第25話 田原 直樹
拍手が収まり、座敷に再び静けさが戻った。
だがその静けさは重苦しいものではなく、未来に期待を抱くような温かい空気だった。
オレは深く息を吸い、皆を見回した。
「……ありがとうございました。今日のテスト配信は、無事に終えることができました」
座布団に正座しながら、オレは続けた。
「ただ――ここから先は、さらに大切な話があります」
皆の表情が引き締まる。
父母も、美和の両親も、団長の田島さんも、自然と姿勢を正した。
「これまでは、ほとんどオレ個人の持ち出しで準備を進めてきました。機材、アバター制作費、環境整備……。でも、今日の配信を経て、改めて思いました。――このプロジェクトは、もう“個人の道楽”で済ませる段階ではない」
オレの声が少し強くなった。
「遥さんや美和さん、そのご家族、青年団の皆さん。多くの人が関わってくれている以上、責任を曖昧にするわけにはいきません。ですから、正式に法人化します」
居間がざわめいた。
母が思わず口にする。「会社に……?」
オレは頷いた。
「はい。“株式会社 野辺山V-Tuberチャンネル”――仮称ですが、そうした形で法人を設立します。経営を法人の枠組みに置くことで、収益分配も契約もすべて透明にし、地域の皆さんにも安心して関わってもらえる体制を作ります」
机の上に用意してきた資料を広げた。
「資本金は一千万円とします。現状、ほぼオレの負担ですが、これまでの個人負担分は除却処理を行い、改めて“新しいスタート”として計上します。青年団にも出資の窓口を設けますが、無理のない範囲で構いません。重要なのは、参加している全員が“これは自分たちの事業だ”と胸を張れることです」
父が唸るように言った。「……なるほどな」
団長の田島さんは、真剣に資料を覗き込みながら頷いていた。
オレはさらに続けた。
「もちろん、オレ一人で会計を抱え込むことはしません。すでに地元で信頼されている会計士の先生に相談し、監査をお願いする方向で話を進めています」
そう言って襖を開けると、隣の部屋から一人の中年男性が入ってきた。
グレーのスーツに柔らかな笑顔。野辺山の商工会でもよく知られる人物だ。
「ご紹介します。南牧で会計事務所を営む、松井先生です」
オレが紹介すると、松井先生は軽く会釈した。
「田原さんからお話を伺っています。資金の流れを透明にし、適切な帳簿管理を行うことは、地域ぐるみで活動する上で不可欠です。私が責任を持って監査にあたり、皆さんにとって安心できる仕組みを作ります」
その言葉に、母がほっとしたように息をつき、美和の父も腕を組んだまま「それなら安心だ」と呟いた。
オレは深く頷き、最後に声を強めた。
「この企画は、ただのYouTubeチャンネルではありません。野辺山を発信し、若い世代に居場所を作り、地域に誇りをもたらす取り組みです。そのために――きちんとした経営基盤を整え、皆で一緒に歩んでいきます」
言い切ると、田島団長が立ち上がり、力強く言った。
「……そこまで筋を通すなら、オレたち青年団も全力で支えるぞ!」
再び拍手が起こった。
さっきのテスト配信のときとは違う。
今度の拍手は、“遊びではなく事業として受け止める”という決意の響きを持っていた。
オレは胸の奥が熱くなるのを感じながら、深く頭を下げた。
オレは卓上に置いた資料をめくり、皆の視線を集めた。
「法人化について、もう少し具体的にご説明します。
結論から言えば――株式会社として立ち上げたいと思っています」
母が小さく首をかしげた。
「株式会社と合同会社って……どう違うんですか?」
オレは頷き、わかりやすく言葉を選んだ。
「合同会社は、設立費用が安く、自由度も高い。ただ、世間的な信頼度では、やはり株式会社に劣ります。株式会社なら、役員や株主の構成を明確にし、決算も公告する。つまり“透明性”を担保できる。地域の皆さんや企業と連携するなら、株式会社のほうが信頼を得やすいんです」
美和の父が腕を組み、「なるほど……」と低く唸る。
オレは続けた。
「資本金は一千万円を用意します。そのうち大半――七割はオレが出資します。残り産割は“地域の参画”を象徴する意味で、青年団やご家族に分散していただければと思っています。ただし、無理にお金を出してほしいわけではありません。たとえば一口数万円の小口でも十分。大切なのは“オレたちも出資している”という実感です」
青年団の一人が手を挙げた。
「でも、それだと直樹さんがほとんど持つことになるんですよね?」
「はい。現時点ではオレが過半数を握ります」
オレははっきり言った。
「ここまでの投資はすべてオレの持ち出しですし、責任もオレが背負います。ただし――将来的に拡張フェーズに入ったとき、たとえばスポンサーやタイアップ、グッズ制作などで規模が大きくなったときには、地域からの出資比率を増やし、より“地域の会社”にしていく方針です」
会計士の松井先生が横から補足した。
「株式会社にすれば、株式の譲渡や増資の仕組みを使えます。つまり最初は直樹さんが責任を負い、後から地域が参加していく形に柔軟に移行できる。これは合同会社では難しい点です」
田島団長がうなずいた。
「つまり今は直樹が大黒柱として立ち上げ、将来的にはオレたちも株主として関わりを深めていける、ってことか」
「その通りです」
オレは団長の言葉に応じた。
「いずれこの会社を“オレの会社”ではなく、“野辺山のみんなの会社”にしていきたい。そのための器として株式会社がふさわしいと判断しました」
母がぽつりと呟いた。
「……本気なんですね」
オレは静かに頷いた。
「はい。これはもう、遊びでも余興でもありません。責任の所在を明確にして、収益も、支出も、誰が見てもわかる形にする。それが地域の信頼につながります」
美和の父が口を開いた。
「……そこまで筋を通すなら、反対する理由はないな。むしろ安心できます。私も小なりといえど、是非投資させて頂きたい」
遥の父も、美和の父親の言葉に頷きながら、真剣な目でオレを見つめていた。
「田原さんに責任を背負うと言って頂いた以上、我々も応援し、投資もさせて頂きます」
「ありがとうございます!」
オレは背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「――皆さんと共に歩む器を、今ここで作りたいと思います」
座敷の空気が熱を帯びていく。
田島団長が両手を叩いた。
「よし、決まりだ。法人化、賛成だ!」
再び拍手が巻き起こった。
ただのテスト配信の熱気とは違う。
今度は“事業としての一歩”を地域全体が受け入れた証の拍手だった。
オレは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、静かに拳を握った。
――これで、本当に野辺山から未来を創れる。
会議が終わると、そのまま母屋の居間にはちゃぶ台をいくつも並べて、即席の宴会場にした。
卓の上には、地元のスーパーで買った総菜や、母が手伝ってくれた漬物、青年団のメンバーが持ち込んでくれた地酒や地ビール。大げさなものではないが、十分に温かい空気が漂っていた。
「じゃあ――新法人の立ち上げを祝って!」
田島団長が声を張り上げ、皆でコップを掲げる。
「かんぱーい!」
乾杯の声が響くと、座敷に笑い声が広がった。
遥と美和は、並んでジュースの入ったグラスを掲げ、顔を赤らめている。親御さんたちは少し照れながらも笑みを浮かべ、青年団の面々は「やっと形になったな」と互いに杯を交わしていた。
「直樹さん、ほんとに会社まで作るなんて……」
遥の母が感慨深げに言うと、美和の父も「まあ、筋は通ってるな。本当凄いわ」と頷いた。
オレは少し照れながらも笑った。
「無理に大きくするつもりはありません。でも、責任の形を明確にした方が、みんなも安心できると思って」
横で織絵がグラスを揺らしながら、「ふふん、私の絵が会社の“顔”になるのね」と上機嫌だ。
隼人はというと、缶ビールを片手に「よし、こうなったら本気でトップ狙うしかないな」と笑い、青年団の若手から「おおー!」と声が上がった。
「じゃあ、うちらは……看板娘?」
美和が冗談めかして言うと、隣の遥が「やめてよ、恥ずかしい……」と赤くなる。
でもその頬には、確かに期待と嬉しさが混ざった笑顔があった。
親御さんたちも最初の頃の不安そうな表情は消えて、むしろ「地域でこんな若い子が挑戦するなんて」と誇らしげに周囲と話している。
オレは座敷の真ん中でその光景を見渡しながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
――これが、オレの望んでいた未来だ。
酒の席は和やかに進み、笑い声と談笑が絶えなかった。
最後に、田島団長が立ち上がり、手を叩いた。
「よし! ここからは“野辺山発のV-Tuber会社”だ! 全員で支えていくぞ!」
その言葉に、再び拍手と歓声が巻き起こった。
遥と美和は目を丸くしながらも、やがて互いに顔を見合わせ、笑って頷いた。
――未来は、ここから広がっていく。
小さな母屋の座敷から、世界に届く光を灯して。




