俺達の目標
<俺達の目標>
晴人「よし!今日もみっちり2時間!しっかり見届けるぞ!!」
翌日の練習。拓也とのやり取りがあった後でも、何も変わらず水泳指導やる気満々で選手の前に立つ晴人。それを見た拓也は、晴人に冷たい目を合わせるとすぐに流し目のように目線をはずし、練習準備を始めた。
店長「晴人!!!!!!!」
店長の激怒した声がプールサイドにこだまする。いつもならさっさと泳ぎ始める選手達も、思わずその動きを止めてしまうほどの剣幕だ。
店長「この仕事はどうするんだ???えー!!!!?」
あらぶる店長がプールサイドに投げ落としたそのプリント用紙。それは、またしても手をつけていない晴人の事務仕事だった。
店長「何回言っても、何回教えても一向に直らない!!もう私も我慢の限界だ。これ以上こんな無駄な時間に付き合って、ただ見ているだけの仕事を続けるようなら、この会社を辞めてもらう!!そして選手コースも、解散だ!!!!」
解散の一言に、普段は感情をあまり出さない選手達が一瞬にして目を見開いた。そして誰よりも拓也が、晴人を見ながら言った通りの事態になってしまった事を怒りの目で訴えかけた。
店長「さーどーするんだ晴人?答えは簡単だ!!こんな自分勝手でやる気のないやつらはほうっておいて!落ちた紙を拾い集め、早くスタッフルームに戻って仕事をしなさい!!!」
その台詞を聞いた晴人が、事もあろうか今度は逆に店長を大声で怒鳴り返した。
晴人「自分勝手でやる気のないやつら??今すぐ彼らに謝って下さい!!」
触れられたくない事に触れられたのか、興奮が収まらない晴人は足を一歩前に踏み出し、更に店長を追い詰めるように近づく。
晴人「悪いのはコーチです!!こんな環境にしてしまったコーチがいけないんです!!それなのに選手達をけなすなんて・・・・・・今すぐに選手達に謝って下さい!!」
そこまで言うと、今度は涙ぐみながら選手を思うその気持ちを語り始めた。
晴人「この2時間は無駄な時間じゃないんです!!彼らにとって大切な時間なんです!!大切な時間だからこそ、コーチとしてしっかり見届けて・・・・・しっかりそばにいてあげたいんです!!自分は、この時間だけは絶対にここに居続けます。それが自分の仕事だから・・・・今、自分が出来る一番の仕事がそれだから、自分は何があってもここに立ち続けます!」
選手達が泳ぎ続けるこの時間、その2時間を別の時間に使えばどれだけ有意義な日々の生活を送れるのだろうか。友達と遊ぶ・・・・・テレビを見る・・・・・・勉強をする・・・・・彼女や彼氏を作る・・・・・・それでもそんな時間に使わずに、泳ぐ事を選んでいる彼ら。それも幼少の頃からずっと、ほとんど毎日だ。その時間が彼らにとってどれだけ大切な時間なのか・・・・・・
役に立たなくても見続けてきた選手達の練習・・・・・・その行動は、選手達の気持ちをちゃんと理解している事を形として表していた。それは、店長が言う事務仕事、それよりもその行動の方が大切な仕事だと言う晴人のまっすぐな気持ちだった。
そんな晴人の行動の意味を知った選手達は、その叫び訴える姿を見て、いつしか心を奪われ始めていく。
しかしそんな選手達の気持ちの変化にも気付かない無関心な店長が、とどめの様な冷たい一言を言う。
店長「それが・・・答えでいいんだな??この山積みの仕事には、手をつけないって事だな??」
ここまで言っても伝わらないその気持ちに悔しそうな表情を浮かべると、晴人は店長をまっすぐ見つめ直した。
晴人「・・・・・・・職場の鍵を預からせて下さい。毎日、ここに泊まって、夜のうちに必ず与えられた仕事は片付けます。満足いくように手を抜かず、ちゃんと仕事をこなしますから!だから・・・・・・・この時間だけは、ここに居させて下さい。」
強情で聞き分けが悪いと言うよりは、自分が正しいと信じているその目。自分の時間を削ってでも立ち続けるだけの選手時間を大切にしたいという晴人のうそのない本心だ。
2人はしばらく黙り見つめあった。
店長「一つでも仕事に不備があったら・・・・すぐに選手コースを降りてもらう。そして、選手コースも解散だ。約束できるな?」
晴人「はい!ありがとうございます!」
嬉しそうに頭を下げる晴人。店長はその姿を見ると、歯軋りをさせた怒りの表情で悔しそうにスタッフルームへと帰っていった。
店長が居なくなるまで見送ると下げた頭をすぐに上にあげ、いつもと変わらない笑顔を作り選手達に近づく。
晴人「よし!これでこれからもお前らの事をずっと見ていられるぞ!!」
あまりにも素直すぎる晴人の言葉を聞いて、選手達は驚き戸惑った。
沙羅「何考えてるんですかコーチは?変わらず私達は私達で勝手に練習やりますから!」
何もなかったかのような沙羅の冷たい発言。それに同意するように、残り3人の女子選手達もいつも通りプールに入り泳ぐ準備を始めた。
そんな気持ちのこもった晴人と店長のやり取りを見ても、女子選手達はまだ心が動かされていないようだ。すると、泳ぎ始めようとする彼女らの横でずっと黙っていた拓也が、思い固めた表情で一歩前に出るとゆっくりとその重たい口を開いた。
拓也「インターハイ・・・・・・・」
呟く拓也に残りの選手達全員が目線を送る。
拓也「うちのクラブの男子選手は4人・・・・みんな同じ高校です。4人で泳ぐインターハイのメドレーリレー・・・・・・その標準タイムを切ってインターハイに出場するのが俺達の夏の目標です。」
拓也と2人で語り合った前日。その時は教えてくれなかった夏の目標・・・・・・それを口にする拓也の姿を見た晴人が震える声で答えた。
晴人「そっ・・・・・・そうか。それが夏の目標だな。」
拓也「コーチ!コーチの練習をやれば・・・・・目標は叶いますか?俺達をインターハイに連れて行ってくれますか?」
晴人は、力強い表情だけでゆっくりと首を縦に振った。
そんな晴人を見た拓也は、晴人に近づき手に持つ手書きの練習メニューをとると、ゆっくりと頭を下げながら答えた。
拓也「コーチ・・・・・今日からよろしくお願いします。」
今まで黙っていた残りの男子選手達も、そんな拓也の行動に心打たれたのか、横一列に並び拓也に続いてきれいに頭を下げた。
男子選手一同「よろしくお願いします!」
みんなが右だから右を向く。そうではなく、誰かが左を見たからみんなも左を見る。その左が正しいのだとわかり始めた選手達・・・・・・・・晴人の気持ちと行動が、ついに選手達の心を動かしたのだ。
そんなやり取りを、またプールのギャラリーから覗く見下ろす2人の影が・・・・
木島「店長!なんであそこで首を切ってやらなかったんですか??十分いいタイミングだったのに!選手コースを潰すチャンスでしたよ!!」
それを聞いた店長が、力強い顔でプールを見下ろす。
店長「久しぶりに見たよ・・・・本物の水泳コーチの顔・・・・・・」
木島「・・・・・・えっ???何を言っているんですか??」
木島の反応に我に返った店長が、首を横に振りながら冷静に言った。
店長「・・・・いやっ・・・・なんでもない。毎日泊まりで仕事をやるって言っているんだぞ?見せてもらおうじゃないか!水泳コーチがどれだけやれるかを!!・・・・それに・・・・・・」
店長が目線を晴人から女子選手達に変える。
店長「あの、女子達は一筋縄じゃ行かないだろう・・・・・・」
ずっと認めてくれなかった選手達、理解をしてくれなかった選手達。あれだけ動かなかった選手達の心を、ついに晴人は動かす事が出来たのだ。大きな進歩を遂げた選手達を見ながら、晴人は達成感に満ち溢れた笑顔で初めての練習を開始した。
そんな空気の中、4人の女子選手達はおもむろに、晴人を無視した今までと変わらない態度で自主練を続けていた。