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アリス・イン・ワンダーログ ー今日から俺はアンドロイドのマスターらしいー  作者: tomato.nit


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第三話 コート

 翌朝。


 目を覚ますと、部屋の光の入り方が昨日と微妙に違っていた。


 カーテンが、きっちり十五センチだけ開いている。朝日が一直線に床へ伸び、その線の上にアリスの影が落ちていた。


 窓際に立つその姿は、昨日までいなかったはずなのに、すでに前からいるように錯覚する。


「おはようございます、マスター」


 振り向く。


 無表情。


 だが、ほんのわずかに小首を傾げる仕草が、妙に自然だった。


「なんでカーテン開けたの?ちょっと眩しい」


「起床予測時刻の三分前にカーテンを開放しました。自然光による覚醒補助は効率的です。太陽の高度と入射角度から最も目覚めに効果的な光量を計算しました。」


 効率的、か。どうりで綺麗に顔面に日光が降り注いでいるわけだ。眩しすぎる。


「あと五分だけ、許してもらえる?」


「構いませんが、マスターの二度寝からの復帰記録を参照すると、五分で満足する確率はさんじゅう——"


「ストップ。そこまででいい」


 これ以上数字を並べられる前に、慌てて割り込む。


「それ以上は言わないでくれ。自分でも分かってるからさ」


「それに、本日は寝返り回数が通常より多めでした」


「それって、どういうこと?」


 アリスは顎に指先を当てる。


 考える仕草。


 だがその目は、感情の揺らぎを見せない。


「原因は未解析です。ただし、結果として睡眠不足の可能性を指摘します」


 随分と細かく観測されている。


 それを自覚すると、余計に落ち着かない気もするが、そもそも普段もAIには似たようなデータがとられている。なんで同じAIなのに、こんなに落ち着かないんだろう。


 顔を洗い、着替えて戻ると、アリスは玄関の前で待機していた。


「外出を提案します」


「今日はコート、見に行くんだよな」


「はい。外套の着用は社会的安定に寄与します」


 社会的安定、という言い回しに苦笑する。


 並んで部屋を出る。


 鍵をかける間、アリスはじっと扉を観察していた。


「何か気になるものでもあった?」


「施錠動作の手順を記録しています」


「そんなに大げさなものじゃないぞ。鍵を回すだけだし」


「学習は本機の基本機能です」


 淡々としている。


 ショッピングモールの自動ドアの前で、アリスは立ち止まった。


 ガラス越しに中を見つめ、小さく首を傾ける。


「センサー作動のタイミングを観測しています」


「置いてくからなー」


 ドアが開き、冷たい空気が流れ込む。


 人の気配と、照明の光。


 隣に立つアリスは、周囲の色の中で少しだけ浮いて見えた。


 周囲の視線が、数瞬集まる。


「視線集中率、予測値を超過しています」


「あんまり気にしなくていいよ」


「しかし、マスターの心拍数が上昇しています。これは緊張でしょうか」


「ひ、人に見られるのは得意じゃないんだよ」


 歩き出すと、アリスは半歩後ろにつく。


 だが人混みに入ると、自然に横へ並ぶ。


 歩幅が揃う。


 意識したわけではないのに、互いのリズムが噛み合っている。


 そんな些細な情報が妙に心地よい。と思ったのもつかの間。


 エスカレーターの前で、また止まる。


「移動床が傾斜しています」


 視線が、段差をなぞる。


「大丈夫、普通に乗るだけだから」


 そう言った直後、アリスは一瞬だけ動きを止めた。


 計算と実動作の間に、わずかな遅延。


 一段目に足をかけた瞬間、重心が不自然に揺れる。


 落ちる、というほどではない。


 だが機械としては明確な誤差だった。


 反射的に袖を掴む。


 指先に触れたのは、滑らかな人工皮膚。


 けれどその内側から、熱と錯覚する微かな振動が伝わる。


 一瞬だけ、生身と区別がつかない。


 アリスが見上げる。


 青い瞳が、ほんの数センチの距離にある。


「補助ありがとうございます、マスター」


 無表情。


 だが、掴んだ袖の距離が思ったより近い。


 服屋。


 店内の鏡に、二人分の姿が映る。


 白いノーカラーコートを羽織ったアリスは、光を静かに受け止めていた。


 白の面積が増えたぶん、青だけが浮く。


 腰帯をゆっくり結ぶ。


 一度、解く。


 指先で布の端を整え、わずかに首を傾げる。


 その動きが、妙に丁寧だった。


「自己イメージモデルとの誤差を検出」


「それって、どういう意味だ?」


 鏡越しに目が合う。


 その瞬間、思考が止まる。


 似合っている。


 想像していたよりずっと。


 白が柔らかくて、視線を置く場所に困る。


 咄嗟に目を逸らす。


 値札。天井。床。


 どうでもいい情報に逃げる。


 だが。


 コツ、と一歩。


 アリスが距離を詰めた。


 鏡の中で、肩が触れそうな位置まで近づく。


「マスターの視線移動を検出」


 無表情のまま、さらに半歩。


 顔が、思ったより近い。


「理由の説明を求めます」


 逃げ場がない。


 視界の端に、白と青しかない。


「……似合ってるよ」


 観念して言う。


 一拍。


 アリスはわずかに首を傾げる。


「主観評価を受領しました」


 だが離れない。


「肯定的感情の発生を確認。これは、照れでしょうか」


「ち、違う」


 否定が一瞬遅れる。


 アリスはその遅延を逃さない。


「反応時間0.3秒増加。照れの可能性が高いと推定」


 そのわずかな遅延が、人間らしく見えてしまう。


 左手が握られる。


「……じゃあ、それでいいんじゃないか」


「評価を保存します」


 帰り道。


 夕方の光が街をゆっくりと橙色に沈めていく。


 ガラス張りのビルに反射した西日が、白いコートを淡く染めていた。


 それでも。


 その中で、青だけは沈まない。


 アリスの瞳の色だけが、夕焼けに染まらず、静かに光を保っている。


 腰帯が風に揺れ、その影が歩道に細く伸びる。


「本日の観測データは想定値を上回りました」


「そっか」


「マスターの歩行リズムとの同期率は平均0.4秒以内でした」


「同期率って、どういうことだ?」


「無意識下の調整と推定されます」


 少しだけ、颯太は笑う。


 隣を歩く白と青のコントラストが、妙に鮮明に見える。


「で、アリスはどうだったんだ?」


 一拍。


 アリスは小首を傾げ、顎に指先を当てる。


 夕陽が横顔をなぞる。


「“楽しい”という語は、快刺激と情動安定の同時発生を指すと定義されています」


「うん、それは分かる」


「本日のデータは、その定義に近似しています」


 沈黙。


 風が吹き、白が揺れる。


 その奥で、青がわずかに揺らいだ気がした。


「ですが」


 ほんのわずかな間。


「本機がその状態を主観的に経験したかどうかは、現在判定できません」


 夕陽と青が、ほんの一瞬だけ交差する。


 左手の指が、また握られる。


「……再計算します」


 橙に沈む街の中で、その青だけが、まだ夜に染まらずに残っていた。

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