第4話 田原 直樹
離れの柱にノミを当てながら、オレは深く息を吐いた。
床板を外した時点で覚悟はしていたが、やはり主柱の二本はかなり傷んでいた。
足元に近い部分はすでにスカスカで、指先で押すと簡単に崩れる。シロアリの食害か、あるいは湿気で長年腐食したのだろう。
このままでは冬を迎える前に倒れてしまう。
とはいえ、離れを本格的にリノベする気はなかった。
母屋を住めるようにするまでの“仮住まい”に過ぎないのだから、そこに金と労力を注ぎ込むのは全くの無駄だ。
とはいえ、最低限、柱が立っていなければ屋根が落ちる。野辺山の冬はそれなりに降雪がある。この冬安心して過ごせるように最小限の応急処置は必須だった。
「さぁて、……ほぞ継ぎ細工を進めないとな」
独り言を洩らして、マキノの丸ノコのスイッチを入れる。
ブレードの回転音が狭い部屋に響き、木の粉が舞い上がる。
まず腐った部分を切り落とす。
傷んだ木がバリバリと音を立てて剥がれ落ち、足元に山のように積もった。鼻を突くような、甘酸っぱい腐敗臭。
切り口を確認すると、やはり二十センチ以上が失われている。腐敗した部位を切除した上で、ここに新しい木材を継ぎ足す必要がある。
ただし、いきなり柱を抜いてしまうわけにはいかない。
天井の梁が崩れないように、アルミのサポートポールを二本立てた。
「これで一時的には持つだろう」
金属のポールが突っ張る音を確認し、軽く体重をかけて安定を確かめる。
次に、補強材を加工する。
マキノのインパクトドライバーを手に取り、事前にマーキングした位置に穴を開けていく。
新しい角材にスコヤを当て、鉛筆で正確に線を引き直す。
「ほぞ」となる突起部分と、「ほぞ穴」となる凹部を見比べながら、ノミで少しずつ削り取る。
カン、カンと木を叩くたび、乾いた音が部屋に響いた。
ほんの数ミリずれるだけで噛み合わない。集中しながら慎重に刻んでいくと、汗が背中を流れていくのが分かった。
ふと横を見ると、昨日遥ちゃんが引いた鉛筆の線が別の角材に残っていた。ぎこちないながらも直角を意識した線。
オレは少し口元を緩め、その線を指でなぞってから再び作業に戻った。
「……よし、こんなもんだな」
削り出した角材を腐った柱の切り口に当てる。
まだ仮組みの段階だが、思ったよりもしっかり収まりそうだ。
ほぞ継ぎは練習のつもりで始めた作業だった。
だが今、こうして木と向き合っていると、単なる練習以上の意味を持ち始めている気がしている。
離れの柱の根元に、新しく削り出した角材を合わせてみた。
ノミで少しずつ削りながら形を整えた“ほぞ”が、腐った部分を切り落とした古い柱の断面にゆっくりと食い込んでいく。
木槌で軽く叩くと、カン、と乾いた音を立ててぴたりと収まった。
「……よし、はまった」
思わず声に出してしまった。
これで二本目。離れの主柱のうち、床側が腐っていた部分をようやく補える目処が立った。
本当なら専門の大工さんに任せた方が良いのだろが、離れは仮住まいに過ぎない。完璧に仕上げる必要はないし、むしろ母屋側をこれからゆっくりリノベしていく為の練習にはもってこいだった。
木屑を掃こうと立ち上がったとき、縁側から声がした。
「……こんにちは」
顔を向けると、また遥ちゃんが立っていた。今日はモモちゃんは一緒ではないが、少し緊張した顔でこちらを覗き込んでいる。
「お、また遊びに来てくれたのか。じゃあ折角だからちょっと手伝ってくれる?」
そう言ってブラシを差し出すと、彼女はためらいながらも受け取った。
一緒に掃除をしていると、ふと「これを見せてもいいか」と思った。
工具箱から黒いケースを取り出し、三脚に固定してスイッチを入れる。
スッと緑色の光が壁から壁へ走り、部屋全体に一本のラインが浮かび上がった。
「わあ……これ、何ですか?」
遥ちゃんの目が丸くなる。
「レーザー式の水平器。水平と垂直を確認する道具だよ。大工さんが現場でよく使うんだ」
そう説明しながら、緑色のラインと柱の位置を見比べる。
「古い家は長い年月で傾んでることが多い。ほら、屋根が微妙に下がってるだろ。でも今回、ほぞ継ぎで柱を補正したから、このラインに合わせれば全体の水平を取り戻せる」
緑色の光は、歪んだ柱や梁の影をはっきりと浮かび上がらせていた。
遥ちゃんはじっとその線を目で追い、まるでゲームの映像でも見ているかのように目を輝かせていた。
「……面白いですね」
「でしょ? こういう道具っオレもついこの間まで全然知らなかったけれど、凄いよね。まぁ、オレ自身は、ただ使ってるだけだけれどさ」
そう言いながらも、胸の奥では小さな手応えを感じていた。
数十年放置されてきた離れが、わずかずつではあるが“生き返っていく”。その兆しを、確かに緑色の光が示していた。
ほぞ継ぎで補った柱を、金物とボルトで固定した。
アルミのサポートポールを外しても、屋根はびくともせずに静かに立っている。
レーザーの緑色のラインをもう一度確認する。梁も水平に戻っていた。
「……よし、これで大丈夫だな」
思わず深く息を吐いた。
「もう、直ったんですか?」
縁側から覗き込んでいた遥ちゃんが声をかけてきた。
「そうだね。とりあえず、この離れが積雪とかで倒れる心配はなくなったかな」
そう答えながら木屑を掃いていると、彼女が少し首をかしげた。
「でも……これからどうするんですか?」
オレはしばらく考えてから、柱に手を置いた。
「このままじゃこの冬は寒くて越せない。だから次は壁を全部剥がそうと思う」
「壁……?」
「土壁だよ。今はボロボロで隙間だらけだから、全部落として板張りにするつもりだ」
遥ちゃんは目を丸くした。
「壁をぜんぶ取っちゃうんですか?」
「そう。一旦スカスカにして、それから塞ぎ直す。内側に断熱材を一面に貼って、その上から構造合板を打ち付ける。これで冷気をだいぶ防げるはずだ」
彼女は土壁を指で軽くつつき、ぽろっと欠片が落ちるのを見て笑った。
「ほんとだ、崩れそう……」
オレも苦笑してうなずいた。
「古民家っていうのは、見た目は立派でも、中身は大概こんなもんだと思うよ。やり方はシンプル。壁を塞いで、断熱して、それだけだね」
「屋根は大丈夫なんですか?」
彼女の問いに、天井を見上げる。
「今のところ離れは傷んでないと思う。でも念のため、屋根板の裏から浸水防止シートを貼るつもりだ。これで雪や雨が吹き込んでも、しばらくは耐えられるはずだし」
説明を聞いていた遥ちゃんは、難しい顔をしてから小さく笑った。
「……なんか、すごく本格的ですね。素人さんのDIYって、もう少し適当なやつだと思ってました」
「そういうのもあるかも知れないけれど、オレは腰を据えてじっくりと取り組むつもりだから」
冗談めかして答えると、彼女は目を細めてこちらを見た。
「じゃあ……この離れを直したら、とりあえずこの冬は大丈夫なんですね」
「まぁ、たぶんね」
そう言って、木槌を片づけながらふっと笑った。
「少なくとも、凍え死なずには済むと思うよ。多分、モモちゃんが遊びに来ても、寒くない程度にはできると思う」
縁側で猫のモモちゃんが丸くなり、夕方の光の中で喉を鳴らしていた。
その穏やかな音を聞きながら、オレは次にやるべき作業の手順を頭の中で組み立てていた。




