来た水泳』という気持ちだけではない、『父に見せる水泳』への気持ちが強く感じられた。


ピピピィ・・・・・ピィィイ~・・・・・・!


その笛の音が鳴り響くと翼は足から飛び込み、一度頭が沈むまで潜る。そしてまた浮き上がり、スタート台についている背泳ぎ用のポールをしっかりと握り締めた。


彩香「いよいよですね・・・・・・・」


つぶやく彩香の顔などもう見ている暇はない。晴人は、まっすぐにスタート合図員へと目線を向けた。


その横では、店長と松山が静かに見守っている。松山はふと店長の横顔を見た。ストップウォッチを握り締める店長の姿は、あの頃の競泳コーチそのもの。なんだか、あの懐かしい日々に戻ったようで、松山は一瞬感傷に浸り、瞳の奥に涙を溜めた。


ピィィ~・・・・・!


最後の笛の合図。その音が響くと、今まであれほどうるさかった観客席が一瞬にして静まり返る。


出発員「よーい・・・・・・・・・・」


ピッ!!!!!!!


ついに・・・・最後のレースがスタートをした!

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