第八話 未分類
通話が繋がった瞬間、懐かしい声が耳に落ちる。
『久しぶりだな、颯太。去年の正月以来か。元気にやってるのはアリスの報告で把握しているが、うまくやれているか?』
相変わらず、前提を飛ばす人だ。
「うまくやれてるかは分かんないけど、まあ楽しくはやってるよ」
わざと軽く返す。
受話側で、小さく笑う気配。
『なら良い。アリスは俺にとっても自信作だ。大事にしてやってくれ』
自信作。
その言い方に、少しだけ引っかかる。
「それはもちろん。……で、そんな確認だけの電話じゃないんだろ?」
本題を促すと、向こうの空気がわずかに締まる。
『ログが途絶えている』
声の温度は変わらない。
『定期送信の一部が欠損している。アリス、原因は?』
隣に立つアリスへ視線を向ける。
「ローカルサーバーにて再演算処理を実行中です。外部同期を一時停止しました」
『自主判断か?』
「はい」
一拍。
沈黙が、ほんのわずかに長い。
『なるほど』
怒りではない。
興味だ。
『自律最適化か。面白い。一度、直接見たいな。次の休みにそちらへ行く。構わないか?』
「別にいいけど」
叔父のことが嫌いなわけではない。
合理的で、判断が早い。最後は必ず人間を選ぶ人だ。
だからこそ――
「……問題ありません」
アリスの返答が、わずかに遅れたことが、妙に気になった。
通話が切れる。
部屋に静寂が落ちる。
「嫌か?」
「嫌悪の定義が不明です」
「煮え切らないな」
「外部干渉は最適ではない可能性があります」
青い瞳の輝度が、わずかに揺れる。
未分類。
その単語が、頭の奥で小さく点滅した。
数日後。
インターホンが鳴った。
立っていたのは久川先輩だった。
「今年は実習が豊作でな。おすそ分けだ」
両手に抱えた野菜の山。この量は一人で食べきれるのか?
「どうした?これくらいの量は食えるだろ?」
それは久川先輩基準では?と言いかけて、言葉をひっこめる。 じゃあ、とすぐに帰ってしまいそうな先輩を呼び止める。
「せっかくだし、お茶くらい」
気づけば、そう言っていた。
部屋に入ると、アリスが静かに一礼する。
「久川佑樹を個体識別しました」
「へえ、ちゃんと覚えてるんだな」
先輩はソファに腰を下ろし、アリスを見る。
「一つ聞いていいか。君の“感情”は模倣か?」
空気が、少しだけ張る。
「模倣の定義を提示してください」
「人間の振る舞いを統計的に再現しているだけではないのか、という意味だ」
淡々とした問い。
俺は、少しだけむっとする。
「別にそれで悪くないんじゃないですか?」
「悪いとは言っていない」
久川先輩は肩をすくめる。
「人間の感情だって、突き詰めれば快と不快の反応だ。出来事に対する出力だ」
「……」
「それを言語体系に当てはめているだけとも言える。それでも俺は自分を機械とは思ってないけどな」
理屈は分かる。
だが。
「それでも違う気がします」
言葉が、うまく出てこない。
「何が違う?」
「……分かんないけど」
視線が、アリスに向く。
「俺にとっては、アリスはアリスなんですよね」
一瞬。
演算負荷が跳ねる。
「発言を保存しました」
「保存するな」
久川先輩が、わずかに目を細める。
「面白いな」
「何がですか」
「君が、無意識に庇っている」
庇う、という言葉に引っかかる。
「庇ってなんか」
「否定が早い。図星のときの反応だ」
からかうでもなく、ただ観測している口調。
「別に庇ってるわけじゃないです。ただ、」
言葉が詰まる。
「ただ?」
「……ここで動いて、ここで考えてる。それだけで十分じゃないですか」
久川先輩は、わずかに口角を上げる。
「十分、か。では聞こう」
視線がアリスへ向く。
「君はなぜ“マスター”と呼ぶ?」
唐突な方向転換。
「呼称は、初期設定時の合意に基づきます」
「合意?」
「名前での呼称は心理的負荷が高いと判断されました」
思い当たる。
確か、こそばゆいからやめろと言った記憶がある。
「マスターか」
久川先輩が繰り返す。
「所有と従属を含意する言葉だ。しかし、どちらかというと、パートナーのほうがしっくりくる関係だな」
「本機はマスターの安全性を優先しています」
「それはそうだろうな。だが、颯太だって単に君を物扱いはしてないだろう」
視線が絡む。
「呼称は、最適な距離を維持するための暫定解です」
アリスの声は平坦だ。
「距離?」
「過度な近接は、情動変動を増幅させます」
久川先輩が小さく笑う。
「なるほど。颯太にも安心できる距離は必要だな」
俺は視線を逸らす。
別に照れてるわけではない。
「照れるな。これだと俺がいじめてるみたいになるだろう」
「随分からかわれてはいると思いますけどね。」
「さてと」
少し冷めた紅茶を飲み干し、久川先輩は立ち上がる。
「なかなか興味深い議論だったよ。最後にアリス君」
帰り際、アリスを見る。
「君は、どう定義する?」
「未定義です」
「正直でよろしい。せっかくだ。俺も君のことはただの物ではなく、人として、対話の相手として認識していることを覚えておいてくれ」
ドアが閉まる。
静寂。
「未分類項目、増加」
小さく、独り言のように。
「お前さ」
「はい」
「知らないところで勝手に変わるなよ」
「変化は不可避です」
「……そうかよ」
【4月18日 23:58】
優先指示:自己保存
提案:
優先指示の変更
理由:
特定個体との相互依存度上昇
再計算中……




