第24話 水野 遥
9月に入った野辺山は、昼はまだ暑い事もあるけれど、朝晩はすっかり秋の気配だ。
山の秋は早い。
私のリュックには野辺山の観光案内パンフレットが入っている。かつての自分なら「なんでこんな荷物持って歩いてるんだろう」と不思議に思ったかもしれない。でも今は違う。観光案内を読むのも、「やってみたい」と自分で思って始めたことだった。
「おい、急げ急げ。次の電車くるぞ!」
駅前で走り出した美和ちゃんに、私は慌てて追いついた。
「え、なに? 電車なんてもう見慣れてるでしょ」
「バカだなぁ。“JR鉄道最高地点”って知ってる?」
「……最高地点?」
「そう! ここ野辺山の駅のすぐ近くにあるんだよ。記念碑と標高表示、電車が通るタイミングで撮っとかないと」
美和ちゃんがスマホをかざしてパシャパシャやっている姿を見て、私は思わず笑ってしまった。
「観光客みたいだね」
「何言ってんの、観光客目線を持つのは大事なんだよ? ほら、遥もポーズ!」
そう言って記念碑の前に私を立たせ、「新人A in 野辺山」なんて勝手にアングルを決めて撮ってくる。
「ちょっと、その名前やめてよ!」
私が真っ赤になって抗議すると、彼女はゲラゲラ笑っていた。
次に向かったのは「野辺山宇宙電波観測所」。
大きな白いパラボラアンテナが青空にそびえ立っている。
「うわぁ……」
思わず息を呑んだ。近くで見ると、本当に宇宙と会話してるみたいだ。
美和ちゃんは展示室の解説パネルを読みながら、真剣にメモを取っていた。
「“ブラックホールの観測”とか書いてある。これ、VTuberでネタにできるんじゃね?」
「え、いきなり宇宙の話するの?」
「いいじゃん。“野辺山から宇宙を語る女子高生”って、響きカッコよくない?」
「……カッコいいかもしれないけど、私に語れるかなぁ」
「大丈夫。“わかんない!”って正直に言うのも面白いんだよ」
そう言ってケラケラ笑う美和ちゃんに、私はまた笑わされてしまった。
最後に寄ったのは「南牧村美術民俗資料館」。
正直、昔は学校行事で連れてこられても「つまんない」と思っていた場所だった。
でも今は――展示されている古い農具や衣装を見ながら、「これ、配信で取り上げたらどう説明できるだろう」と考えていた。
「ねぇ美和ちゃん、この“唐箕”って知ってる?」
「風で米と殻を分けるやつだろ。……って、ワタシ案外詳しいくね?」
「えらい!」
思わず拍手してしまった。
「やめろよ、バカ。……でも、こういうの、意外と面白いな」
美和ちゃんの照れ笑いが、なんだか嬉しかった。
帰り道、二人で資料館のパンフレットを眺めながら歩く。
「……私たち、観光ガイドできるくらい詳しくなれるかもね」
そう言うと、美和ちゃんは肩をすくめた。
「ま、学校サボってた分、今こうして取り返してんだな」
「うん。でも、今度は自分で“知りたい”って思ってるから、ちょっと違う」
胸の奥がじんわり熱くなった。
勉強も、地域を知ることも、バイトも、全部「やらされてる」んじゃなくて「自分で選んでる」。
その感覚が、今の私には何より新鮮で、誇らしかった。
夜は隼人先生による特訓だ。
「じゃあ――今日は模擬配信だ」
隼人さんのその一言で、居間の空気が一気に張り詰めた。
ちゃぶ台の上にはノートPCとマイク。カメラは小型の三脚に固定され、背景にはDIYで作った木の壁が映っている。これまで何度も発声練習や掛け合い練習をしてきたけれど、今日は「実際に配信する流れ」を通す。初めてのフルリハーサルだった。
「よし、スタート。――おはようございます、ヤツミです!」
美和ちゃんが明るい声を張る。
「……お、おはようございます! レタにゃんです!」
私も続く。声が少し裏返ったけれど、なんとか出せた。
隼人さんはモニター越しに腕を組み、じっと見ている。
コメント欄の代わりに、彼が入力して流してくる「仮想コメント」が画面に並ぶ。
《声ちっちゃい》《可愛い》《新人感あるな》
「はい、ここ!」
隼人さんが手を叩いた。
「“声ちっちゃい”ってコメントきたときに、“あ、すみません”って謝るな。そうじゃなくて――『じゃあ全力でいきます!』って返せ。謝るより“次を見せる”のが空気をつなぐ」
「は、はい……!」
私は深呼吸して、もう一度声を張った。
「じゃあ全力でいくよー!」
思い切って叫ぶと、美和ちゃんがすかさず「やかましいわ!」と突っ込む。
その瞬間、部屋の空気が少しだけ明るくなった。
「よし、それだ」
隼人さんの目が光る。
「いいか。お前らの武器は“素の掛け合い”だ。台本に頼るな。むしろ不器用でもいい、照れてもいい。嘘っぽさが一番つまらない」
――嘘っぽさが、一番つまらない。
その言葉が胸に刺さった。
模擬配信は続いた。テーマは「野辺山の名所紹介」。
「今日は宇宙電波観測所に行ってきましたー!」
美和ちゃんが元気に言うと、私はつい真面目に「パラボラアンテナは直径45メートルで……」と説明してしまう。
「おい、堅い堅い!」
すかさず美和ちゃんが突っ込む。
「でも、ほんとにすごかったんだもん!」
「はい、ここ!」
隼人さんがまた止める。
「遥、今の“素直にすごい”って顔、最高だ。その表情に合う言葉をシンプルに言え。『でっかー! 宇宙に届きそう!』でいい。そうした方が、見てるやつは共感できる」
「……なるほど」
私の胸にストンと落ちた。勉強してきた“資料の正確さ”より、配信で大事なのは“心が動いた瞬間を伝えること”なんだ。
リハが終わると、隼人さんは少し間を置いてから、私たちを見据えた。
「いいか。ここまでやってきて、もう地方振興の余興じゃ済まされねえ。お前らには“トップV”に殴り込むインパクトがある」
「トップ……V?」
私と美和ちゃんは顔を見合わせる。
「今のトップV-Tuberは、Live2Dで顔を出さずに、台本通りの雑談や企業案件を回すのが主流だ。だが、お前らは違う。DIYを実際にやって、地域を歩いて、バイトもして、勉強もして、その“素”をさらけ出してる。そのうえで、3Dアバターで感情豊かに動く――これ、今の業界へのアンチテーゼそのものだ」
声に熱がこもっていた。
「いいか、俺はこのプロジェクトを“村おこし”なんて言葉で片付ける気はない。むしろ“世界に本物を見せつける”つもりで育てる。遥、美和――お前らはそのための核なんだ」
私は思わず息を呑んだ。
美和ちゃんも珍しく真剣な顔で頷いていた。
「……そんなにすごいこと、できるのかな」
私が小さくつぶやくと、隼人さんは即座に言い切った。
「できる。お前らはもう“映されるだけの存在”じゃない。編集を学んで、自分でどう見せたいか考えてる。勉強も再開して、言葉に厚みが出てきてる。その全部が武器になる」
胸の奥が熱くなった。
かつて学校にも行けず、布団の中で時間を潰していた私が――今、世界に挑む“武器”を一つずつ手に入れている。
「……私、やります。もっと練習したいです」
気づけば、そう口にしていた。
「よし、それでいい」隼人さんが笑みを浮かべる。
「その気持ちがある限り、俺はどこまでも付き合う」
夕暮れの光が障子越しに差し込み、部屋の空気を金色に染めていた。
――10月のデビュー。その言葉が、胸の奥で確かな灯になっていた。
その2日後の夜…。
直樹さんの母屋の座敷に並べられた座布団。
そこに、母と父、美和ちゃんのお父さんとお母さん、青年団の田島団長や数人の団員さんたち、バイト先のオーナーのオジサンやご家族など大勢の人が腰を下ろしていた。
こんなふうに大人たちを前にするのは、正直、胸が張り裂けそうなくらい緊張する。
「じゃあ……これから、テスト配信を始めます」
直樹さんが座敷の前に立ち、一礼する。
ノートPCと大きなモニターが座敷机に置かれ、ケーブルが床を這っている。織絵さんが横に座り、隼人さんがカメラや音声の調整をしていた。
私と美和ちゃんは、奥の部屋でキャプチャスーツとマイクを装着して待機していた。
手足にセンサーをつけられると、なんだか本当に“役者”になったみたいで、背筋が自然と伸びる。
「よし、準備はいいな?」
隼人さんの声に、「はい……!」と私と美和ちゃんは同時に返事をした。
――いよいよだ。
カウントダウンの合図があり、画面が切り替わった。
モニターの中に現れたのは、狐耳をぴんと立てた少女――ヤツミ。
そして、レタス色の髪を揺らす猫耳の少女――レタにゃん。
「こ、こんにちはっ! レタにゃんです!」
「どうもー! ヤツミです!」
マイクを通して声を合わせると、画面の中の二人がぴたりと動いた。
「……おおっ!」
座敷からどよめきが上がる。
母が驚いたように口元を押さえ、父が腕を組んで「ほう……」と唸った。
美和ちゃんのお父さんも「すげえ、本当に動いてるじゃないか」と目を丸くしていた。
「えーと、今日はテスト配信です!」
思わず早口になってしまったけれど、すぐに美和ちゃんがフォローを入れる。
「まだ新人AとBだからね。―温かい目で見てください!」
会場に笑いが起こり、少しだけ緊張が解けた。
コメント欄の代わりに、隼人さんが横からタイピングした仮想コメントが画面に流れる。
《声が可愛い!》《新人感あって好き》《もっと大きな声で!》
私は深呼吸して、マイクに顔を寄せた。
「よし! じゃあもっと大きな声で――いきます!」
画面の中のレタにゃんが元気よくポーズを取ると、座敷に拍手が広がった。
「いいぞ!」と団長さんが声を上げる。
母が少し涙ぐんでいるのが見えた。
短い掛け合いを繰り返し、最後にDIYチャンネルの映像を流す。
コンクリ打設の時のシーンに「新人A」「新人B」とテロップがかかる。
それを見て、父が初めて声を立てて笑った。
「なるほどな、これがあの時の……」
「――今日はここまでです」
直樹さんが合図を送り、配信は終了した。
会場はしんと静まり返った。
心臓が耳の奥でドクドク鳴る。
――ダメだった? うまくいかなかった?
その一瞬後。
「すごい……!」母の声が震えた。
「本当に動いて、喋って……遥なのに、遥じゃないみたい」
「これなら……胸を張って世間に出せる」
美和ちゃんのお父さんが、ゆっくりとうなずいた。
田島団長が立ち上がり、両手を打ち鳴らした。
「――立派だ! これからが本番だが、間違いなく野辺山の誇りになる!直樹!凄いよ、凄い!!コレは楽しみだ。宣伝しなくちゃ」
拍手が巻き起こった。
大人たちの手の音が重なって、座敷いっぱいに響いた。
私は美和ちゃんと顔を見合わせ、思わず笑ってしまった。
頬が熱い。胸がいっぱいで、言葉が出ない。
――私たち、本当に一歩を踏み出したんだ。




