9. 遠征が招いたもの1
半月の予定だった遠征は二十日まで延び、王宮へ帰還した騎士たちは、酷い有様だった。血と泥で汚れ、勇ましさの代償の怪我をしているのではない。飢えて、骨の髄まで疲労して、身なりを整えることもできずに、足を引き摺るようにして戻ってきたからだ。
中には馬を失ったり、途中はぐれて隊列から落伍したまま、ここにいない者もあるようだ。
行きには意気揚々とした騎士たちを感極まった歓声で見送った民たちは、帰りには薄汚れた隊列に眉を顰め、騎士たちに以前より冷たい目を向けた。
さらには、人馬に畑を踏み荒らされたり、騎士たちや馬のためにと無理に食料を提供させられたと、遠征先から抗議する民が押しかけた。
騎士の集団が、荷馬車に乗り合わせてきた村民たちに、追いつかれている。
騎士の本分が、いかに破綻しているかが、よくわかる。
村民たちは、王宮に入ることは許されず、最後の機会だとばかり、門を潜って入っていく騎士たちに恨みの篭った視線を向け続けた。
「何が騎士だ。野盗みたいなもんじゃないか」
誰が呟いたかわからない批判は、疲弊した騎士たちの心を抉った。
だが、あとわずか。最後の騎士たちが門を入れば、彼らは切り離されるはずだった。
その最後の騎士たちを労わりたい、そう言って、早々に王宮に戻っていた聖女マールが姿を現したのが、若い騎士を強気にさせたようだ。
「我らは聖女様を旗印にしていたというのに、野盗などと無礼な」
「……聖女様など、わしらは見ておらんぞ」
僅かに怯えながら、村民が言い返すと、騎士の顔が紅潮した。
「何を言う!」
今にも飛び出しそうな騎士を、周囲がなんとか捕らえて、宥める。だがそのうち一人が、だがよ、と言い出した。
「だが確かに聖女様は、途中から姿が見えなくなったな」
「お前らまで!」
出立後のんびりと進み、二日目の夜くらいまでは、特別に派手に組んだ焚き火の傍で、きょろきょろと珍しそうに野営を楽しむ聖女の姿を、騎士たちは微笑ましく見ていたはずだ。だがそれ以降、疲れが出たのか、聖女は馬車から降りてこなくなった。
四日目から、食糧が届かなくなった。王都からの補給線が伸び過ぎたんだなと誰かが言ったが、ではその場合どうするのかの指示は届かず。
耐えかねた騎士数人が、聖女の馬車に同乗しているはずの聖女府の事務官を呼び出そうとすると、馬車はもぬけの殻だったという。
騎士たちが重たい体と沈黙を引きずって門を潜ると、そこには大公にエスコートされた聖女が、いつもの通りに美しく装っていて、旅の疲れも埃も知らぬげに談笑していた。帰り着いた騎士が挨拶をするのにも、わずかに顔を顰めて体を引く様子もある。
さすがに、わずかな不審を含んだ視線を、騎士たちは聖女に向けた。
聖女は、ふわふわとした髪を後ろに払って頬に手を当て、困ったという顔をした。
「やだ、まさか全行程付き添うとみんな思ってたのかしら。それなら期待をさせてしまってごめんなさいね。ジゼラさんにちゃんとお願いしなきゃいけなかったわね。いろんな連絡は密じゃないと困るわよね」
「ジゼラ? あの宰相府の」
「どういうことだ。だって、今回は関係ないって」
「手伝いもしないどころか、妨害していたってことか?」
徐々に棘を含んでざわつく騎士たちからこぼれ落ちた言葉を、周囲が拾っていく。
「なんだ。何の話だ」
「ジゼラってのは、誰だ」
聖女は、構わない。口を尖らせて、さっさと王宮の中へ引っ込んだ。
——騎士たちは、その後広場で騎士団長らの前に項垂れて並んだ時に、ため息とともに告げられたそうだ。
「ジゼラ殿が筆頭となり宰相符の面々が奔走されたからこそ、お前たちは飢え死にもせず、各地の領主に掠取を咎められ捕縛も討伐もされず、罪人にも堕ちずに帰って来れたのに、何を言ってる。聖女様は、三日目には離脱して王宮に戻られた。風呂に入りたかったそうだ。大公様は、その聖女様のご機嫌伺いでお忙しそうだった。領地が近いため、定期的な補給をお願いしたいという宰相府の依頼にそもそも目を通してもいただけないくらいだ」
騎士たちは戸惑ったが、即座の反論の声は上がらなかった。
帰ってきた騎士たちの目の前に、聖女も、そして大公もいない。その事実が、騎士団長ロイドの発言を裏付けたからだろう。
「——陛下も事態を憂慮されている。騎士とは、聖女をはじめ、国の民を守る者。聖女に振り回されたり、民の声に一喜一憂するものではない。ましてや、騎士団は、大公閣下の、私兵などではない」
静かな声なのに、びりりと、空気が締まるような緊張感。
「そ、その言い方は、閣下に対して無礼ではないでしょうか」
大公の名が出て、さすがに何人かの騎士が声を上げたが、ロイドとその後ろにずらりと並ぶ騎士たちは動じない。
「は、ジゼラ殿の働きに実際救われながら自分たちが着せていた汚名は見て見ぬふりで、太閤閣下の機嫌取りばかりを気にするのか。それが騎士か」
騎士たちは、じりじりと睨み合った。
騎士たちとは違い、聖女の言葉だけを聞いた村民に、補足も訂正もできるものはいなかった。
「誰だよ、ジゼラってのは」
「女の名か。どこぞのお嬢さんてことか?」
「どこの誰だろうが、聖女様に名指しされたんだ。説明に出てこいよ」
血気盛んな何人かが王宮に無理やり入ろうとして、衛兵と揉め、それがさらに彼らを煽った。
ジゼラがヴィットールとともにその場に駆けつけた時には、暴れていた民はほぼ取り押さえられていた。
制圧されてしまえば、彼らは明らかに非戦闘民で、丸腰で、中には怯えて泣いているものもいる。
「なんてこと……」
ジゼラの名を叫ぶ一団がいると聞いて何事かと執務室から直行したのだが、荒々しい気配の残る現場に、ジゼラは一瞬立ちすくんだ。
「宰相府からご苦労さまです! 暴徒と認定されれば丸一日は身柄拘束となりますが、念のため確認を。彼らは、プレジュ事務官のお知り合いですか?」
他の手が空いていた事務官たちも、ジゼラたちを追ってきた。
宰相府の黒の制服は普段から目立つし、衛兵たちは仕事柄、王宮に出入りする人間の顔を驚くほど覚えている。ジゼラをジゼラと知って、気をきかせ、念のため確認をとったのだろう。
「……面識はないと思いますが、私が呼び出されてると聞いて来たのです。見たところ、南東地域の村の人たちですね? 今日戻ったはずの騎士隊の、遠征の地ですよね。……何かあったなら、このジゼラが引き受けて窓口になりますが」
心からの善意で申し出たジゼラは、打ち返すように民たちに睨まれて、思わず身を引いた。
「……何か?」
「あんた、うちらの村がどんな扱いされたか知ってんのか!」
「まだ、完全に把握できていません。調査中です」
「調査だあ? 今更、遅いだろうが」
「おい、口が過ぎる。プレジュ事務官、もう拘束してよいでしょうか」
衛兵たちが拘束を提案した途端、大人たちは口を噤んだ。今はまだ話を聞いてもらえるが、拘束されればその限りではないかもしれないという可能性に気がついたのだろう。
だが。
「あんたが、ジゼラか!」
飛び出して来た少年が、ジゼラを指さした。
村民からやめろと静止する声も上がったが、乱暴な空気に怯えて隠れていた少年は、悪者の存在を見つけて、何も考えずに、いつも懐に入れている石を握った。




