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水泳しかできない  作者: 野菜ジュース
ぶつかり合う気持ち
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態度の悪い選手達

<態度の悪い選手達>


時間は18時30分。この時間から2時間の20時30分までが競泳選手指導の時間だ。『やる気のない選手達』と言っていたその言葉、ついにその選手達との初対面を迎える。


晴人はこの日のために用意した自分が競泳選手だった頃に着ていた日本選手権のポロシャツを手に取った。


JAPANと胸元に書いてある思い出のポロシャツ、願掛けではないがそのシャツを着ているといつも気合いが入り、自分の水泳選手時代に戻るような妙な自信を持てると感じていた。それに着替えると空気を大きく吸い込み、ため息混じりにその息を吐き出した。

そして、もう一度その全ての不一致を振り払うように『よし!!』と言う独り言で気合いを入れ直した。


スタッフルームから一直線に伸びる下り階段。その階段を下りるとそのままプールサイドまで行く事ができる。腕を振りながら気合いたっぷりの晴人がその階段を駆け下りていくと、すぐにその晴人を呼びとめ引き戻す声が・・・・・・


店長「おい!!水元君!!・・・・ちょっとこっちに来なさい!!」


晴人「??なっ・・・・なんですか?ヘッドコーチ・・・いや違った、店長!!!今から選手と初対面の大事な時なんですよ!!」


渋々といった態度で戻る晴人を見ると、すぐに店長が雷のように怒鳴り散らす。


店長「何ですかじゃないだろ!!!なんだその格好は!!プールサイドには選手以外にも数多くのお客さんがいるんだぞ!!お客の前でうちのユニフォームを着ないなんて社会人として間違っているだろ!!会社の服を着なさい!!会社の服を!!」


まさか服装まで注意をされるとは・・・・何だか何も出来ない子供のようで情けなく感じさせる。そんな風に感じた晴人は、親に怯える子供の目で店長に視線を送り返した。


店長「何がJAPANだよ!!そんなポロシャツはもう必要ないから捨ててしまいなさい!!お前が水泳の日本選手権に出ているからってこの仕事には何も関係ないんだ!!それともう一つ・・・・・今日来る時もジャージ姿だったが、うちの会社はスーツ出勤だからな!!水泳コーチではなく会社員らしく、明日からはスーツで出勤するように!!」


そう叫びながら晴人のお尻を強く叩き、イヤミったらしくにやりと笑う。


そんな態度にまたしてもイラつきムカつく晴人。それでも今はそんな事でもめている暇はない、営業ユニフォームに着替えると気持ちを仕切り直して初対面に向けた階段を足早に駆け下りた。


水泳のコーチらしく堂々とした様相で、タイル張りのプールサイドを歩き選手達に近づいていく晴人。その姿をプールの上にあるギャラリーののぞき窓から見つめる男性スタッフが1人、その横にはスタッフルームから移動した店長の姿もあった。2人は企みある見下した顔で文字通り、見下す形でギャラリーから晴人を見つめる。


男性スタッフ「どーですかねぇ、彼。長く続きますかね・・・・この仕事。」


そう話すのは、男性スタッフの木島 武久キジマタケヒサ。彼は、会社での出世を狙って店長に入り浸りをしているずる賢い男性社員だ。全てが店長に忠実で、仕事も出来るかなりのエリート。そんな彼も、もちろん店長と同じく『選手コースを潰す』という思惑を抱いている1人だ。


店長「・・・・・あれじゃぁ無理だろうな。もって1ヶ月・・・・彼が求めている世界と、ここの世界はまったく違う世界だからな。」


不敵な笑みを見せる店長の表情は、どこか恐ろしい江戸時代の悪代官のようにも感じさせる。


木島「早く彼の役目を果たして、全てを終わらせてくれればいいんですけどね・・・・」


店長「・・・・そうだな。『選手コースが潰れる』という理想の結末と一緒にな。」


二人の悪巧みをするその姿は悪意の固まりにしか見えない、そんな漆黒の空間を作り上げていた。


実は、晴人を新人社員として選んだのには理由があった。『熱すぎるコーチ』と『やる気のない選手』。そのそりが合わない不釣合いな条件から、大きな揉め事を起こさせて共倒れのような結末にさせようとしているのだ。


店長「さぁ・・・・水元晴人君。あなたの水泳選手に対する熱意の、お手並み拝見ですよ。」


プールサイドでは晴人が選手の前に堂々と立ち、今まさにその挨拶をしようとしている所だった。


晴人が担当する選手達は全部で8人。男子高校生4人と女子中学生4人だ。晴人は、水着に着替えて準備万全な8人を目の前に、その緊張の第一声を口にした。


晴人「はじめまして。今日から君達を指導する事になった新しいコーチ、水元晴人だ!よろしく。自分も小さい頃から競泳をやっていて、高校時代は日本選手権にまで出場した経験がある!正直、指導経験はまだないが、自分が選手だった頃の経験を活かして君たちに水泳を教えていきたいと思っている。まず最初にみんなに聞きたいのが・・・・・・」


話し途中の晴人が、ふと目線を女子選手達のほうに移すと、なんと女子選手達は晴人の話のなどまったく聞かずに泳ぐ準備を始めてしまっていた。その準備を終えると、ついには晴人を無視して勝手にプールの中にまで入ってしまった。コーチを無視したあまりにも不謹慎なその行動。初対面の晴人もさすがにそんな女子選手達をコーチらしく少し上から目線の強めな言い方で怒鳴る。


晴人「おっ・・・おいちょっと待て!!まだコーチが話をしている途中だろ!!何勝手にプールに入ってるんだ!!!」


拓也「あっ・・・駄目ですよ。彼女らいつも自分達で練習メニュー作って勝手に練習してますから。」


そう言ったのは男子選手の1人、拓也タクヤ。真面目そうな外見をした少し小柄な体格の高校2年生だ。


それを聞くとすぐにまた別の男子選手が晴人に冷たく言った。


翼「それから自分達も自主練させてもらいますから。それと、2時間練習ですけど用事があるので1時間半で帰ります。」


感情表現がない無表情のまま、淡々と平坦な口調で喋る彼の名前はツバサ。身長が一番大きい高校2年生だ。なんと勝手に自分達の練習時間まで変えてしまった。


挨拶もなしに勝手に自分達で練習を始めてしまう女子選手達。


やる気もまとまりも感じない無神経な男子選手達。


完全にコーチを無視した自由気ままな行動と言動・・・・・『うちに通う選手達は水泳選手なんて名ばかりの、まったくやる気のないどーしようもない中高生ばかり』そう言った彩香の言葉が瞬時に晴人の頭をよぎった。


晴人「ふざけるな!!!!」


晴人は、持っていた名簿や資料、そしてこの日の為に作り上げた練習メニューをプールサイドに叩きつけ、撒き散らしながら叫んだ。


その行動は、ここまであまりにも自分の理想と違いすぎた職場の環境、それに対する八つ当たりのようにも感じた。


感情的になってしまった晴人はその隠しきれない自分の気持ちを、そのまま選手達に熱くストレートにぶつけた。


晴人「俺はお前達を教えにここに来たんだ!!競泳選手の指導をする為にこの仕事を選んだんだよ!!それなのに、選手達にそんな態度されたら・・・・俺はこれからどうしたらいいんだ!!?俺は、お前らを速くさせたい!!!頼むから真剣に話を聞いてくれ!!」


全てを吐き出すような心の叫び。晴人の姿が少し可愛そうに見えてしまうほど、その言葉には無色でまっすぐな熱い感情がしっかりと込められていた。


一瞬の沈黙・・・・・・・さっきまで冷然と自分達で練習準備を進めていた選手達も、その動きを止め、それぞれがそれぞれに何かを思い悩む表情をした。


沙羅「・・・・・・・・・・信用・・・・・・出来ないんですよ・・・・・・。」


そんな嫌な沈黙を破ったのは女子選手の1人、沙羅サラ。その発言で、みんなの注目を集める。


沙羅「今まで、いろんなコーチが私達を教えてきました。それでもみんな、結局信用できないんです!!!やる気もなくて、水泳の事も全然分かっていなくて・・・・・・・・・・」


沙羅が話を途切れさせたのを見て、そのすぐ横にいた別の女子選手、美月ミヅキが続けて口を開いた。


美月「私達ももう中学生です!男子だって高校生。小学生じゃないんだから見ればすぐに分かります。やる気があるのかどうか、本当に水泳の事わかって教えているのかどうか・・・・・コーチを見ればすぐに分かるんです!!」


拓也「みんな、水泳やコーチが嫌いなわけじゃないんだ。不良みたいに、曲がっている訳でもない。ただただ、もうコーチに騙されるのには、うんざりなんです。」


翼「ころころころころコーチが変わって、やり方も変わって・・・・・もうそんなのがうんざりなんですよ。」


次から次へと溢れ出てくる溜まっていた選手達の不満。その言葉には、それまでの行動が反抗的とはまた別で、理由あるものなのだという気持ちがしっかりと込められていた。『やる気がない』のではなくて『信用ができない』。その意味の違いが言葉の中に込められていた。


またしても沈黙、いやな空気が流れる。そんなプールサイドの様子を天窓から見下ろす店長が、嫌な表情をしながら小声で呟いた。


店長「さぁ、どう対応しますか・・・・水元君。」


晴人「・・・・・・ふぅ・・・・・・」


肩の力が抜けるような大きなため息をつくと、晴人は落ち着きを取り戻すように、叩き付けた資料をゆっくりと拾い集め始めた。その全てを拾い終わると、じっくりとその多すぎる資料の1枚1枚に目を通す。


晴人「君が山田 翼か。高校2年生・・・・・平成6年4月25日生まれだな。種目は背泳ぎ。11月23日・・・・100m背泳ぎが59秒54。12月17日の50m背泳ぎが28秒9・・・・・」


翼「・・・・何ですか?それ・・・・・・」


晴人「その隣が・・・・鈴木 拓也、高校2年生。平成6年9月3日生まれ。種目は自由形だな。11月23日の50m自由形が25秒97。12月17日の100m自由形が56秒84・・・・・」


そこまで読み上げるとその多すぎる資料から目線を外し、選手達をまたしっかりと見つめ直した。


晴人「それだけじゃない。調べられる限りの全員の細かい資料がここにはある。小学校の頃からの大会タイムから練習タイム。今までの練習時間と泳いだ距離、更には身長体重。資料として残っているお前らが水泳始めてからの全てのデータだ。」


拓也「・・・・・全部??そんなに調べるなんて、どれだけ時間かけてるんだよ。」


就職が決まり、勤務先も決まり、教える事になる選手コースのメンバーがはっきりと決まった。晴人にとっての仕事はその競泳選手コースが全て。自分と同じように熱い気持ちを持った競泳選手達を立派に育てていく事が全てだった。そこまでの気持ちがある晴人は、選手コースのメンバーが決まるとすぐに、下準備となる情報を出来る限りの手段で集めていた。


パソコンからは過去の大会などの実績を調べ集め、彼らを教えてきた過去のコーチを探すと、残っている限りの練習メニューや選手達の身長体重など細かいデータを聞き出していた。


まだ仕事が始まっているわけでもないのに、身も時間も削るその作業。それに要する時間は、相当だったのであろう。そんな晴人の努力に気が付いたのか、選手達の信用していなかったコーチに対する視線が、一瞬だが驚きと少しの期待に満ちた視線へと変わる。そして、その心と心が細いながらもしっかりとした糸で繋がり始めた。


晴人「もう一度言わせてくれ・・・・俺はお前達を教えにここに来た!!選手の指導をする為にこの仕事を選んだんだ!!今までお前達が教わってきた気持ちの無いコーチ達とはわけが違う!!確かに指導の知識はまだないのかもしれないけど、俺は本気で君らを速くさせたいんだよ!!!」


変わり始めた期待の目。その繋がった糸を、離さずにぐっと手繰り寄せるように熱意のこもった追い討ちの説得を選手に向かって投げかけた。


沙羅「もういいよ!みんな早く練習しよう!!もう騙されない!!私達・・・・そう決めたでしょ??」


不信感から信頼、一瞬だけ変化を見せた選手達の気持ち。それでもその気持ちをまた、『正当化』に戻るかのような女子選手、沙羅の叫びだった。


何が正しい『正当化』なのか、まだ若い彼女達にはそんな答えはすぐに出せない。そんな彼女達は、今まで通りの『不信感』を頼りに繋がった糸を切り捨て『正当化』に戻していた。


自分達で作った練習メニューで泳ぎ始める女子選手達、それを見た男子選手達も我に返るようにその横で、また淡々と自主練の準備を始める。


結局変えることが出来なった選手達の心。それでもその中の1人、拓也は一瞬また振り返り、晴人のほうに目をむけて心迷わす表情を作った。


翼「おい、拓也!練習始めるぞ!!」


その声に気づき向きを直すと、他の選手達はもう皆すでにキャップにゴーグルをつけて、泳ぐ準備万端の状態だった。


拓也「あっああ、ごめん。・・・・今行くよ。」


拓也は口ごもりながら慌ててすぐに答えた。


そんなやり取りを、相変わらずギャラリーの窓から腕組みをして観賞している悪巧みの2人。


木島「結局彼もこんなもんですね。このまま行けば・・・やっと選手コースを潰せる・・・・・・」


思惑通り・・・・そんな事を思う木島の発言。その横では、店長が気迷いするような目でプールサイドの晴人を見つめていた。


店長「・・・・・・・・・何かが違う気がする。今までのコーチとは何か違う癖がある・・・・・もしかしたらあいつ、本当に選手コースをまとめてしまいそうな・・・・・・」


木島「なっ、何を言っているんですか店長!!そんな事になったら今より営業に支障をきたします!!そんな事、あってはならないです!!」


それを聞いた店長が、また怒りにも感じる悪代官の顔に変えプールサイドを睨む。


店長「そんな事・・・・させませんよ、絶対に!!」


その表情には、何があっても競泳選手コースを潰すという曲げられない感情が込められていた。

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