第一話 春、段ボールひとつ
10話くらいまではサクッと書く予定です。
春の朝は、少しだけ世界がゆるい。
カーテン越しの光が部屋に入り込み、床の影を薄くしている。目は覚めているのに、体はまだ起きる気配を見せない。大学生になって最初の平日だと思うと、そんなものかと納得する。
上体を起こした瞬間、左手に力が入った。小指、中指、薬指。そこだけが、きゅっと握られる。考え事をすると、いつもこうだ。中学から高校まで続けていた剣道の名残で、もう長い。
キッチンに立ち、冷蔵庫を開ける。牛乳をコップに注ぎ、一気に飲む。冷たさが喉を通り、胃の奥が少しだけ目を覚ます。朝は必ずこれだ。理由はない。ただ、そうしてきただけ。
首元に触れると、チョーカー型のデバイスが指に当たった。視界の端に、淡い表示が浮かぶ。
『おはようございます。現在の気温は低めです。上着の着用を推奨します』
「了解」
短く返して、クローゼットを開く。表示された候補の中から、パーカーを選んだ。指示されている感覚はない。ただ、隣で小声で助言されているだけだ。
洗面所で顔を洗っていると、インターホンが鳴った。
ドアを開けると、配送用のアンドロイドが立っていた。人型だが、姿勢に無駄がなく、動きも均一だ。
「お荷物のお届けです。受領サインをお願いします」
足元には、大きな段ボール箱。人ひとりが入りそうなサイズで、玄関が一気に狭くなる。
「差出人は……叔父、大山流平ですね」
差し出された端末に指を走らせる。
――飯泉 颯太。
自分の名前を書きながら、品名を目で追う。
『観測用精密PC』
意味は分からないが、今は考える余裕がない。
「そこに置いてください」
一礼して、アンドロイドは去っていった。箱は部屋の隅に残され、朝の光を受けている。
時間がない。鍵をかけ、外に出た。
駅へ向かう途中、パン屋に立ち寄る。
店内に入った瞬間、視界に情報が重なった。棚に並ぶパンの上に、小さな数値や色付きのラインが浮かぶ。カロリー、糖質、脂質。直近数日の栄養バランスと、今日の講義予定。
『本日の予定を考慮した場合、こちらを推奨します』
全粒粉のサンドイッチが、控えめに強調表示される。
棚を眺めていると、店員が声をかけてきた。
「メロンパン、焼きたてです。おすすめですよ」
甘い香りが鼻をくすぐり、思わず視線がそちらに向く。
視界の端に、小さな補足が浮かんだ。
『メロンパンを選択する場合、こちらの商品を併用すると栄養効率が改善されます』
表示されたのは、たんぱく質強化のヨーグルトドリンク。
少しだけ迷ってから、両方をトレイに乗せた。
レジは通らない。店を出たところで、耳元に通知が届く。
『ウォレット決済が完了しました』
歩きながらメロンパンをかじる。技術は、生活の表に出てこない。ただ、当たり前のように働いている。
大学は、思っていたよりも賑やかだった。
ガイダンス、履修登録、案内掲示。視界には、公式シラバスと先輩たちの履修データが重ねて表示される。楽。重い。単位が取りやすい。そんな言葉が、参考情報として添えられている。
選択肢は多いが、決めるのは自分だ。
昼過ぎ、構内のあちこちで新歓のビラが配られていた。
足が止まる。
剣道は嫌いじゃなかった。ただ、大学では少し違うこともしてみたい気がしている。
左手の指が、また握られた。
「お、こんなところに悩める新入生を発見〜」
背後から声をかけられ、身体が一瞬びくりと反応する。
「あ、ごめんね!驚かせちゃったかな?」
ショートボブの女性が立っていた。
「悪気はないのよ。あるのは、新入生を迎えたいという親切心と、活動費が欲しいという少しの下心だけ」
そう言いながら、片手で謝り、もう片方の手でビラを差し出してくる。
「えっと、オカルト研究会ですか」
胡散臭さは正直拭えない。
ただ、目の前の女性から目が離せなかった。
整った顔立ち。モデルやアイドルだと言われても信じてしまうくらいには美人だ。そのくせ服装はどこかだらしない。寄れたシャツに、羽織った薄手のカーディガン。ボタンが掛け違えているのは、どう見ても偶然だ。
「ん、どうかした?」
「ボタン、掛け違えてませんか」
胸元を指差すと、彼女は自分の服をまじまじと見つめた。
「あれま、ほんとだ。失敬失敬」
苦笑しながら直す。
「これじゃ先輩としての威厳が台無しだね。そんなことより、少年」
一歩近づいてくる。
「今日、こんな怪しい話を聞いてくれた新入生は君が一人目だ」
ずい、とビラを押しつけられる。
「怪しいのは百も承知だけどさ。一丁、怪しいか楽しいか判断するためにも、新歓コンパ参加しない?もちろん奢りだから」
ビラを受け取った右手。反対側の左手の指が一瞬だけ握られ、すぐに力が抜ける。
「分かりました。折角なので」
「ほんと?やった!」
彼女はぱっと表情を明るくした。
「じゃあ、今日の十八時。場所はそこに書いてある飲み屋ね。分かんなかったら連絡ちょうだい」
言うだけ言って、彼女は嵐のように去っていった。
『心拍数が上昇しています。深呼吸を提案します』
「うるさい」
小さく呟いて、息を整える。
十八時。
店の前で立ち止まり、看板を見上げる。個人経営の居酒屋で、入り口の暖簾は少し色あせている。時間はちょうどだ。
扉を開けようとしたところで、後ろから声がした。
「お、早いね」
振り返ると、五分遅れで彼女が立っていた。
「ごめんごめん。ちょっと寄り道してて」
悪びれた様子はない。
「……大丈夫です」
「じゃ、行こっか」
並んで店に入る。
中は静かだった。他の客はいない。予約席と書かれた札が、ひとつだけテーブルに置かれている。
席に着く前に、彼女がふと思い出したように言った。
「そういえば自己紹介をしてなかった気がするね。柊亜理紗。理学部の3年生だよ」
「柊先輩ですか」
「硬いなぁ。ひいちゃん先輩とかアリサさんとか、もっとフレンドリーに呼んでほしいな」
「正直、会ったばっかで、まだ緊張してるんで。追々でお願いします」
「真面目だねぇ」
「……あれ」
そういえば先ほどから半個室のスペースには自分と柊先輩の二人しかいないことに気づく。
「うん。どうやら今日は、我々だけみたい」
あっさり言われて、言葉に詰まる。
「部員は?」
「みんな予定合わなかったってさ。新歓あるある」
彼女は気にした様子もなく席に座った。
「まあ、落ち着いて話せるし。これはこれで当たり」
颯太は少し遅れて腰を下ろす。美人の先輩と二人きりで飲むという状況が、じわじわ効いてきた。
「緊張してる?」
「少し。いや、結構してます」
「正直でよろしい」
彼女は笑って、メニューを開いた。
「お酒、飲める?」
「法律的にはまだ駄目ですね」
「その言い草だと、法律を無視すれば大丈夫というように聞こえちゃうぞ?」「じゃあ今日は大人しくウーロン茶ね」
迷いなく注文を済ませる。程なくして、グラスが二つ置かれる。 亜理紗の前にはカクテルが、颯太の前にはウーロン茶が。
料理が来るまでの間、沈黙が落ちた。箸の音。グラスが置かれる音。
「で」
彼女が先に口を開いた。
「改めて聞くけどさ。オカルト研究会、どう思った?」
「正直に言っていいですか」
「もちろん」
「……怪しいな、と」
「だよね」
即答だった。
「でも、それでいいの」
グラスを回しながら、彼女は言う。
「今の時代、不思議なことって、だいたい説明つくでしょ。AIに聞けば、統計も理屈も一瞬で出てくる」
颯太は頷く。
「でも、それで分かった気になるのって、楽だけど、ちょっと味気なくない?」
料理を一口運ぶ。考えていると、左手の指に力が入る。
「だからうちはね」
彼女は肩をすくめた。
「説明の外側を眺めるサークル。科学を否定するわけでも、神秘に傾倒するわけでもない」
「じゃあ、何をするんですか」
「考える」
即答だった。
「この説明、本当に全部かなって。見落としてる前提はないかなって」
「……それ、楽しいんですか」
「私は好き」
迷いのない答えだった。
「日常にちょっとスパイスが入る感じ。それだけで、同じ景色でも見え方変わるから。観測するだけでさ、何か変わることってあるでしょ?あるかもしれないし、ないかもしれないけど。」
グラスを傾け、少しだけ酔いが回ったようだった。
「まあ、実情は半分飲み会だけどね」
「やっぱり」
「そこは否定しない」
笑いながら、彼女は紙を取り出す。
「で」
テーブルに置かれたのは、入部届だった。
「無理にとは言わないよ。合わなきゃ辞めればいいし」
紙を見下ろす。今日一日を思い返す。大学。パン屋。目の前の先輩。
左手の指が軽く握られ、すぐに緩む。
「……参加してみます」
「よし」
彼女は満足そうに頷いた。
「じゃあ、正式に新入部員一名様ご案内」
ペンを渡され、名前を書く。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ。歓迎するよ、飯泉くん」
名前を呼ばれて、少しだけ背筋が伸びた。
夜。
部屋に戻ると、朝の段ボールがそのまま残っていた。
蛍光灯の白い光が、箱の角に影を落としている。存在感だけが妙に大きい。
靴を脱ぎ、近づく。カッターでテープを切る。刃が段ボールを裂く音が、静かな部屋にやけに響いた。
蓋を持ち上げる。
梱包材の内側に、白い布のようなものが見えた。
違う。
布ではない。
ゆっくりとそれを取り除く。
そこにいた。
少女だった。
横たわる姿は、人間と見分けがつかない。滑らかな頬。閉じられたまぶた。長い、銀に近い白の髪が、箱の中で静かに広がっている。光を受けて、ほんのわずかに淡い輝きを帯びているようにも見えた。
肌は均一で、陶器のように整っている。継ぎ目は見当たらない。関節の影すらない。
衣服のように見える装いは、白と紺を基調とした未来的なデザイン。腰には低く広がるユニットが一体化している。背面は不自然な突起もなく、脊椎に沿うような細いラインが走っていた。
そして、目。
閉じられているはずなのに、まぶたの下にわずかな光が宿っている気がした。
視界の端に、淡い表示が浮かぶ。
『未知のデバイスを検出しました』
識別名:未登録
分類:不明
接続提案:保留
珍しい。
今までの機器は、ほとんどが即座に識別された。
箱の内側に、小さなプレートが固定されている。
――観測用精密PC
どこが。
どこがPCだ。
思わず苦笑しかけて、やめた。
少女は動かない。呼吸もしない。胸の上下はない。
それでも、ただの機械とは思えなかった。
触れてみたい衝動が、一瞬だけ湧く。
左手の指が、ゆっくりと握られる。
閉じられたまぶたの隙間に、淡い光が揺らいだ気がした。 いや。 こちらが、見られているのかもしれない。
春は、思っていたより忙しい。
少し書きたいテーマができたので、妖奇譚とは別にシリーズものを作成しました。
こちらはゆっくりペースで書いていきますので、気長にお付き合いください。
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