第27話 田原 直樹
――デビュー当日。
朝から落ち着かない気持ちだった。
母屋の居間には、ノートPCと外付けストレージ、そして編集を終えたばかりのデータが整然と並んでいる。
昨日の夜まで、遥と美和が編集の最終チェックをしてくれた。テロップの位置や、BGMの切り替え。素人の目だからこそ気づくポイントも多く、彼女たちの意見を反映して「観やすい映像」に仕上がった。
「よし……」
深呼吸をして、アップロード作業を始める。
最初にアップしたのは、自己紹介用の短編動画。
ヤツミとレタにゃんが「はじめまして」と挨拶し、八ヶ岳の自然や野辺山の名前を口にする。30秒ほどの短い映像だが、キャラクターの表情や声の魅力が凝縮されている。
続けて、DIYチャンネルで撮影した映像を編集したもの。
離れの床下にコンクリを流したシーンを短くまとめ、「新人A」「新人B」として出演していた二人が、実はヤツミとレタにゃんだったという種明かしをする流れにした。
さらに、地域紹介の収録も三本。
JR鉄道最高地点の石碑前で撮影した映像。
野辺山宇宙電波観測所の巨大パラボラアンテナを背景にした紹介。
そして南牧村美術民俗資料館での「知られざる地元の歴史探訪」。
合計六本の動画を、順にスケジューリングして公開設定にした。
どれも五分から十分程度の短編。最初から「まとめて観られる」状態にすることで、視聴者が回遊して楽しめるようにした。
最後に、チャンネルページのトップに夜八時からの「初生配信予告」を設定。
ヤツミとレタにゃんが「いよいよ本日デビューです!」と告げる告知映像を貼り付ける。
――すべて準備完了。
時計を見れば、まだ午前十時過ぎ。
アップロード直後の再生数はゼロに等しい。最初は静かなはずだ、と自分に言い聞かせていた。
だが、数分後。
画面右下の通知が、勢いよく跳ね上がり始めた。
《チャンネル登録者数:1000》
《チャンネル登録者数:2500》
《チャンネル登録者数:5000》
「……えっ?」
思わず画面に顔を近づける。
公開からわずか二十分で、登録者が五千を超えた。
コメント欄にも、次々と書き込みが流れ始める。
《ついに来たか!》
《田原直樹ってあの田原?》
《バーチャルステージ辞めてから何してるかと思ったら、野辺山とか予想外すぎw》
《ヤツミかわいすぎるんだが》
《レタにゃん表情豊かすぎて草》
――田原直樹。
オレは自分の名前が、コメント欄に並んでいるのを呆然と見つめた。
自分ではすっかり過去の肩書を手放したつもりでいた。
もう都会の業界とは縁を切ったつもりでいた。
だが、現実は違った。オレが立ち上げに関わった「株式会社バーチャルステージ」は、今や業界大手。その創業者が退任後に何を始めるのかは、ずっと注目されていたらしい。
その答えが――「野辺山V-Tuber」だった。
午後になると、数字はさらに跳ね上がった。
チャンネル登録者は一万人を超え、再生数も各動画が数千から一万再生に届き始めている。
予告動画のコメント欄は、期待と驚きで埋め尽くされていた。
《田原直樹が本気で地方からVやるのか!》
《大手にケンカ売る気満々で草》
《こういうの待ってた。楽しみすぎる》
オレは頭を抱えた。
――これは、ただの「ゆるキャラデビュー」じゃない。
夜八時の生配信を待たずに、野辺山の小さな古民家が、業界全体の注目を浴び始めていた。
午後二時。
モニターに映る数字が、また跳ね上がっていた。
《登録者数:3万人》
「……マジか」
思わず声が漏れた。昼に一万人を超えた時点で驚いていたのに、さらに倍々で増えている。
そのとき、スマホがけたたましく鳴った。
画面に並んでいたのは、業界時代の知り合いからのLINE通知だった。
《直樹さん、ニュース出てますよ!》
慌ててリンクを開くと、そこには大手ニュースサイトの記事が載っていた。
『元バーチャルステージ創業者・田原直樹、新プロジェクト始動 拠点はまさかの野辺山』
記事には、アップロードしたばかりのチャンネル動画のスクリーンショットが添えられ、ヤツミとレタにゃんの鮮烈なビジュアルが大きく載っていた。
――もう記事になったのか。
心臓が高鳴る。しかも読むと、ただの紹介ではなく「業界に風穴を開ける可能性」「地方発信の新しい形」といった論調で書かれている。
さらにSNSを覗けば――。
《野辺山ってどこ?行ってみたい》
《このアバターすごくない?フル3Dとか草、これ大手に完全にケンカ売ってる》
《ヤツミの表情やばい、リアルすぎ》
《直樹がまた仕掛けるって、これ業界震えるやつじゃん》
《レタにゃんの語尾かわいすぎ》
タイムラインが一気に「野辺山」で埋まっていた。
夕方五時。
登録者数はついに 5万人 を突破。
コメント欄は流れるように更新され、夜八時の初配信を待ちきれないファンの声で溢れていた。
そんなとき、玄関の戸がドンドンと叩かれた。
「直樹ー! すげえことになってるぞ!」
声の主は団長の田島だった。後ろには青年団の面々もずらりと並んでいる。
「ニュース見たか? お前らもう全国区だぞ!」
息を切らしながら笑う団長に、オレは苦笑で応じた。
「いや、オレも驚いてる。まだ生配信すらしてないのに……」
その場に居合わせた遥の父が、信じられないというように腕を組んだ。
「五万人……? そんなに登録するもんなのか」
母も手を口に当てて、「遥、大丈夫なの?」と心配そうに娘を見つめる。
遥は頬を赤らめ、けれど真剣な声で答えた。
「だ、大丈夫。隼人さんのレッスンもあるし……直樹さんもいるから」
美和の母は半信半疑の表情だったが、父のほうは腕を組みながら「ここまで来たら腹を括るしかないな」と小さく頷いていた。
青年団の一人がスマホを掲げて叫んだ。
「おい、見ろよ! “野辺山”がトレンド入りしてる!」
その瞬間、居間にどよめきが広がった。
――野辺山が、全国のタイムラインに並んでいる。
ただの小さな村の名前が、今や何万人もの人間の口に上っている。
オレは胸の奥で深く息を吸った。
これは、もはやオレ一人の挑戦じゃない。
地域全体を巻き込んだ、大きなうねりになっている。
そして夜八時――。
初配信の幕が上がる前から、野辺山の古民家はすでに熱気に包まれていた。
夜八時ちょうど。
母屋の離れに設けた配信部屋の照明が落ち、モニターにカウントダウンが浮かんだ。
《3……2……1》
「配信開始――!」
オレが合図を送ると同時に、モニターに二つの姿が映し出された。
狐耳を揺らす凛とした少女――ヤツミ。
レタス色の髪と猫耳を持つ、元気な少女――レタにゃん。
その瞬間、視聴者数カウンターが爆発的に跳ねた。
《同時接続:1.2万人》
「うお……!?」
思わず声が漏れる。開始直後でこれだ。数字はまだ、どんどん上がっている。
コメント欄が怒涛のように流れた。
《キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!!》
《ヤツミかわええええ》
《レタにゃん草》
《新人感あって逆にいい》
《地方発でこれってマジ?》
隣でヘッドセットを付けた遥と美和――いや、今はヤツミとレタにゃん――が、緊張で固まっていた。
「……や、やっ……」
遥の声が震える。アバターの口が動き、ヤツミが同じように震えながら口を開いた。
「や、ヤツミ……です。はじめまして……」
コメントが一斉に反応する。
《初々しいw》
《声かわいい》
《緊張してるの丸わかりで草》
美和が慌ててマイクに向かって声を乗せた。
「ちょ、ちょっと待てよ! 相棒が固まってんじゃん!」
レタにゃんが横で肩をすくめるモーションをした。
《相棒www》
《レタにゃんツッコミ担当か》
《この掛け合い最高かよ》
座敷のモニターで見ていた青年団が一斉に笑い声を上げた。
「おい見ろ、コメントが追いつかねえぞ!」
団長の田島まで身を乗り出している。
オレは裏でモニターを睨み、トラブルがないかチェックする。音声も映像も安定。配信ソフトのメーターもグリーン。
よし、問題ない――。
緊張していた二人も、徐々に隼人のレッスン成果が出てきた。
「今日は……はじめての生配信です!」
「“新人AとB”って呼ばれてたけど、今日から正式に“ヤツミとレタにゃん”です!」
《おめでとー!》
《デビューお祝い!》
《拍手!拍手!》
コメント欄に拍手の絵文字が溢れ、スーパーチャットが飛び始めた。
《¥5,000 デビューおめでとう!》
《初配信記念!》
遥が慌ててモニターを見て声を震わせる。
「えっ……な、投げ銭!? いきなり!?」
美和がすかさずツッコミを入れる。
「お前、そこで驚くなって! “ありがとうございます!”だろ!」
《wwww》
《素人感が逆に良い》
《これが伸びるわけだ》
コメントの嵐に、オレの胸は熱くなった。
数字ばかりを追い続けて、キャストに無理をさせていた東京時代。
でも今目の前にあるのは、自然体で笑っている二人と、それを全力で受け止める視聴者の波だ。
「やべえな……」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
すでに同時接続は 2万人 を突破していた。
座敷では家族たちが手を叩き、青年団が歓声を上げている。
「おい! 遥の声だぞ!」
「美和もちゃんとやってる!」
母親たちが涙ぐみ、父親たちは腕を組みながらも誇らしげな顔をしていた。
配信は順調に進み、自己紹介から軽い雑談、そしてDIYチャンネルの舞台裏トークへ。
「この前、床にコンクリ打ったんですよ」
「腰が死んだよな!」
「えっ、配信で言う!?」
笑い声が重なり、コメントも大盛り上がりだった。
《DIYアイドルw》
《左官女子は草》
《おっさんと一緒にやってるの尊い》
その「おっさん」と書かれたコメントを見て、思わず苦笑いする。
――まあ、事実だな。
だがそのおっさんは、今、胸の奥で確かな震えを感じていた。
遥も、美和も、確かに自分の足でステージに立っている。
地域も、家族も、視聴者も巻き込んで――。
配信終了後。
画面に浮かんだ同時接続の最終値を見て、オレは思わず息を呑んだ。
《ピーク同接:3.5万人》
信じられない数字だった。
初配信で、地方の一古民家からの挑戦が、すでに全国規模の現象になっていた。
「……本当に始まったんだな」
モニターの暗い画面を前に、オレは静かに呟いた。
胸の奥に、熱くて重い、しかし心地よい責任が宿っていた。
配信が終わった瞬間、離れの中にしばし静寂が広がった。
機材のファンの音だけがかすかに響いている。
「……終わったな」
オレが呟くと、まだヘッドセットを付けたままの遥と美和が、互いの顔を見てから同時に笑い声を上げた。
「すごかった……!」
「コメント止まんなかったな!」
興奮で頬を赤らめ、息を切らしている二人を見て、胸の奥が熱くなった。
青年団や家族たちも座敷で一緒に見ていて、拍手と歓声で迎えてくれた。
「よくやった!」
「最高だったぞ!」
母親たちは涙を浮かべ、父親たちも無言でうなずいていた。
だがオレ自身は、不思議と冷静だった。
もちろん数字はとんでもない。初配信で同接三万五千。登録者数は配信終了直後に十万人を突破していた。
だが――これは、あくまで「最初の花火」だ。お祭り的なご祝儀にすぎない。
「ここからが本当の勝負だ」
自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
それでも翌朝、スマートフォンを開いた瞬間、思わず息を呑んだ。
SNSのタイムラインは「ヤツミ」「レタにゃん」で埋め尽くされている。
《初配信から完成度高すぎ》
《新人なのに掛け合いが自然すぎる》
《3Dアバターのクオリティが桁違い》
さらにメディアも動いていた。
大手ニュースサイトが「地方発の新星V-Tuberユニット、初配信で同接3万人超え」と大きな見出しを打ち、エンタメ系のまとめサイトが次々と記事を公開していた。
極めつけは、海外のV-Tuber専門メディアからのメールだった。
《Nobeyama VTuber Project could be the future of local-community based streaming. Interview request.》
――まさか、初日で海外から取材が来るとは。
オレは深く息を吐いた。
これはただの地方ゆるキャラ企画ではない。すでに「新しいV-Tuberの理想形」として、世界に認識され始めている。
織絵の立ち絵を元にしたフル3Dアバターは、点数で言えば一点豪華主義かもしれない。
だが、その一点が突き抜けているからこそ、視聴者の心を一気につかんだのだ。
隼人の指導で鍛えられた二人の掛け合いも初々しく、自然体で面白かった。
そして「地域発」という文脈も、確実に人々の好奇心をくすぐっている。
すべてが噛み合った、奇跡のような初配信だった。
「……オレの想定を超えてるな」
正直にそう思った。
ただ、浮かれてはいけない。
お祭り騒ぎが落ち着いた後に、本当に残れるかどうか。
数字を追いかけるのではなく、ここに関わる人たちが幸せになれるように。
その信念だけは絶対にぶらさない。
窓の外を見ると、八ヶ岳の稜線が朝日に照らされて輝いていた。
あの光のように、彼女たちの未来も、確かに開け始めている。
「さあ――ここからだ」
そう呟き、オレは新着の取材メールをもう一度開いた。
熱狂の余韻をかみしめながら、冷静に次の一手を考え始めていた。




