【小説】記憶の断片小説20240326(ex20221108)最終版完全版
冬の終わりかけた朝にそいつは死んだ。
ミニマリストの死と言うものが気になったが、それは虫や野性の動物が死ぬようなものなのかも知れない。
とにかく、そいつはミニマリストでは無かったから広いワンルームの部屋はまるで個人商店のように人生が並べられていた。
「この荷物、どうするの?」
女が訊く。名前はなんだったかな。
煙草を咥えて答える。
「結局はこの部屋でも何かを始められなかったな」
ライターは見つからない。
部屋の隅に積まれた本は誰かが買うか、外に置いておけば持って行くかするだろう。
塩ビ人形なんかもそうだ。
しかしAVはどうかな。積んだまま観ていないアダルトビデオをいつ消化するものか迷ったまま死んだ気がする。
死ぬと言うのはそうやって積み重ねた文化が消えていくことだ。
例えばゴミの日の路上に置かれた赤本の山。
合格、おめでとう。
ところで昨晩に出した不燃ゴミからサンダルを持っていった奴を知らないか?知っていたら伝えておいてくれ、それは壊れているよ。
それにここにいるのはおれひとりだ。
他には誰もいないよ。
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労働の不愉快さを緩和するのに土日だけでは足りないのだが、かくも労働が不愉快であるとするならば祈りも同じように不愉快であり、それを捧げる対象もきっと不愉快に違いないが、そもそも信じていないものの為に祈る事はできないし与えられる救いなどと言うものすら不愉快で仕方なく、つまりどうしようもなく巻波に飲まれる事しか考えていないのだが、どうしたって巻波が起こりようのない凪の海を前に立ち尽くすのみであり、その水面から伸びる手がいまに生えてくるのではないかと逆に恐怖する有り様なので誰もが嘲笑しているような感覚に陥って震える様に生きている。
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俺は銀色を探していた。
それが何かわからない。とにかく鈍く光る銀色を探していた。
探している銀のそれは鶏卵だったかも知れないし、茸だったかも知れない。風に揺れる柳みたいに決まった形なんてなかったかも知れない。
俺は必至になって銀色の何かを探していた。
銀色の何かが見つからないなら、俺は代わりの何かを銀色にしなければならない。
それは俺自身や他の何かだ。
とにかく俺には銀色のものが必要で、見つからない場合は何を銀色にするのか決めなければならなかった。
鐘が鳴って陽が暮れた。
俺は銀色のものを見つけることも出来なければ、何を銀色にするかも決められなかった。
憔悴しきった俺は打ちひしがれていた。
そうやって横たわる俺を俺は見下ろしていた。
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ある朝、おれが不穏な夢から目覚めると胸からひとつの奇妙な芽が出ているのを見つけたんだ。
それは何とも言えぬ奇妙な色をした双葉だったよ。しかし確実に本物の植物だった。
それはおれが蒔いた種が芽生えたのか?
そうだとしたら、いつ何のために撒いたものなのかは覚えていない。本当だよ、心当たりが多過ぎる。
だいたい、過去に蒔いた不安や懸念みたいなものが夢の中で発芽するのだろうか。知っていたら教えてくれ。
繰り返し見る悪夢で育った不安や懸念が成長して種の殻を割り、こうしてある日の朝に胸から発芽する。そんなことがあるのか?
そうして育った植物が咲かせる花とはいったいどんなものなのだろう。どんな形でどんな色でどんな香りを放つんだろう。
その花を、おれは見たり触ったりできるんだろうか。咲くまで生きていればいいのか。
だけど簡単そうで難しいな。
この間も、どうやって死ぬかを考えて飛び込みに決めたんだけど、その日の目覚ましが鳴っているのに気づかなかったんだ。
だから寝坊をして、結局は死ぬのをやめてしまった。つまり、おれがもうすこしちゃんとしていたら生きてなかったかも知れないと言うことだ。
いや、おれがもう少しちゃんとしていたら死ぬ計画なんて立てなかったかも知れないな。
しばらく胸に生えた双葉を眺めていたが、とりあえず今日は仕事に行かなければならない。
胸に生えた芽を引き抜いてゴミ箱に捨てた後でシャワーを浴びた。
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その部屋には七輪も練炭も無く、賃貸の部屋には梁すらなかった。
付けっぱなしになっていたテレビはニュース番組を流していた。
「いまなんのニュース?それ」
女が訊いた。名前は思いだせない。
「フォークリフトから落ちて死んだ人間のニュースだよ」
袋にゴミを詰め込む女を一瞥してから視線をテレビに戻すと、次は13階から落ちて助かった男のニュースが映っていた。
続けざまに餓死と凍死と水死のニュースをやって、あとはスポーツコーナーでエクストリームなやつをいくつか見た。
内容は覚えていない。
たぶん見ても忘れてしまう。そこの女の名前と同じだ。
「ぜんぶ捨てていい?」
女がおれに訊く。
首を括ったときに赤子が飛び出さないように膣に蓋をしたりするもんなんだろうか?
女の名前はまだ思い出せない。
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「月が綺麗だね」
ベランダで煙草を吸っていると女が横に並んで空を見上げた。
月があった。
地球の裏側にある太陽に照らされて光る月と言うものを眺めていると、やはり太陽の大きさを想像せずには居られない。
地球に蝕まれてから顔を出した月は妙に赤く薄ぼんやりとしていた。
遠く離れたどこかで君もまたこの月を眺めているのだろうか。
同じ月を見ている事になるのだろうか。
幾分か、何億分の一度でも違う角度で飛ぶ光の反射が網膜を通して脳味噌に入って行くどこかで失われた情報があるのではないだろうか。
いくつかの電波塔を通してやり取りをしていた頃はその可能性に気づきもしなかった。
いや、それは嘘だ。
君との間に生じた誤差を埋める為にやり取りをしていた。その誤差がどれほど修正できたかは知る由もない。
隣に並んだ女を突き落とすと、女は小さな声で
「あ」
と言った後に小さな光とシミになった。
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花は咲いたが誰に見られることもなく、花弁を茶色く汚すと、冬の引き波のような風に揺れて茎の先からぼたりと頭を落とした。




