第23話 田原 直樹
段ボールが三つ。
宅配業者の軽バンから降ろされたそれを、母屋の居間に並べた瞬間、胸の奥に熱いものがこみ上げた。
――ついに、来た。
織絵の立ち絵をベースに、東京の3Dスタジオに依頼していたアバターとモーションデータ。数か月前に依頼してから、ずっと待ち望んでいた成果物だ。
「じゃあ、開けるぞ」
慎重に封を切り、梱包材を取り除いていく。モニター、専用PC、モーキャプ用のセンサー一式。黒いスーツケースには、ハンドトラッキング用の機材が整然と収められていた。
「すっげー……本当にプロのやつじゃん」
美和が段ボールの中を覗き込み、思わず口をあける。
隣の遥も目を輝かせていた。
「これ、全部……私たちが使うんですか?」
「そうだ」
オレは笑って頷いた。
「織絵が描いたキャラクターが、これで立体的に“動く存在”になる。――八ヶ岳きつね・ヤツミと、レタにゃんが」
ちょうどそのとき、玄関から声がした。
「おーい、入るよ!」
織絵だった。大きなリュックを背負い、肩からタブレットケースを下げている。
「ちょうど開けたところだ」
オレが声をかけると、織絵はにやりと笑い、すぐに居間に入ってきた。
「ふふん、どう? 最高の仕上がりだから」
機材をセットし、専用PCを起動。高性能GPUのファン音が静かに回り始める。
織絵は慣れた手つきでソフトを立ち上げ、完成した3Dモデルのファイルを呼び出した。
モニターに現れたのは、狐耳に凛とした目を持つ少女――ヤツミ。
レタス色の髪をふわりと揺らす、猫耳の少女――レタにゃん。
「わあああ……!」
遥が思わず両手を合わせる。
美和も「やっべ、これ……本当にアニメの中から飛び出してきたみたいじゃん」と素直に声を漏らした。
確かに、今まで見慣れてきたLive2DベースのV-Tuberとはまるで別物だった。
皮膚の質感、瞳の光、髪の揺れ。ほんの少しの仕草に感情が宿り、まるで生きているように画面の中で呼吸をしている。
「大手はコストパフォーマンスを重視するから、どうしてもLive2Dに寄せる。でも私が今回進めたのは全然違う。今回は徹底的に“表情の深み”を出すために、私の描いた立ち絵をベースとしてフル3Dで作り込んでもらったの」
織絵は胸を張った。
「目のハイライトも、瞬きの速度も、全部“人間らしく”調整してある。見ている人が“あ、今笑ったな”って感じられるように」
「……すごい。本当にすごいです」
オレは言葉を失いながら、ただ画面を見つめた。
東京で事業をやっていた頃、多くのアバターを見てきた。だが、この完成度はそのどれとも違う。“記号”ではなく、“人格”を背負う存在として立ち上がっている。
「ヤツミ……かっこいい……!」
遥が呟き、頬を紅潮させる。
「レタにゃん……私、これやれるの? 本当に?」
美和の声には興奮と少しの照れが混ざっていた。
織絵は二人の様子を見て、ふっと微笑んだ。
「やれるよ。だって、これを動かすのは“機械”じゃない。あなたたち自身なんだから」
その言葉に、二人は顔を見合わせ、笑った。
オレは深く息を吸い込み、静かに頷いた。
――ここからだ。
これまで準備してきたものが、形を持って目の前に現れた。
このキャラクターたちを通して、二人の声と想いが、野辺山から世界へ届いていく。
胸の奥に熱いものが広がるのを、止められなかった。
その夜、母屋の座敷には再び人が集まっていた。
遥の両親、美和の両親、青年団の団長・田島と数人のメンバー。座敷机の上にはノートPCとモニターが置かれ、隣には織絵が座っている。
「では――お待たせしました」
オレは一礼し、ノートPCを操作した。
モニターに現れたのは、狐耳の少女・ヤツミ。続いて、緑の髪と猫耳を揺らすレタにゃん。
最新の3Dモデルは、ただ立っているだけで存在感があった。目の奥の光や、髪の揺れが、そこに“生きている”としか思えない雰囲気を生み出している。
「おおお……!」
田島団長が思わず声を上げた。
「すごいな……人形じゃない、まるで人間そのものだ」
「これが……遥?」
母が信じられないといった顔でモニターを見つめる。
美和の父も腕を組み、「こりゃあ本当に世間に出せるレベルだな」と低く唸った。
織絵が得意げに胸を張る。
「細部まで徹底的に作り込みました。瞬きや口の動きも自然で、喜怒哀楽をリアルに表現できます」
オレは操作を続け、キャプチャスーツを着た美和に立ってもらった。
「では、ちょっと試してみようか」
彼女が腕を上げると、画面の中でレタにゃんが同じように腕を振る。
「お、おおっ!? 動いた!」
美和自身が驚き、照れ笑いを浮かべる。
次に、遥にもマイクを渡した。
「じゃあ、一言だけ」
緊張した様子で深呼吸し、
「……はじめまして。レタにゃんです」
その声に合わせて、画面の中の猫耳少女が口を動かす。
母が思わず両手を合わせた。
「……かわいい……!」
父はむっつりと腕を組んでいたが、口元は少し緩んでいる。
田島団長が身を乗り出した。
「これは……地域の誇りになるぞ」
オレは皆を見回し、静かに口を開いた。
「この子たちが、これから“野辺山の顔”になります。地域紹介もDIYも、そして遊びも。すべて彼女たち自身の声と姿で届けていく」
視線の先で、遥も美和も頬を赤らめていた。
それでも――嬉しさを隠しきれない笑顔が浮かんでいた。
「大手とは違う、ここだけの“野辺山らしさ”を必ず形にしてみせます」
オレは深く頭を下げた。
次の瞬間、座敷いっぱいに拍手が広がった。
拍手が落ち着いたあと、オレは改めて座敷の真ん中に正座し、モニターの電源を落とした。
ざわついていた空気が静まる。皆の視線が、オレ一人に注がれているのを肌で感じた。
「……今日はアバターを見ていただきましたが、ここからが本番です」
低い声で切り出すと、父母や青年団の面々が姿勢を正す。
オレは資料の束を広げ、スケジュールの流れを示した。
「まずは――YouTubeチャンネルを正式に開設します。名前は“野辺山V-Tuberチャンネル”。八ヶ岳きつね・ヤツミ、そして高原レタにゃん。この二人のデビューを見据えての拠点になります」
机の上に置いた紙には、日程が大きく書かれていた。
「第一段階は慣らし配信です。すでに“新人A”“新人B”として、DIYチャンネルに登場してきました。顔はマスキングしていましたが、二人は映される経験を重ね、配信現場の空気に慣れてきている。さらに編集作業にも一緒に関わり始めました」
モニターを再び点け、先日公開したDIYチャンネルの切り抜きを流す。
ホースを支えて四苦八苦する二人の映像、そこに「新人A・B」とテロップが走る。
笑いが起き、母たちの表情も少し柔らぐ。
その後で、この編集を遥と美和が四苦八苦している様を隠し撮りした映像。2人が頑張って、どうすれば効果的に編集できるのか、一生懸命考えている様を見せた。遥と美和は少し驚いているが、自分達の様子を見てやがて笑い出した。
「この経験が非常に大きいんです。単に“映される側”ではなく、“映す・編集する側”の感覚を持ち始めている。だから自分でどう動けば面白くなるか、どうすれば見ている人に伝わるか――それを考えながら動けるようになっている」
オレは声を強める。
「これは、大手のタレント型V-Tuberにはない強みです。配信を“自分の手でつくる”感覚を、二人はすでに掴み始めている」
田島団長が「なるほど……」と深くうなずいた。
数人の青年団メンバーも顔を見合わせて、「すごいな」と小声でつぶやく。
オレは資料をめくり、次のページを示した。
「第二段階――本格デビューは再来月を予定しています。3Dアバターを用いて、“ヤツミ”と“レタにゃん”としてお披露目します。その前に数回、DIYチャンネルや地域紹介の動画でプレデビュー的な出演を挟みます」
青年団の一人がそっと口を開いた。
「……でも、二人ともまだ子供です。学校は……」
その言葉を待っていた。オレははっきりと答える。
「はい。遥さんと美和さんは、すでに通信制高校に籍を移しました。勉強にも真剣に向き合い始めています。勉強する意味を“未来のため”ではなく、“自分の表現を豊かにするための武器”と捉えられるようになった。だから学びをやめることはありません」
美和の父母が頷き、遥の母も娘を温かい目で見ている。遥は赤い頬でうつむいたが、その姿はどこか誇らしげだった。
「どうか皆さん、彼女たちを“ただ若い子が遊んでいる”と見ないでください。彼女たちは努力しています。学校を続けながら、配信のトレーニングを受け、編集も覚え、地域のために汗を流している。今日だって、バイトをさせて頂いているスーパーの店先でレタスを並べていました。これは間違いなく“野辺山の顔”になれる存在です」
オレは深く一礼し、声を絞り出すように続けた。
「だからこそ――皆さんにお願いしたい。これから彼女たちを応援してください。叱咤もしてください。村の子として、地域全体で育ててほしい。オレ一人の力では足りません。ここにいる全員で、彼女たちの未来を一緒に作っていきたいんです」
息を止めるような沈黙が広がった。
やがて――田島団長が立ち上がった。
「田原さん。……いや、直樹」
真っすぐにこちらを見据え、声を張った。
「お前の覚悟は分かった。オレたち青年団も全力で応援する。だから――みんなでやろう!」
力強いその声に続いて、手拍子が起こった。
ぱちぱちと響く拍手がやがて渦を巻き、座敷全体に広がっていく。
母が涙を拭いながら拍手し、父も重々しくうなずきながら手を打っていた。
美和の両親も最初は戸惑い気味だったが、やがて笑顔で二人に向かって拍手を送った。
オレは胸の奥が熱くなるのを感じた。
――これが欲しかった。地域全体の“後押し”。
視線を横に向けると、遥と美和が目を丸くして、次の瞬間、顔を見合わせて笑っていた。
その笑顔は不安よりも希望に満ちていた。
「ありがとう……」
オレは声を絞り出し、深く頭を下げた。
座敷にこだまする拍手は、夜が更けてもなかなか止むことはなかった。




