茶匙 3杯目
震える手にハンカチを握りしめたまま公妃エリイゼは帰っていった。懐には茜色と闇色の二色の光映球を忍ばせている。部屋を出るときに振り向いて、ノンナにすこしだけ微笑みかけた。
「母御によろしく。そのうちゆっくり会いたいものです」
そういうと廊下の先に控えていた近習を従えて、迎えの乗り物に乗り込んだ。アエランさんがノンナに片手をあげて挨拶してから仕事にもどって行った。
ノンナの胸はまだどきどきしている。光映球はいちど開封すると、そのあとは伝言の受け手なら誰でも開けるようになる。王宮にもどってから、公妃がパトリヌス公国の王であるアドレア公エルドレッド様に伝言球を開いて見せて、事態の収拾がなされるまでいったいどのくらいの時間が必要なんだろう。
ハイゼル様はいったいいつおうちに帰れるのかな。今は伝説のくくり屋トーコと一緒にいるから安心だけれど。でもトーコの料理は壊滅的なんだよね。
『 チキウ界所属 異世界横断ギルド公認くくり屋
イズミ家の13代目 ナカツカサ・トーコです。
ここスタオルバ界 ナダル帝国 南方将軍ファイル=カウント閣下の
統治領で保護された異世界からの迷い人を、
トルキエ・ハデル界 パトリヌス公国
第三王子ハイゼル・デューク様と確認いたしました。
お怪我もそれほどではなく、帰国も可能なのですが
事故に遭われた状況が不穏だと判断いたしましたので
闇色の伝言にて取り急ぎご連絡さしあげます。 』
ついさっきエリイゼ様といっしょに見た伝言球の中で、あいかわらずの滑舌の良さを発揮していたのは母さんだった。録音したときには、これを開封するのはノンナとエリイゼだと予想していたに決まっている。両手がわきわきしたくてたまらない、とでも言いたげに揺れている。
(Vサインとかしそうなのをグッとこらえているんだろうなあ)
主婦と兼業で異世界横断のくくり屋をやっているトーコ母さんは、週休2日で水曜日から日曜日まで外勤(?合っているのかな、この表現?)して、月曜と火曜は家でまったりしている。自宅の大高小鳥神社は週末が忙しいので、父さんも兄さん達も週明けに母さんと一緒にまったりするのだ。まあ、父さんは主にべたべたするというか。
ノンナは一度出かけるとずっと出っぱなし、なタイプなので、こないだ母さんと会ったのは、ひぃ・ふぅ・みぃと指折り数えるともう3週間も前だ。偶然ヒキフダヤ界の異世界扉の内側で再会して、「娘よ!」「母さん!」と小芝居してプラットホームでヒキフダヤ名物の麺類をおごってもらった。
あのときはまだハイゼル様のごたごたは起きていなかった。予兆さえもなかった。
(それとも私がきづかなかっただけなのかな・・・)
情報を扱うくくり屋だから、行商によく使う異世界の各地方の情勢にはアンテナをはっていたのに。
ノンナはちょっと肩を落としながら、後片付けの手を動かした。