第22話 水野 遥
八月の終わり、朝の空気は少しひんやりしていて、もう夏が過ぎていくんだと分かる。
でも作業服に袖を通すと、胸の奥が熱くなる。
今日は――離れの床下にコンクリートを打つための準備をする日だ。
直樹さんは、もともと離れは、この冬を越せれば良いという感じの簡単な修繕の予定だった。でも、この離れを野辺山V-Tuber企画の収録拠点として、今後も継続的に使う構想に変わった事で、離れの修繕にも力を入れる事になった。床下もコンクリ打設をするし、屋根も張替える事になっている。
「よし、まずは砕石を運ぶぞ」
直樹さんが軽トラの荷台から袋を降ろす。
思わず手を添えてみたけど――。
「うっ……重っ!」
思わず声が漏れてしまった。
「持ち上げなくていい、引きずってくればいい」
直樹さんが笑うと、美和ちゃんと顔を見合わせて「なるほど」と声をそろえてしまう。なんだか、それだけで楽しい。
袋を開けて、砕石を床下に広げていく。
シャベルを差し込むたびにガリガリと音がして、土の上に小石がじゃらじゃらと転がる。
腰に力を入れてスコップを押し込むと、手のひらが熱を持って汗ばんでいった。
「ある程度敷いたら、これで締め固めるぞ」
直樹さんが出してきたのは大きな機械。エンジンをかけると、地面が震えるような音と振動が広がった。
「わ、すごい……!」
足元の土がみるみる固まっていくのが分かる。
「遥もやってみるか?」
ハンドルを渡されて、恐る恐る押してみる。
ドドドッと伝わる振動に腕が痺れて、「う、うわぁ……」と声が出てしまった。
でも、不思議と嫌じゃない。
「ほら、交代交代!」と美和ちゃんが取り上げて、「おー、腕にくるね!」と笑っていた。
その姿を見ていると、なんだか私も笑えてきた。
砕石をしっかり固め終えたら、次は銀色の格子――ワイヤーメッシュを運び込む。
「これ全部敷くの?」とつい言ってしまった。
「そう。これがあるとコンクリが割れにくくなるんだ」
直樹さんの説明に、美和ちゃんが「じゃあ大事なんだね」と真剣な顔になって、膝をつきながら並べ始めた。
私も針金を渡されて、メッシュとメッシュを結んでいく。
指先に金属の感触が食い込んで少し痛いけど、うまく結べると「よし!」と心の中でガッツポーズをした。
床下一面に格子が広がり、夕方の光を受けて赤くきらめく。
「よし、今日はここまでだ。あとはコンクリを流すだけ」
直樹さんがそう言うと、美和ちゃんが「おーっ!」と両手を挙げる。つられて私も同じように両手を挙げていた。
手のひらは汗と土でざらざらしている。腕ももうパンパンだ。
でも――胸の中は、不思議と軽い。
「いよいよだね」
小さくつぶやいた声は、自分でも驚くほど前向きだった。
午前十時。遠くからゴロゴロと重たいエンジン音が近づいてきた。
「来たな」
直樹さんの声に、私と美和ちゃんは思わず顔を見合わせた。
道の向こうから現れたのは、大きなドラムがぐるぐる回っている生コン車。
初めて見る光景に胸が高鳴る。――本当に、私たちが離れにコンクリを流すんだ。
玄関前に停まった生コン車から、太いホースがずるずると伸びていく。
「じゃあ、こっちの窓からも入れるぞ」
直樹さんが一番大きな窓を開け、そこからもホースを中へ通した。
狭い床下に黒いホースがのびると、工事現場そのものの雰囲気に変わった。
「じゃあ、いくぞ――!」
直樹さんが合図すると、ホースの先から灰色のどろりとしたコンクリートが押し出されてきた。
ドシュッ、ドシュッと音を立てて、床下に溜まっていく。
「わ、ほんとに出てきた!」
思わず声を上げると、美和ちゃんが「当たり前だろ!」と笑った。
でも私の心臓はドキドキしていた。今までスコップや釘を打つくらいしかやってこなかったのに、いきなり“本格工事”に踏み込んでしまったみたいで。
「よし、遥。こっち持ってみろ」
直樹さんがホースを少し押さえながら、私にハンドルを渡してきた。
「えっ、私!?」
「大丈夫だ、両手で支えればいける」
言われるままに握った瞬間、ずしりと腕に重みがのしかかる。
「う、重……!」
「ははっ、顔真っ赤」美和ちゃんが隣で笑う。
でも、灰色の液体が床一面に広がっていくのを見ると、なんだか嬉しくなってきた。自分の力で“家の床”をつくっているのだ。
「空気が残ると割れやすくなるからな」
直樹さんがバイブレーターを取り出して、ブーンと床下に差し込む。
コンクリの表面がぷくぷく泡を吐き、すっと沈んでいく。
「うわ、なんか生き物みたい……!」
思わず言うと、美和ちゃんが「なにそれ、気持ち悪っ」と笑って突っ込む。
少しずつ床全体にコンクリを行き渡らせ、直樹さんがコテで表面を均していく。
「このくらいでいいか。――ほら、美和もやってみろ」
渡された美和ちゃんが、慣れない手つきで表面を撫でる。
「お、ちょっと職人ぽくない?」
「全然。むしろケーキのクリームみたい」
「うるさいな!」
笑い声が離れに響いて、土とコンクリの匂いに混じった。
私もコテを受け取り、恐る恐る撫でてみる。
ザラザラしていた表面が少しずつ滑らかになり、夕陽を反射する水面みたいにきらりと光った。
「……きれいになってきた」
「だろ。こうやって整えると仕上がりが全然違うんだ」
直樹さんが横でうなずく。
流し込み、空気を抜き、表面をならす。
単純な作業の繰り返しなのに、気づけば時間を忘れて夢中になっていた。
最後の一区画にコンクリが流れ込むと、直樹さんが「よし」と息をついた。
「これで床下は完成だ。冬になっても、これなら冷気に負けない」
ホースが片付けられていくのを見ながら、私は全身の汗を感じた。
重い作業で腕も腰も痛いのに、心の中は不思議と軽い。
「ふぅ……なんか、やったなーって感じ」
思わずそう言うと、美和ちゃんが「おう、ワタシら立派な左官女子だな」と胸を張る。
「やめてよ、恥ずかしい……」
頬を赤らめると、直樹さんが「いや、ほんとに助かったよ」と笑った。
――この床の上で、これから私たちの“活動”が始まる。
そう思うと、胸がじんわり熱くなった。
夕方。離れのコンクリ打設が終わったあとの疲れがまだ残っていたけれど、直樹さんはもう次の作業に取りかかっていた。
母屋の居間にパソコンを広げ、撮影していた映像データを取り込んでいる。
「今日はここまでで一本、試しにまとめてみようか」
低い声でそう言うと、タイムラインに映像の断片がずらりと並び始めた。
私は美和ちゃんと並んで、パソコンの画面を覗き込む。
画面の中では、灰色のコンクリートがホースから流れ込み、私たちが必死に均している姿が映っていた。
「うわ……顔、マスクかけてあるのに、私だってすぐ分かる」
思わず呟くと、美和ちゃんが横で吹き出した。
「そりゃそうだろ。あの慌ててる動き、遥にしか見えないって」
「やめてよ……」
直樹さんは笑わずに、真剣な表情でマウスを走らせていた。
「こうやって、必要なシーンだけを切り出して並べる。不要な間や無駄な動きはカットするんだ」
説明しながら、チョキンと映像を切り取っていく。余計な間が消えるだけで、作業のテンポが全然違って見えた。
「で、ここでテロップを入れる。例えば……“重い!”って」
直樹さんが打ち込むと、画面の下に白い文字が躍った。
次の瞬間、美和ちゃんがホースを押さえて「うおっ、腰にくる!」と叫ぶシーンにぴたりと重なり、部屋に笑いが起きた。
「……すごい。なんかテレビみたい」
呟いた私に、直樹さんは小さく頷いた。
「そう。見ている人に“伝わる”ように整えるのが編集。映すだけじゃなくて、どう見せたいかを考えるんだ」
画面の中で、私がコテをぎこちなく動かすシーンが流れた。
「この辺も残す?」と直樹さんが尋ねる。
「うーん……下手だから恥ずかしいけど……逆に残した方がリアルでいいのかも」
そう答えると、美和ちゃんが「だよな。むしろ“新人感”出したほうが面白い」と笑った。
直樹さんは「その感覚、大事だ」と真顔で返した。
「V-Tuberでも同じ。全部カッコよく見せようとすると嘘くさくなる。自然な失敗とか照れとかが、見ている人には一番刺さるんだ」
私はじっと画面を見つめながら、自分の胸が少し高鳴るのを感じていた。
――映されるだけじゃなくて、自分でもこうやって“つくる側”になれたら。
隣で美和ちゃんも同じことを思ったらしく、ぽつりと呟いた。
「……直樹さん。私たちも、編集って覚えられる?」
直樹さんは少し驚いた顔をして、それから穏やかに笑った。
「もちろん。覚える気があるなら、いくらでも教えるよ」
胸がじんわり熱くなった。
美和ちゃんと顔を見合わせる。
「……やってみようか」
「おう、どうせならトップVの連中に負けないやつ作ろうぜ」
最近は二人で有名V-Tuberの動画を見て研究していた。雑談配信の切り抜きの面白さ、ゲーム実況の盛り上げ方、ASMRの繊細な編集。
「どの場面が“刺さる”のか」「どうすればテンポが良くなるのか」――少しずつ、自分の中で答えを探すようになっていた。
画面の中で、三人が笑いながらコンクリを均しているシーンが流れる。
そこに「新人A」「新人B」とマスクをかけた文字が乗ると、なんだか照れくさくて、でも不思議と誇らしかった。
――私たちの手で、つくっていけるんだ。
ただ“出るだけ”じゃなくて、“つくる側”にもなれる。
そう思った瞬間、胸の奥に小さな灯がともった気がした。
その夜。
母屋の居間に置いたノートPCの前で、私と美和ちゃんと直樹さんの三人は、まるで打ち上げ前のロケットを囲むみたいに息を潜めていた。
動画のタイトルは、直樹さんが淡々と決めた。
《【野辺山DIYチェンネル】離れの床下に生コン打設!新人A&B遂に登場!はじめての左官(仮)》。
サムネイルには、コンクリのホースを押さえる私たち二人の後ろ姿。顔にはもちろん、例のアバターマスクと「新人A/新人B」の白文字。なんかショッカーみたいで笑える。
「公開——」
直樹さんがクリックする。
カチッという小さな音が、やけに大きく聞こえた。
数十秒。何も起こらない画面の中で、私は自分の心臓の音だけを聞いていた。
やがて、右上のベルのアイコンに小さな赤い丸が灯る。
「……コメント、来た」
美和ちゃんが囁いた。
《コンクリ打設、ガチじゃん》《新人Aの動きかわいい》《新人Bのツッコミ助かる》
短い言葉がひとつ、またひとつと増えていく。
「“助かる”って何それ」
照れ笑いすると、美和ちゃんが肘でつついてきた。
「ネットの“褒め言葉”だよ、遥」
再生数は、もちろん爆発なんてしない。
でも、ゼロでもない。
一本の線が、ゆっくりと、確かに動き始めた。
「ほら、ここ」
直樹さんがアナリティクスの画面を開く。
視聴者維持率のカーブが、コンクリを流し始めるところでぐっと上がって、表面を均すところでもう一段、引きつけている。
「“変化点”に合わせて構成したのが効いてる。次は導入の尺をもっと詰めよう」
淡々とした声。けれど、その横顔にはうっすらと満足の色があった。
スマホが震える。
団長の田島さんからLINE。
《観た!面白い。青年団のSNSで共有していい?》
《お願いします》と直樹さんが即返信する。
数分もせず、地元のママさんアカウントから《若い子がんばってるね》、農家さんから《この手順、分かりやすい》、スキー場のスタッフさんから《冬の備えは大事!》とスタンプが飛び交いはじめた。
私は、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。
見知らぬ誰かの「いいね」よりも、今は、この場所の空気に混ざる小さな声が何より嬉しい。
動画が中盤に差しかかる。
コンクリの表面がぷくぷく泡を吐くシーンに、テロップが重なる。
《空気抜き(バイブレーター)※残すと割れやすくなります》
コメント欄がまた動く。
《解説ありがたい》《DIYガチ勢にも刺さるやつキタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!》《新人Aの“生き物みたい”は分かるw》
「……すごい、本当に“伝わってる”」
思わず漏らすと、直樹さんが頷いた。
「映像は“体験の翻訳”。現場で感じた手触りや匂いを、画面の向こうに持っていく作業だよ」
その言葉が、まっすぐ胸に刺さる。
やがて、動画の終盤。
鏡みたいに光るコンクリの面を三人で見つめながら笑うショット。
テロップ《次回:養生→屋根をどうするのか!?へ》
エンディングの短いBGM。
——そして、フェードアウト。
再生が終わると、部屋に静けさが戻った。
外はもう高原の夜の匂い。窓の向こうで虫の声が重なり合っている。
「……出しちゃった、ね」
私が言うと、美和ちゃんがニッと笑った。
「出したね。で、次はもっと面白くする」
「うん。私、編集も覚えたい。さっきの“変化点”ってやつ、もっと分かるようになりたい」
気づけば、口が勝手に前向きな言葉を並べていた。
直樹さんは私たちを見て、柔らかく目を細めた。
「じゃあ、明日から“編集当番”をローテーションしよう。最初は切り抜きとテロップから。BGMの選び方もやる。——“映される側”から“つくる側”へ。一歩ずつでいい」
その時、コメント欄に新しい書き込み。
《地元の者です。新人AとBさん、無理せず続けてね。冬の寒さが来る前にコンクリ打設が終わってよかった!》
文末に、小さな雪だるまの絵文字。
私は画面を見つめながら、ゆっくりと息を吸った。
冷たくなり始めた空気が、肺の奥に澄んで落ちる。
——この床の上で、私たちは何度も立ち上がって、何度も撮って、何度も失敗して、少しずつ進んでいく。
そんな未来の景色が、はっきりと目の前に浮かんだ。
「次の撮影、養生の手順と、コテの“ビフォーアフター”を見せる構成でどう?」
思い切って提案すると、直樹さんが即座に返す。
「いいね。じゃあ“見るポイント”を最初に宣言しよう。『今日は二つ、“角が出る瞬間”と“光りが変わる瞬間”です』って」
美和ちゃんが手を叩いた。
「それ、サムネにも入れよう。“角が出る瞬間”は強い」
私たちは顔を見合わせて笑った。
外の闇は深いのに、居間の灯りはやけに明るい。
新しい毎日が、静かに動き始めている。




