表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水泳しかできない  作者: 野菜ジュース
最後のレースまでに出来ること
59/71

松山が教える最後の職人技

<松山が教える最後の職人技>


松山「もうお前には何も忠告もせずに最後のレースまで臨んでもらうつもりでいた。それでも神田が・・・・ここの店長がどうしてもと言うので今日はわざわざここに来た。俺が教えられる最後の職人技だ。しっかり物にしろよ・・・・・・」


深い意味深があるその言葉。それにうなずくと、意を決したように選手の前へ進んで行った。


いまだに不安を抱えた自信ない表情ばかりを浮かべる選手達。挨拶を終えると、そんな自信なさげなまま選手達が練習をスタートさせた。晴人の少し後ろでは、様子を見るといった腕組みの姿勢で、睨むようにその練習を見つめる松山がいる。晴人にはそれが、妙なプレッシャーに感じた。


松山「で?どんな答えを出したんだ?」


一ヶ月で結果を出す方法。それの助言として松山からもらった言葉『選手の資質を見抜け』。それに対する答えを松山は聞いているのだ。


晴人「はい。選手が泳ぐ種目を、2人だけ変更しました。翔太がバタフライ、拓也がクロールです。」


松山「なるほど・・・・それで?」


一度全ての意見を聞いてから答えようという松山の考え。それを察してか、晴人がその心中を語り始めた。


晴人「翔太は小学校の頃にバタフライでジュニアオリンピックの決勝まで行った事があるんです。それが選手の資質・・・・・という自分の判断です。ですが正直、本当にそれが正しいのかどうか・・・・・・・・・」


松山「不安なのか??」


晴人は、松山にだからこそ見せられる、言葉そのままの不安な表情でうなずいた。


松山「そうか・・・・・・・俺が言っていた『選手の資質』・・・・・晴人、大正解だよ。」


目を輝かせほっとしたうれしい表情を見せる晴人。松山は晴人より前に出るように一歩足を踏み出すと、選手の泳ぎを見ながら説明を始めた。


松山「小柳翔太・・・・・あの頃の彼の泳ぎは天才的だった。俺が彼を知ったのも丁度そのジュニアオリンピック決勝の時だ。一目見て・・・・・やつの泳ぎに惚れ込んだよ・・・・・・・・・・」


前回の大会で、松山が翔太を見て納得をしたあの時。松山はそれを思い出し気が付いたのだ。


松山「見てみろ!」


練習する選手達。松山が指さすそこには、華麗にバタフライを泳ぐ翔太がいた。


松山「彼の武器、それはキックだ。特に俺が彼に惚れ込んだのは、スタートから浮き上がりまでの水中キック。あの選ばれた者しか出られない大舞台で、彼はダントツの浮き上がりを見せた。そしてもう一つ・・・・それが、バタフライの第2キック。その伸びと進み具合が明らかに他の選手とは違う・・・・・・・」


言われた所を注意しながら見てみると確かに松山の言う通り、翔太のキックには天性のスピードと伸びがあった。


松山「なぜもっと早くに気付かない!?俺にはそんな風に思えるほど、大きな違いを感じるがな。」


松山は晴人を睨むように見つめた。ライオンに睨まれた兎のように、晴人が一瞬身体をびくつかせる。


松山「まぁ、俺の忠告を聞いてすぐに気がついただけ、よしとしよう。ただ、それだけでは、恐らく一ヶ月後の予選会には間に合わないだろう・・・・・」


松山の、核心を付くような不を漂わせる一言。


晴人「どーいう事ですか?まだ何か必要なんですか?教えてください!!」


松山「まぁ、今日の練習でも、その理由が見えて分かるだろう。その時に教えてやるさ・・・・」


そこまで説明すると、また松山は一歩下がるように後ろの壁まで行き、その壁に背中をつけながら腕組みを始めた。


拓也「コーチ・・・・・トイレいいですか?」


声に驚きプールを見ると、練習メニューの一つが終了した選手達が、息をあげながら晴人の次の一言を待っていた。


晴人「あっ・・・・ああすまん!トイレとイージー・・・・・いいぞ!」


トイレと、中休憩のイージーが終了した選手達。その前に立つと、続いての練習メニューを選手達に伝えた。


晴人「よし!次はハードだ!!一本目のバタフライから全力で泳げよ!!」


その練習メニューは、50mを全力で泳ぐのを10回繰り返すという練習。泳ぐ種目はバタフライだ。それを、絶好のチャンスと思った晴人は翔太を見て煽るように言った。


晴人「翔太!!全国に行ったお前の力を本気で見せてみろ!!1本目!!隣の拓也と勝負だ!!」


それを聞くと、さすがの翔太にも火がついたのか、胸をたたいたり腕を回したり・・・・そんな気合いの入った行動を見せた。そんな翔太を見てしまえば、拓也にももちろん気合いが入る。2人のバタフライによる真剣勝負となった。


晴人「よーし!!行くぞ!!!気合い入れていけ!!!よーい・・・・ハイ!!!」


スタートの合図。それと同時に2人が勢い良く泳ぎ始める。


いつもなら、バタフライの勝負は話にならないほどの大差で拓也が勝っていた。拓也が28秒台で泳ぐのに対して、翔太は33秒程度だ。そのタイムは拓也どころか、4人の男子選手の中でも一番遅いタイムだった。


晴人「え・・・・・・うそだろ・・・・・・・・?」


勝負を促した晴人本人が、驚愕するほどのその泳ぎ。まさに今日の翔太は別人だった。


晴人「拓也!!28秒6!!翔太!!・・・・・・・・25秒4!!?」


翼「は??」


道春「うそ・・・・」


そのまさかのタイムに焦りの声を漏らす翼と道春。拓也はもう言葉を漏らす所か、現実かどうかもわからないといった表情で、口を半開きにさせた。そのタイムを聞いた松山が、口先を上にあげながらニヤッとした笑みを浮かべる。


松山「そこまでは計算どおり・・・・・しかし・・・・ここからだ・・・・・・」


晴人「よ~し!!すごいぞ翔太!!そのまま次も行っちゃえ!!よーいハイ!!」


あまりのうれしさで更に気持ちが乗ってくる晴人。しかし・・・・・・


晴人「?どーした翔太!!?・・・・・拓也28秒8!翔太・・・・・35秒8???」


あからさまにさっきと違った、遅すぎるタイムで泳ぐ翔太。晴人はそんな翔太を不思議な顔で見つめた。


『練習が弱い翔太』それが露骨に出てしまった結果。結局、10本なんて本数は到底もたず、最終的には40秒をかける泳ぎでその練習を終了した。


10本を終えた選手達は、また体力回復の為、ゆっくり泳ぐイージーを始めた。ストップウォッチを見ながら黙り愕然とする晴人。松山は、そんな晴人に近付くと、肩に手を置いて呟いた。


松山「どうだ、わかったか?これが奴の弱点だ。泳ぎがどんなに天才的でも、あのタイプのスイマーでは100mも持たない。」


松山が言った、『それだけでは1ヵ月後には間に合わない』。聞かずともわかる、そのせりふの答えがこれだったのだ。


いわゆる一発屋、翔太は一本しか頑張れないのだ。そんな練習しか出来ない翔太に

50mプールでの100mバタフライがもつとは思えない。それは翔太本人の『体力』『やる気』『努力』だけでなく『体質』にも大きく関係してくる問題だった。


晴人「・・・・・・どうすれば・・・・・・どうすれば練習ができるようになるんですか?」


松山は、その言葉を待っていましたと言わんばかりに、自信ある笑みを浮かべた。


松山「ペップトークだ・・・・・・・・・・」


晴人「ペップトーク??」


聞いた事もないその言葉に、晴人は首をかしげた。


松山「漫画のスラムダンクって知ってるか?あれの名シーンの一つ、三井と安西監督のやりとりがあるだろ?・・・・・」


晴人は頭にそのシーンを思い描きながらその話に聞き入った。


松山「ある試合で勝利を諦めかけた三井の前に、ボールを差し出す安西監督が一言を言う・・・・・『諦めたらそこで試合終了ですよ・・・・・』それがペップトークだ。」


それでもまだよくわからない晴人は、首をかしげたまま自信なさそうに言った。


晴人「選手をやる気にさせる・・・・??」


松山「そう言ってしまうと簡単な事のように聞こえるが、ペップトークはもっと奥が深い。長文ではなく短文で、その言葉を聞けば一瞬でやる気が戻る。そんな価値ある一言を『ペップトーク』と言うのだ。特に競泳コーチには重要なテクニックで、インターバルの合間の数秒でペップトークを使わなければならない。職人にもなれないような力のないコーチは、対外『頑張れ!』といった効果のない言葉を連発してしまったり、まったく何も言わず無言の練習を続けたり、『しかる、怒る、けなす』のような見下す方法で逃げてしまう。」


日頃から『頑張れ』としか言えていない晴人は、自分の事を言われているようで少しの恥ずかしさを表情に出した。


松山「今までのお前の練習では、それが出来ていなかったかもしれない。しかし、俺が見る限り・・・・・このテクニックはお前にとって得意な分野に感じるがな。」


熱い気持ちを持っている晴人。そんな人種に合ったテクニックなのかもしれない。それを伝えると、松山は持ってきた荷物をまとめ始めた。


松山「これが、俺からお前に教えられる最後の忠告だ!!一ヶ月後のレースで結果が出るかどうか・・・・後はお前次第だ!!」


そして、もう一度晴人の肩を軽く叩くと、巣立つヒナを見送るような目で呟いた。


松山「一ヶ月後のレース、楽しみにしているぞ!俺が惚れ込んだ翔太の泳ぎ・・・・・・・もう一度目の前で見せてくれよな!」


師匠のもとを離れて自立する弟子。そんなやり取りを終えると松山は寂しさある後姿で、ゆっくりとプールサイドを後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ