心からの礼儀
<心からの礼儀>
誰とも口を利かず黙々と仕事を続ける晴人。前日のやり取りからずっと強情なまでにその態度を続けていた。
そんな無言で冷淡な態度は、どこかスタッフへの八つ当たりのようにも感じた。そんな時間が過ぎていき、ついには選手の指導時間が近づいてきた。いつもならもうプールサイドに降りてその準備をしている時間なのに、この日はスタッフルームの自分の席で腕を組み、押し黙るようにテーブルの一点を見つめていた。
プールサイドでは、いつも通りに大久保がやってきた。一瞬誰かを探すように周りを見渡す、それを終えると大きなため息をついてゴーグルをかけ泳ぐ準備運動を始めた。
彩香「水元コーチ!!!・・・・選手が・・・・来ました。」
プールサイドから駆け上がってきた彩香のその言葉を聞き、晴人は溜め込んでいた息を大きく吐き、ゆっくりと立ち上がった。
大久保の後ろには、更衣室から現れた8人の男女が立っている。そのまま、その8人は大久保の前で横一線の整列をする・・・・・・そして、一人の号令で機敏に揃えて深々と頭を下げた。
翔太「きおつけ!!!礼!!」
一同「すいませんでした!!!!!!!!!!!」
地響きのようにこだまするその大きな声。数分にも感じるほど長く深々と頭を下げた後、その頭をゆっくりと起こし、翔太が今度は両膝両手をプールサイドに付け、そのおでこもプールサイドにつけると心のこもった言葉を叫ぶ。
翔太「俺達は・・・・・小さい頃からひたむきに水泳を続けてきました!毎日毎日休まずに、友達との時間や、テレビや遊びの時間や、家族との大切な時間・・・・・・そんなかけがえのない大切な時間も、全て泳ぐ時間に変えて今日まで水泳を続けてきました!!」
頭を上げると、涙を溜め込んだ強い眼差しで大久保を見上げた。
翔太「最後の勝負なんです!!!この夏が、俺達がずっと続けてきた水泳の、最後の勝負なんです!!!泳ぐこのコースが大切なコースなのはわかっています。それでもどうか俺達の為に・・・・・・このコースを貸して下さい!!!」
また、その頭をプールサイドへぶつけるように下げ、大きな声をこだませる。
翔太「お願いします!!!!!」
習い事としてもっとも長い時間と期間を使うスポーツ、水泳。その中でも競泳は別物に感じるほど全てを犠牲にしなければならない過酷な状況だった。夏休みやゴールデンウィークはもちろん、お盆や年末年始。その大切な時間にまで練習を続けなければならない。そうまでしても続ける理由、それは結果がほしいから・・・・・・夢であるインターハイ出場を実現させたいからなのだ。
そんな翔太の確かな思い。いつも心ある熱心さでその思いを伝える晴人のように、翔太もまた熱い礼儀で大久保にしっかりと訴えかけた。
大久保は無言でその選手達を見渡し睨むと、強い口調で言った。
大久保「また前のような態度をしたら・・・・・二度とここのプールを使わせないからな・・・・」
晴人「しませんよ!!そんな態度!!!」
プールサイドに下りてきた晴人。選手と大久保に歩き近づくと、上目線にも感じる大きな態度で大久保に言い放つ。
晴人「彼らが続けてきた水泳・・・・・・今の彼らならその意味を、態度で示せます!!」
大久保の目の前でその足を止める晴人。そして強い眼差しで大久保を見た。
大久保はそんな晴人を見ると、ため息とともに目線を晴人から翔太に移した。睨みつけるその目を見て、プールサイドにまた一瞬の緊張が走る。
大久保「おい!!!」
大久保の睨みつける目に、真っ向から勝負するような眼力を送る翔太。そんな翔太を見ながら大久保が優しく静かに言った。
大久保「・・・・・・・・いい顔が出来るじゃないか・・・・・若者。」
それを伝えるとそのコースから離れ、大人が泳ぐ残りの4コースのプールに身体を沈めた。
大久保「夏の楽しみが一つ増えたな・・・・・・君達のレースの結果・・・・・必ず教えてくれよ。」
人としての礼儀。選手コースが嫌いなわけでも、コースが少ない事に文句があるわけでもなかったのかもしれない。大久保はその選手コースに足りない部分を見抜いていたのだ。そしてそれが兼ね備わった事を見届けた大久保は、もう文句もなく大勢が泳ぐその大人のフリーコースを、いつも通りの自己流の泳ぎで泳ぎ始めた。
それを見送ると晴人は、翔太にゆっくりと近づく。
晴人「翔太の熱い気持ち、俺にもしっかり伝わった。その気持ちがあれば、夢は叶うさ。そして必ず大久保さんにも、いい結果を報告しような!」
見ると翔太は周りも気にせず、泣きじゃくっていた。素直でまっすぐな男泣き。
翔太「・・・・・・せっかく譲ってもらったプールのコースです。コーチ・・・・・何があっても、結果を出させてください!!!俺達が続けて来た水泳が無駄じゃ無かったって事を、結果で教えて下さい!!」
彼らにとっては、それまでの短い人生の全てをささげてきた水泳。その想いが夏にかけるその言葉からしっかりと伝わってきた。
久しぶりに2コースを使い泳ぎ始めた選手達。そんなプールを見渡しながら、晴人は大久保の方に目をやった。そして、横にいる彩香に独り言のように呟く。
晴人「あの人は悪意だけであんな行動をしたんじゃない。俺達に、何かを教えたかったんだな・・・・・」
新しい仲間を見つけたような、不思議な気持ちになる晴人。晴人も選手達も大きく成長できた大切なトラブル、その経験を胸にまた大きな目標であるインターハイと全国中学校に向けた練習をスタートさせた。




