極彩色のバグと、ごきげんよう様
ゆっくり書いていければと。
肺を満たすのは、むせ返るような血と鉄の匂いだった。
薄暗いダンジョンの石畳に、白く輝いていた最新鋭のスマートアーマーの残骸が散乱している。高分子ポリマーとミスリル合金を織り交ぜた、一着数百万は下らない一級品の防具。それがまるで、薄い飴細工のように無残にひしゃげ、装備者の白い皮膚に深く食い込んでいた。
「ぁ……ぐ……」
白銀華蓮は、自身の口から止めどなく溢れる血の泡を吐き出しながら、霞む視界で凄惨な地獄を見つめていた。
彼女の率いる、新進気鋭のパーティーだったモノたちが転がっている。
強固な大盾でいかなる攻撃も弾き返すはずだったタンクの巨漢は、右半身を紙屑のようにひしゃげさせ、痙攣して白目を剥いている。毒矢とアイテムで敵を絡めとるアーチャーは、壁に深々と叩きつけられ、己の折れた肋骨が肺を突き破る激痛に喘いでいる。後衛のメイジは投擲された岩で顔面が潰れのた打ち回り、ヒーラーは魔力が枯渇してへたり込み泣き叫んでいる。
全滅だった。
全員が瀕死の重傷。ダンジョン探索において、それは死と同義である。
華蓮自身も、左足の感覚が完全に消失していた。大腿骨が粉砕されているのだと、冷静な頭脳が嫌でも分からせてくる。自分が囮になりせめてヒーラーだけでも逃がしてあげたかったなと、華蓮は唇を噛む。
上空では、華蓮の配信を支える高性能の追従型ドローンカメラが、無慈悲にこの惨状を全世界に生中継している。
華蓮が率いる白銀パーティーの結成1周年記念生配信は、数分前までの熱狂が嘘のようだ。ドローンカメラが空間にホログラム展開した配信のコメント欄が、阿鼻叫喚の濁流と化している。
『うそだろ、新人賞取った白銀パーティーが全滅!?』
『逃げろ華蓮ちゃん!! 俺のお嫁さんになる予定なんだから逃げて!』
『お前の嫁にされるくらいなら死んだほうがマシ定期』
『カオスモンスターぱねぇ。初めて見たけどまじ災害レベルだな』
『調子こいてたバカ女絶望してんじゃんwwwwww』
『救助部隊まだなのかよ? 税金で食ってんだから仕事しろ』
『あんなバケモン相手出来る部隊が即応待機してるわけねぇだろ』
――バケモン。
華蓮は、自身の血溜まりの中で剣を支えにして座り込みながら、その「理不尽」を見つめる。
ジジッ、ジジジジッ……。
不快な電子音のような耳鳴りが、空間そのものを歪ませて響いている。
それは、3メートルを超える巨大なミノタウロスの輪郭をしていた。しかし、生物としての常識を根底から覆す異様さを放っている。
極彩色。
毒々しい赤、蛍光の緑、吐き気を催すほどの青。それらの色が、まるで処理落ちした古いゲームのテクスチャ・バグのように、全身の表面でグチャグチャに混ざり合い、モザイク状に明滅している。
次元断裂から現れたとされる別次元の存在、『カオスモンスター』。
あらゆる物理法則を無視し、いかなる毒も魔術もレジストする、存在そのものが「エラー」の怪物。
華蓮のパーティーが周年記念として、カオス狩りと呼ばれる無謀な挑戦を試みた結果だった。
「あ、ぁ……っ」
極彩色の異形が、悠然と華蓮へ向けて歩みを進める。
その手には、巨岩を鎖で繋いだような、おぞましい質量の巨大な戦槌が握られている。華蓮たちの最新鋭装備を、紙屑のようにスクラップに変えた凶器だ。
絶望の影が華蓮を覆っていく――私、死ぬんだ……お父様、家名に泥を塗り申し訳ございません。
異形が足を止め、無様な小兵を見下す。
これに感情があるのかは不明だが、華蓮にはそれが卑しく笑っているように思えた。
戦槌を握る巨腕を獲物を焦らすようにゆっくりと振り上げる。
圧倒的な死の質量に気圧される獲物へ、空間ごと圧壊させんばかりに戦槌が無慈悲に振り下ろされた。
数万人のリスナーが画面の向こうで悲鳴を上げた、その時だった。
――ヒュンッ。
何かが風を切る音と共に、漆黒の影が、華蓮と極彩色のバグの間に割り込んだ。
鼓膜を破るような轟音が、目を瞑り震える華蓮の鼓膜を叩く。
死んでいないという事実を受け入れられないまま、恐る恐る華蓮が目を開けると。
そこには、禍々しい漆黒のボディアーマーを身に纏い、頭部をフルフェイスのスカルヘルムで覆い隠した、小柄な人影が立っていた。
「……え?」
華蓮は死地にあるのを束の間忘れ、あっけにとられる。
誰? 一目見て死地だと分かるこの場面に、あえて飛び込むほどの猛者ならば有名じゃないはずがない。しかし、こんな漆黒の手合いなど見たことも、聞いたこともない。
呆然と思考の海に沈む華蓮を置いて、状況は加速度的に変化する。
異形の魔物は闖入者へ先ほどの安直な振り下ろしとは違う、暴風のような連撃を開始する。
自身の3分の1程度しかない黒い闖入者に向けて、縦横斜めと重力を無視した戦槌による暴風のような連撃が開始される。
目で追うことすら困難な異形の戦槌は、スカルヘルムの脳天を直撃する……数ミリ横の空間を叩き割り、袈裟懸けに漆黒のボディアーマーを破砕する数ミリ手前を振り抜き、続くあらゆる攻撃が掠ることすらできない。
不審に思ったある視聴者が後に超スロー再生でこの場面をみて驚愕する。これは偶然ではなかった。漆黒の闖入者は、戦槌が触れるコンマ一秒前に、ほんのわずかに『避けて』いたのだ。
自身の攻撃がことごとく避けられることに激昂したかのように、異形の魔物が咆哮を発しながら更に攻撃の速度を一段上げる。
しかし、漆黒は一切の無駄な動きを見せなかった。
右に半歩、左に一歩、上体を反らし、時にはしゃがむ。それはまるで、あらかじめ敵がどこにどう攻撃してくるのかを【完全に知っている】かのような、ひどく作業的で、気味の悪いほどの最適化されたステップ。
嵐のような猛攻の中を、鼻歌交じりの散歩のように潜り抜けていく。
『は????』
『え、なにこれ』
『全部避けてる!? フレーム単位で避けるとか格ゲーか?』
『TAS機動かよキモッ!!(褒め言葉)』
コメント欄が、恐怖から別の感情へと一気に染まり始める。
だが、華蓮の背筋には冷たい汗が流れた。
異形の魔物の極彩色の筋肉が、異様に膨張を始め、周囲の空間に、黒い亀裂が走る。
(――ダメ!!)
華蓮は声にならない悲鳴を上げようとした。
それは、彼女のパーティーの要であるタンクを一撃で粉砕し、回避に長けたアーチャーを紙きれのように吹き飛ばした、あの謎の技。
防御や回避という概念そのものを無視し、空間ごと対象を破砕する、カオスモンスター特有の理不尽極まりない防御不可攻撃。
「に、逃げて――ッ!!」
華蓮が血を吐きながら叫んだ瞬間。
漆黒は逃げるどころか、自らその凶悪な極彩色の懐へと一歩を踏み込む。
――ガァンッ!!
火薬の爆発音が、ダンジョンに木霊する。
異形の魔物が防御不可攻撃を放とうと、極大のエネルギーを練り上げた、まさにその一瞬の隙。
黒い甲冑の両腕に搭載された小型のパイルバンカーが射出されていた。
鋼の杭が、異形の魔物の両肘、そして両膝の関節の極小の隙間に、一ミリの狂いもなく正確に打ち込まれた。ギギギギギッ! という不快なノイズと共に、関節部を塞がれ動きが完全に停止する。
行動阻害。防御不能の予備動作の中で発生する、わずか数フレームの無防備な瞬間。そこをピンポイントで打ち抜かれたことで、異形の中に蓄積されていた莫大なエネルギーが行き場を失い、自らの肉体を内側から破壊する。
「ウ、ガァアアアアアッ!?」
圧倒的優位な立場が崩れ、苦悶の声を上げ巨体が大きく体勢を崩す。
その致命的な隙を、漆黒の死神は見逃さなかった。
両腕の装甲がカシャリと変形し、パイルバンカーがパージされると同時、腰のホルダーから二振りの双剣が抜き放たれた。
漆黒が重力に逆らうようにふわりと跳躍し、黒い軌跡が宙に二本の美しい弧を描いた。
抵抗を許さぬ絶対の斬撃が極彩色の両腕を肩の根本から滑らかに斬り落とすと、腐臭を放つ血が噴水のように吹き上がる。
だが、死神の舞はそれだけでは終わらない。
空中に舞い上がった漆黒は両手に持った双剣の柄と柄を、ガチャンッ! という無骨な金属音と共に連結させる。
内蔵された変態的なギミックが作動し、双剣の刀身がスライドすると推進スラスターが蒼い炎を吹き出す、『漆黒の戦槌』へと意趣返しのように姿を変貌させた。
漆黒と異形の目線がこの時初めて交わり、恨みがましい目で異形が死神を睨みつける。
しかし、それが最期の抵抗となった。
「――っ!」
推進スラスターの爆発的な加速を乗せ、落下のエネルギーを全ての一点に集約した漆黒の戦槌が、極彩色の脳天へと容赦なく振り下ろされる。
轟音。
爆発。
常識外れの硬度を誇ったはずのカオスモンスターの頭部が、まるで熟れた水風船のように、木端微塵に弾け飛んだ。
周囲の石畳がクレーター状に陥没し、極彩色のポリゴン片と血肉の雨が、華蓮たちの頭上に降り注ぐ。
頭を失った巨大な胴体が、ドスリ、と重苦しい音を立てて崩れ落ちる。
先ほどまでの絶望的な死闘が嘘のように、ダンジョンは静まり返るなかで。
戦槌を再び双剣に分離させ、腰のホルダーに納刀する漆黒の甲冑の金属音だけが、やけに鮮明に響いていた。
華蓮は、息をするのも忘れていた。
助かった。あの、絶対に勝てないはずの次元のバグを、この見知らぬ闖入者は、まるで最初から用意されたパズルを解くように、無傷で、かつ最低の手数で解体してしまったのだ。
漆黒が華蓮たちを一瞥することもなく、無言のまま背を向けて立ち去ろうとする。
このまま行かせてはならない。華蓮の畏怖と好奇心が、血を吐くような声を絞り出させた。
「ま、待って……!」
黒い背中が、ピタリと止まる。
「だ、だれ……なの……?」
震える声で問う華蓮に対し、漆黒のスカルアーマーはゆっくりと振り返った。
禍々しいフルフェイスの奥で、何かが動く気配。
次の瞬間。
漆黒の死神は、血の海と肉片が散乱する凄惨な地獄のど真ん中で、両手で『存在しないスカートの裾』をつまむように広げ、片足を引いて背筋を伸ばした。
極めて優雅な、完璧なカーテシー(淑女の礼)だった。
「――ごきげんよう」
合成音声で変調されているものの、隠しきれない上品な声音が、静かなダンジョンに響き渡る。
それだけを言い残し、漆黒の死神は、まるで午後のお茶会から帰るように、颯爽と暗闇の奥へと姿を消した。
「……え?」
華蓮は、痛みも忘れ、ただ口を半開きにして呆然とその場に取り残されていた。
漆黒の鎧にスカルヘルム。禍々しい変態ギミックの武器。残虐極まりないオーバーキルの解体ショー。
それらすべての血生臭い暴力を一瞬で虚無に帰すような、あまりにも場違いで、あまりにも気高い挨拶。
ピコン、ピコン、と。
上空でホバリングするドローンの通知音が、狂ったように鳴り響き始めた。
華蓮の視界の端で、ホログラムのコメント欄が、配信開始以来、いや、現代ダンジョン配信史上かつてないほどの異常な速度で滝のように流れていた。
『は????』
『ごきげんようwwwwwww』
『待って、今スカート摘まむ動きしたぞ!?』
『フルアーマーでカーテシーすなwww』
『育ちの良い死神で草』
『脳がバグるwww』
『ごきげんようさん、ちーすwww』
『様を付けろカス』
『ごきげんよう様とか都市伝説かよ』
『俺には分かる。ちっぱいと見たね』
瀕死の仲間たちのうめき声と、自身の激痛。
そして、配信視聴者たちが熱狂し、恐怖し、そして笑い転げるコメントの嵐の中で。
白銀華蓮は、薄れゆく意識の最後に、あの禍々しくも美しい漆黒のカーテシーを、網膜に深く焼き付けていた。
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