茶匙 1杯目
右足入れて跳腰かなー
痩せた男のほうは、不意をつけばいけるだろう。こっちの大きいほうは‥
ノンナは伏せた睫毛越しに大柄な男の腹の脂肪を伺った。
筋肉じゃないみたい。きっとほとんどが贅肉だ。手刀も入らないかも。
やっぱりバックスピンキックかな、キックしかないかな、そうだよね、うんうん。
どんな技にしても市場では狭い。
他の店を巻き込みたくないし、もちろんノンナの商品だって守りたい。
店舗はヤヌカのギルドからの借り物だから、壊したらマズイよね。どっちにしてもここから離れなくては。
店の奥に立てかけてあった長杖を持つと、小さな溜息をついて(あ~面倒くさい、でも二人組には諦めたように見えますように)微笑んだ。「どこへでもご一緒します」
「お、おう。いい心掛けだ」「それじゃさっそく」「さっそく」「そこの宿屋の2階にでも」「や、宿屋」じゅるっ
「ばか。涎が出てる」「いけねえ」
なんだか情けないな、この人たち。
でも急いだほうがいいかもよ、だって足音がきこえるもの。
ほら。
「どーこ行くの。ノンナちゃん♪」
波打ち輝く赤毛に緑宝玉の瞳。アエランさんは美人さんだ。いつもの臙脂色の制服姿じゃなくて、白いシャツの袖を捲くっている。
ノンナの肩を抱いて「ニッコリ」とほほえんでいるけど、これはこういう意味だな。
(こんな面白いこと、なんで声かけないのかなあ、あとでちょっと顔かしなさい、ね。うふ)
それまでハラハラしながら遠巻きに見ていたお客さんたちが、アエランさんの登場で一斉に安堵の表情を浮かべた。それどころかにやにやと面白そうにしている人までいる。そうだろうそうだろう。私だって面白いよ、当事者じゃなければ。
ノンナの心の声は、たぶんアエランさんにも、いつの間にか周りを囲んでいる白シャツたちにも駄々漏れなようで。まるでノンナと仲良しのように頬を摺り寄せたアエランさんが『逃がすなよ』と、ドスの利いた声でささやいた。
ド迫力超美形の参戦に口をあけたままの騙り屋たちに、アエランさんはきれいに口角を上げて微笑んだ。
ちょっと舌足らずなのが色っぽい。
「お兄さんたち、憲兵さんなの? お仕事ごくろうさま。」
つつつっと長い指先で、痩せたほうの制服の前をたどってみせる。男ののどがゴクリと動いた。
「ねえ、どこの隊なの。階級は? きっと偉いんでしょうねぇ」
「そ、そりゃあまあ」「この方は、テレストリフト副隊長様だ」
太ったほうが意気込んで宣言すると、急に辺りが静まりかえった。
「この方がヤヌカ市北部方面憲兵隊にその人有りと言われる、テレストリフト副隊長である」
「そこまで。はい、ご苦労」
確保!の声に白シャツの集団が二人をとり囲み、まだ胸を張って威張っている太目と、何も言えないまま目を瞬いている痩せを拘束した。
「な、な、何を‥」
「経歴及び氏名詐称、恐喝未遂、未成年誘拐未遂、騒乱罪。そんなところかな。ずいぶんと派手に稼いでいるようじゃないの。」
若い兵卒が差し出した制服に袖を通すと、アエランさんはいつものように上のボタンまできっちりと留めた。肩章は三ツ星に虹線、左腕の腕章は白地にパトリヌス公国の旗印。アエラン・テレストリフト副隊長はいつもながら惚れ惚れするほど美しい。
「あんたを捜しに来たら、思いがけずにいいもの見つけちゃった。あの二人組、このごろ苦情が多かったから、助かった」
現行犯だもん、言い逃れできないよね。楽しそうなアエランさんに、ノンナが口をとがらせて訴える。
「あの、私は未成年じゃありません。立派な成人です」
「へえええ。それどこの世界の話?」
「れ、レフ界のハーサム族の話です、けど」
「そんなことだろうと思ってた。このお子様。自分の世界ではどうなの」
「自分のって、あ、チキウ界の、日本の基準では、あともうちょっとありますけども」
もごもごと言い募るノンナを軽くいなすと、アエランさんはおーいと手を振って魔術師を呼んだ。
「ジン、ここの店に目くらましとシールドを頼む」
ジン、と呼ばれたのは切れ長の一重まぶたが清々しい青年で、ノンナの店の寿札を見て、妙な表情をした。
「これって、大高小鳥神社のお守り袋じゃないの。なんでまた、こんなところに」
辺りを見回してノンナと目が合うと、あれまと呟いた。「日本人?だよな」
こくこくとうなづくと「700エスクードって原価割れてない?」と庶民的な台詞がその口から漏れた。
「いえ、あの、これ」
何だその日本語ー! と脳内で自分につっこみながらノンナは身に着けていた袋をとりだす。別バージョン、オリジナルのお守り袋だ。
「大高小鳥神社は私の実家でして、一応この出店は臨時の出張所という形態をとっているので」
「なるほど。儲けを出すわけにいかないと」
ジンとやらはノンナがとりだした神社の販売許可証をのぞきこんだ。それらしい体裁が整っているけれど実のところ権禰宜をやっている兄がワープロソフトでカチャカチャと作ったバチあたりなものだ。バチあたりだろうと、眉唾だろうと問題ない。異世界を行き来する「タビビト」自体が治外法権的な扱いなのに加えて、くくり屋は異世界横断ギルドの公認を受けている。くくり屋としての誇りと矜持を忘れないかぎり、こういっちゃあなんだが『なんでもあり』ってことが全異世界の共通認識だ。
「-そんなワケでして、はい」
「了解。けど無欲だね、さすが神社」
出店に結界を張り、さらに目くらましで目立たなくしてもらうと、アエランさんと大きな屋敷に向かった。市場からほど近い場所にあって、これまでにもそこで何度か「情報屋」として仕事を請けたことがある。
奥まった一室には分厚いカーテンが引いてある。中央の小さなテーブルには蝋燭と水盤。早くも用意ができているようだ。
ノンナとアエランさんが部屋に入ると何人かが立ち上がった。蝋燭の炎が揺らいで、壁にゆらゆらと人型の影が踊った。中央にいる女性はハンカチを握り締めている。どうやら泣いていたようだ。ノンナはきゅっと口元を引き締めてから、深々と日本式の礼をした。
「お待たせしました、公妃さま。第三王子ハイゼル・デューク殿下からの御伝言をお預かりしています」