灰色の覚醒
深い闇の中をどこまでも沈んでいく。
痛みはない。恐怖もない。ただ静かに、そして無限に、意識が溶けていくような感覚だった。
どれほどの時間が経ったのだろう。
ふと、意識が浮上する。微かな光が差し込み、感覚が戻ってくる。まず感じたのは、ひんやりとした土の感触。そして、草木の匂い。目を開けると、そこは森の中だった。高く伸びた木々が陽光を遮り、木漏れ日が地面にまだら模様を描いている。
「……ここは、どこだ?」
掠れた声が喉から漏れる。体には痛みがない。だが、何かがおかしい。視界の端に映った自分の腕を見て、俺は息を呑んだ。
そこにあったのは、見慣れた皮膚の色ではなかった。まるで灰色の石膏で覆われたかのような、無機質な灰色。触れてみると、ザラザラとした感触が指に伝わる。
「な、なんだこれ……!?」
慌てて上半身を起こし、両腕をまじまじと見つめる。灰色の皮膚。指先まで、全身が同じ色に染まっている。まさか、火事で焼け焦げたのか? いや、それにしては痛みがない。それに、焼ける前の体の形を保っている。まるで、全身が灰色の粉でできた像のようだ。
恐怖と混乱が俺を襲う。前世で「ガイジン」と蔑まれた記憶が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。まただ。また、異質な存在として生まれ変わってしまったのか?
その時、頭の中に、直接語りかけてくるような声が響いた。
「貴方は、望んだでしょう? 何者にも差別されない、力強い存在に、と……」
声はどこからともなく、しかし確かに俺の脳髄に響き渡る。誰だ? なんの冗談だ?
俺は慌てて周りを見渡したが、誰もいない。だが、その声が聞こえた瞬間、俺の掌に異変が起こった。掌から、微細な灰色の粒子がフワリと立ち上り、宙を舞う。そして、近くにあった枯れ葉に触れると、その枯れ葉が瞬く間に灰色の粒子に分解されていく。粒子は空中で形を変え、次に小さな石へと変化した。
「え……?」
呆然とそれを見つめる。まるで、魔法のようだった。粒子は再び形を変え、今度は小さな水の塊へと変化した。
「それは、貴方が望み、そして与えられた力――灰燼創造。あらゆる物質を分解し、そして再構築する力です」
再び声が響く。灰燼創造……? そんな力、聞いたこともない。だが、目の前で起こっている現象は、まさにその言葉を体現していた。
「この力で……俺は、何者にも差別されない存在になれるってのか?」
そう呟くと、再び声が響いた。
「その力は、使い方次第で、貴方を望む姿へと変えるでしょう」
望む姿……。
俺は、かつて自分がブ男で、金髪のせいでいじめられたことを思い出した。この力で、俺は変われるのか?
俺は震える手で、自分の顔に触れた。この灰色の皮膚。鏡がないのでどんな顔になっているのかはわからないが、おそらく醜いのだろう。
「……俺は、人間になりたい」
そう願うと、掌から立ち上る灰色の粒子が、俺の顔を包み込むように広がり始めた。ひんやりとした感触。粒子が皮膚に吸い込まれていくような感覚に、思わず目を閉じる。
どれくらいそうしていただろう。ゆっくりと目を開けると、視界の端に映る肌の色が、さっきとは違っていた。
「……え?」
近くにあった水たまりに顔を映してみる。そこに映っていたのは、灰色の顔ではなかった。人種は分からないが、異世界の人間らしい、均整の取れた顔立ち。前世の面影は微塵もない。そして、髪の色は――鮮やかな金色だった。
「この髪……」
思わず髪に触れる。前世で嫌っていた金髪。だが、それは母の髪色そのものだった。なぜか、憎む気持ちは湧いてこなかった。むしろ、懐かしさすら感じる。これが、俺の新たな始まりの色。
「貴方は今、この世界の理に貴方の存在を刻み込みました。これは、貴方の望んだ世界への、最初の第一歩です」
声は、そう告げると静かに消えていった。
俺は改めて、自分の手のひらを見た。そこからはもう、灰色の粒子は立ち上っていなかった。だが、確かに俺の中にはその力が宿っている。
俺は、前世の記憶を反芻する。
差別を受け、引きこもり、誰にも必要とされない人生。そんな俺が、生まれ変わって新たな力を手に入れた。
「何者にも差別されない、力強い存在に。そして、誰かを救えるような人間になりたい」
あの時、心から願った言葉が、現実になった。俺は立ち上がり、森の奥へと歩き出した。この世界がどんな場所なのか、まだ何も知らない。だが、この力があれば、きっと何かできるはずだ。
これは、俺の人生の再スタートだ。