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第32話 水野 遥

 その日、野辺山の公民館は異様な熱気に包まれていた。

 普段なら地域の寄り合いか健康講座くらいにしか使われない畳の座敷に、黒いカメラと照明がぎっしりと並び、スーツ姿の記者やスタッフが通路をふさぐほど詰めかけていた。


 ――嘘みたい。

 ここ、本当に野辺山だよね?


 私と美和は青年団の隅に座りながら、息を呑んでその光景を眺めていた。


 壇上に立つのは、直樹さんと黒瀬悠真。

 大手・バーチャルステージの代表と、地方発の小さなプロジェクト――本来なら絶対に交わらない二人が、肩を並べてマイクを握っている。

 さらに隣には、長期休養に入っていたトップV-Tuber、水無瀬玲奈。そして、現場を支え続けた佐伯美佳。


 記者席のざわめきは、玲奈の姿が現れた瞬間に爆発した。

 「本物だ……!」

 「休養中って聞いていたのに……」

 「これは記事になるぞ!」

 無数のフラッシュがたかれ、白い光が会場を一瞬ごとに切り裂く。


 直樹さんが深く一礼し、口を開いた。

 「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。――私たちはここ野辺山から、V-Tuber業界の新しい未来を提示します」


 スクリーンにスライドが映し出された。

 【V-Tuberキャスト保護プログラム】――大きな文字が目に飛び込む。


 「これまでの業界は、数字を追いすぎました。再生数、投げ銭額、イベント動員。確かに大切です。しかし、それを追うあまり、キャストは酷使され、疲弊し、夢を語る舞台から降りざるを得ない状況が生まれてきました」

 直樹さんの声は、冷静だけど、胸の奥に届く強さがあった。


 黒瀬悠真が言葉を継ぐ。

 「株主や市場からの要求に応えるために、私たちバーチャルステージもまた、数字偏重の運営をしてきたことは否めません。しかし、その結果――キャストの長期休養、退所が相次ぎ、ファンの信頼を損ないました」


 場内の空気が変わった。

 記者たちが一斉にペンを走らせ、カメラマンがファインダー越しに息を止めている。


 「我々は、ここで変わります」

 悠真の声が強く響く。

 「休養日の制度化。専門メンタルケアチームの常設。固定給と成果報酬を組み合わせた安定的な収入体系。これらを標準とし、業界全体に広げていきます。その実証実験を、まずはこの野辺山から始めます」


 ざわめきが爆発した。

 「業界初だ……」

 「ここまで言い切るとは……」

 フラッシュの光が連続して、視界が真っ白に染まった。


 玲奈がマイクを取った。

 「私は……正直、壊れました。声が出なくなり、配信のボタンを押すことさえ怖くなった。でも……直樹さんに出会って、ここでならもう一度立ち上がれると思ったんです。だから、この仕組みを支える一人として、戻ってきました」

 その言葉に、記者たちが一斉にどよめいた。


 美佳も前に出る。

 「私は現場のマネジメントとして、キャストを支え続けてきました。だからこそ痛感しました。現行の仕組みは、持続不可能だと。ここで変えなければ、業界全体が崩壊します。私は、このプロジェクトで“守る仕組み”を形にしていきます」


 その瞬間、会場に大きな拍手が起きた。

 記者会見で拍手が起こるなんて、普通ならあり得ない。けれど、この場には確かに人の心を揺さぶるものがあった。


 後方の記者の会話が耳に入ってきた。

 「これはバーチャルステージの株価、一気に跳ね上がるぞ」

 「アクティビストも強く出られなくなる。社会問題化する前に、自ら動いた……完全に世論を味方につけたな」


 なるほど。

 これが“奇襲”なんだ。

 地方の小さなプロジェクトと、最大手がタッグを組んで、業界を丸ごと揺さぶる。


 ――すごい。

 ただのDIY動画を撮っていただけだった私と美和が、今やこんな大きな流れの真ん中にいる。

 胸が熱くなり、息が苦しいくらいだった。


 「なあ遥……」

 隣で美和が、小声で笑った。

 「私たち、本当に“ゲームチェンジャー”になっちゃったのかもしれないな」

 「……うん」

 声が震えて、でも力強く頷いた。


 壇上で直樹さんと悠真が固く握手を交わした瞬間、フラッシュの嵐が会場を真昼のように照らした。

 その光景を見ながら、私は確信した。

 ――この一歩は、業界の未来を変える。


 記者会見が終わってから、公民館の外に出た途端、夏の終わりの冷たい風が頬を撫でた。

 でも胸の中は熱くて、鼓動がまだ落ち着かない。


 「すごかったなぁ……」

 青年団の団長・田島さんが、額の汗を拭いながらため息混じりに言った。

 「新聞記者があんなに集まって、フラッシュがバンバンたかれて……。まさか野辺山で記者会見やる日が来るとは思わなかったよ」


 父は腕を組みながら、無理やり落ち着いた顔を作っていたけれど、口元はにやけている。母なんて「うちの娘が……」と隣で目を潤ませていた。

 美和の両親も同じように誇らしげで、でも「これから本当に大丈夫なんだろうな」という心配も混じっているのが伝わってきた。


 私と美和は顔を見合わせ、小さく笑った。

 ――少なくとも、みんなが応援してくれる。

 そのことが心強かった。


 そこへ、玲奈さんと美佳さんが歩み寄ってきた。

 二人とも、少し疲れた顔をしていたけれど、さっき壇上で見せた毅然とした雰囲気はそのままだった。


 「遥ちゃん、美和ちゃん」

 最初に口を開いたのは美佳さんだった。

 「この前は、あんな形でいろいろ迷惑かけてしまって……本当にごめんなさい」

 頭を下げるその姿に、私は慌てて手を振った。

 「い、いえ……」


 玲奈さんも深呼吸して、私たちをまっすぐに見た。

 「私も……ごめんなさい。あのときは頭が真っ白になっていて、感情のままにあなたたちを傷つけてしまった。本当に悪かったと思ってます」


 その声は震えていて、本気で謝っているのが伝わってきた。

 私と美和は顔を見合わせ、同時に小さくうなずいた。


 「いいんです。もう大丈夫です」

 私がそう答えると、美和がニヤッと笑った。

 「まぁ、あん時はマジで怖かったけどな」

 玲奈さんがホットした表情をして、美佳さんが「良かったね」と小突いていた。


 少し空気が和んだそのとき――玲奈さんが急に真剣な顔に戻り、私たちに向き直った。


 「……でも、ひとつだけ言っておくね」

 「?」

 「直樹さんは……私のものだから。それだけは絶対に譲れないから」


 えっ? 今、なんて?

 私と美和は同時に目を丸くした。


 「はぁ!?」

 声がぴったり揃ってしまい、辺りに響き渡った。


 玲奈さんはまったく引く気配がない。

 「私は、彼にすべてを賭けてきた。愛してるし、これからもずっと彼のそばにいる。だから、そこは勘違いしないで」


 美和が眉をひそめ、鼻で笑った。

 「いやいやいや、なんでいきなりマウント取ってくんの。てか“私のもの”ってアンタ、どこの修羅場ドラマだよ」

 「そ、そうですよ……!」

 私もつい声を上げてしまった。

 「直樹さんは……そ、そんな“もの”じゃありません!」


 玲奈さんはむしろ誇らしげに胸を張る。

 「私は本気だから」

 「……マジかよ」

 美和が頭を抱えた。


 美佳さんが慌てて割って入った。

 「ちょ、ちょっと玲奈、落ち着いて! そういう言い方をしたら誤解されるって!」

 「誤解なんてない。これは事実だから」

 玲奈さんの声は真剣そのもの。


 ――うわぁ、本物のヤンデレだ。

 心の中で叫びながらも、私は顔を真っ赤にして俯いてしまった。


 すると美和が私の肩を叩き、ニヤリと笑った。

 「遥。なんか、面白くなってきたな」

 「な、何がよ!」

 「修羅場ってさ、こういう空気を言うんだろ?」


 玲奈さんの視線は鋭く、まるで獲物を狙う猫みたいだった。

 美佳さんはその隣で頭を抱えていた。

 そして私は……心臓がドキドキして仕方なかった。


 ――これ、本当に大丈夫なのかな。


 もう空気はカオスそのものだった。

 玲奈さんは「直樹さんは私のもの」と言い張るし、美和ちゃんは「はぁ!?」とキレ気味だし、私は私で顔が真っ赤になってまともに声も出せない。

 美佳さんは「ちょっと玲奈、落ち着いて!」と止めているけど、玲奈さんは全然聞く耳を持たない。


 ――どうするんですか、直樹さん!

 心の中で叫んだ瞬間、その本人が口を開いた。


 「……いやぁ、まいったな」

 わざとらしく頭をかきながら、にやりと笑う。

 「オレ、どうやら“モテ期”らしい」


 「はぁ!?」「なに言ってんのよ!」

 私と美和ちゃんの声が重なった。玲奈さんまで「そうよ!」って真顔で乗っかってくる始末。


 「……なーんちゃってな」

 直樹さんは肩をすくめて、わざとらしく溜息をついた。

 「三方向から同時に想われるとか、男冥利に尽きるけどさ……修羅場になるのはご勘弁だ。オレの素人DIYスキルじゃ、この空気の補修までは無理だぞ?」


 思わず、ぷっと笑ってしまった。

 玲奈さんも、美和ちゃんも、唖然とした顔をしていたけど、さっきまでの殺気だった空気がすっと和らいだのが分かった。

 ――ほんと、ずるい。

 こんな時でも、さらっと空気を軽くしちゃうんだから。


 そのとき直樹さんが急に真剣な顔に戻った。

 「さて……ここで一つ仕掛けよう」

 私と美和ちゃんに視線を向ける。

 「注目が集まってる今こそ、臨時の生配信をやるチャンスだ。準備はできてるだろ?」


 「えっ!? い、今から!?」

 思わず声が裏返る。美和ちゃんも「マジかよ……」と目を丸くしていた。


 直樹さんは静かに頷いた。

 「記者会見で一気に視線が集まった。だったら、この熱を冷ます前に――“野辺山の二人”をリアルタイムで見せるんだ。DIYでもいい、雑談でもいい。大事なのは“今ここにいる”って証拠を世界に届けることだ」


 心臓が早鐘のように鳴った。

 ――本当に、いきなりなんだ。

 でも、直樹さんがそう言うと、不思議と「やってみよう」と思えてしまう。


 美和ちゃんが口元をニヤッと上げた。

 「しゃーねーな……。やるか、遥」

 「う、うん……!」


 直樹さんは満足そうにうなずき、最後に茶目っ気を含んだ声で言った。

 「修羅場の後は舞台に立つ――それがエンタメってもんだろ?」


 ――ほんと、悪い男。

 そう思いながらも、胸の奥は期待と高揚でいっぱいになっていた。


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