8. 華々しい出立とその影で
遠征当日の朝、騎士たちは馬を連れ、王宮の東側にある広場に整列していた。
全員ではない。同じ隊に所属していても、この場にいない騎士もいる。そのことに気づいて、場はざわめいていた。
「本当だったのか、騎士団長たちが不参加というのは」
「くだらないよな。権力争いっていうことか? いいんだよ。ほら、騎士団の重鎮は皆参加してるし、あそこ」
「お、団長、じゃない、大公様だ」
「そうだ。大公様が後押しされてるんだ。この国の、聖女様のための騎士たる者、参加すべきだろうよ」
飾りのない簡素な白い服を身につけている大公は、引退した身であることを示しているのかもしれない。だが騎士たちの前で堂々と役職持ちの騎士たちの上座に座ると、かえってその白が際立った。
ジゼラは、その白い髪と髭に囲まれた、厳しい顔つきを離れたところから見ていたが、やがて聖女マールが同じく白い装いで現れたのに、その目が少年のように輝くのを見たところで。
「まあ、ジゼラさん、なにをしてるの?」
聖女に名を呼ばれて、はっと意識を引き戻した。
「おはようございます、聖女様。何、とは?」
先程、昨夜までに戻ってきた伝令を元に、さらなる対策についての打ち合わせが終わったところだ。街道沿いの小領主たちに、急ぎ収穫を早めるよう通達はしたが、実際すぐに動くかどうかはわからない。品質に誇りを持つ者ほど、収穫日の前倒しを渋るだろう。水の確保と万が一の事故を防ぐため、農村の女子供は街道から離れた場所か領主の元へと避難させることを求めた。収穫期の混乱を強いること、罪もない彼らの生活を脅かすことに対して、何らかの補償が必要となる。その試算は、これからだ。何をしているのか、と問われれば、その試算をあれこれ考えながら、ふと足を止めた。それだけのことなのだが。
つらつらと考えていたジゼラは、あはは、と明るく笑う聖女に、もう一度意識を引き戻された。
「だって、今回は聖女府が段取りをしたと聞いてるわ。ジゼラさんは、関係ないでしょ? 出立の晴れの舞台には、ちょっと遠慮して欲しいかなって。あ、もちろん、見学ならいいけど」
騎士たちから胡乱な視線が、聖女府の者たちからは抑えきれないといった笑いが向けられた。
聖女マールからも、どことなく優位を確認するような視線を感じる。
聖女からこうして直接攻撃的な言葉をかけられたのは、実は初めてで、ジゼラは少し不思議な感覚だった。ずっと、良い言葉だけを口にして、事態を善意で撹乱する聖女のことを、生きている土台が違うのだと思っていたのだが。
案外と、聖女も悪意を持つらしい。
「聖女府が、稟議書改竄のうえ、強引に身勝手な計画を進めたってのは、確かに真実ですね」
「りんぎしょ? あら、あなた誰?」
ヴィットールの通る声に、聖女が首を傾げ、聖女府の面々がちょっと気まずげにした。彼らは反省すべき事態をもう少し正確に自覚するべきだが、それより、今目立つのはよくない。
「聖女様。何か問題が?」
大公が、わざわざ聖女に歩み寄って、ジゼラの方を鋭く睨みつけた。
「ジゼラ・プレジュ殿か。控えられよ」
上位者そのものの、傲慢な断定。口調だけ僅かに丁寧なのは、ジゼラが王女の血を引いているからに過ぎない。
プレジュ家の令嬢として既知の相手ではあるが、こうした「王女への盲信」を目の当たりにするたびに、ゾッとするものを感じて距離をとっていた相手だ。
ヴィットールが反応しそうなのを、先んじて一歩前に出ることで防いだ。
「大公様には、本日はお膝の具合もよろしいようで何よりです。大公夫人ミーティア様からは、ご心配のあまり食が細ったと、母と私宛のお手紙でお知らせいただいておりましたので、安堵いたしました」
「む」
「本日は、私は休暇を取る予定ですので。今は通りかかっただけです」
「お主、聖女府担当の役人ではないのか」
「聖女府の事務官の指導と補佐にあたる宰相府の事務官ではありますが、」
一瞬、聖女府の若者たちの顔に視線を滑らせる。
自分達のしたことを、認識している者は俯き、まるで自覚のない者は、忌々しそうにこちらを睨んでいる。
「今回の遠征については、その任を外れています」
大公は沈黙した。立ち去ろうとするジゼラを見て、聖女は興味をなくしたようだった。
さっと騎士たちの前に一歩出て、両手を広げれば、そこは彼女の独壇場となる。
ふわふわと風をはらむ金の髪と、身を飾る金と銀が陽の光を集めて、聖女を彩った。
透き通った青い目が見つめる先は、騎士たち、ひとりひとり。その心の中へ、想いを送るように視線を合わせる。
「さあ、今日は、あなたたちの価値を高める日よ。誰もが騎士に価値がないといい、あなたたち本人も、ほんの少し、そうかもしれないと思っている。思わなくてはならない状況に、追い詰められている。でも、そんな暗い幻想は、今ここに置いて行きましょう。——ほら、王宮の外に詰めかけた人たちの、期待の声を聞いてみて。誰もが、あなたたちに期待している。あなたたちを見ているの。私、聖女マールも、力の及ぶ限り祈るわ。だから、立派に騎士の価値を見せつけましょうね!」
おおお、と地響きのような歓声を浴びて、聖女は輝かしい微笑みを浮かべた。
その華々しい騒ぎは、執務室へと足早に移動するジゼラたちの背にも、打ち付ける雨のように伝わった。
「ジゼラさん、すみません」
その声が、震えているようで。
ジゼラは驚いて振り向いた。すぐ近くに、ヴィットールも立ち止まる。
細身に見えて意外と大きな体が、遠くのざわめきを遮った。黒を基調とした宰相府の制服が、あつらえたようによく似合う。
ヴィットールは、泣いてはいなかった。だが、不満この上ないという顔をしている。どことなく不貞腐れた空気も隠すことなく出していて、珍しい。
いや、珍しいのは、王宮でこの顔を見ることだ。二人で食事に行く時は、たまに見せていた顔だと思い出す。
ここは執務室ではないから、ここに二人しかいないから、取り繕っていないんだなと、ふと思った。
「でしゃばりました。俺が出ようとしたから、ジゼラさん……」
「私が、なに?」
「……使いたくない奥の手を使った、のでは? 相手の奥方の名前を出すなんて、今までしたことなかったでしょう?」
「ああ、あれ」
そんなに、大層なことではない。
「大公夫人からね、夫は視野が狭くなることが増えてきたから、いざという時は使っていいと言われているの。本当に、聖女様と王女様のことになると、大公様は見境がなくなるから。私もさっさと離れたかったしね。大公夫人からの、いわば命令だから、大公様のためにもよいのよ。そして、切り札を使うなら、先手必勝よね」
しゅ、と握り拳を振ってみせたのは、ヴィットールの気持ちを軽くしたかったからだ。
ぽす、と黒い制服の布地に軽く当たった手が、思いがけず固い体に触れて、ジゼラは少し慌てた。
「そういうとこだよ。他人のための行動なら後悔しないんだよな」
「当たった、ごめん。え、何? 何か今」
「ジゼラさん」
ヴィットールの大きな手に掬い取られた拳が、まるで子供のように小さく見えた。流れるようにその拳に額をつけられたが、そのぬくもりも、屈められた背と普段見ない黒髪のつむじも、ぼんやりと、どこか遠い。
「俺、もっとジゼラさんの支えになるように頑張りますから。次は、頼りにしてくださいね」
約束です、とジゼラを正面から見据える赤茶色の目が、室内のせいか、紅く影を纏っている。
と。
「ま、約束しても心配なんで、こっちからいきますんで」
「え?」
「いきましょ、ちょっと休憩とらないと」
それまでの雰囲気を拭い去るように目を細めて笑って、ヴィットールは優しく手を離し、優しくジゼラの肩を掴んで進路を戻させ、優しく、肩から下ろした手で、背中を押した。
「あ、うん? それは、もちろん、ヴィットールくんはいつも頼もしいよ。うん」
ぎくしゃくと歩き出したジゼラの背中は、手の当たっていたところがじんわりと暖かくて、もう外の騒ぎは届かない。




