グッバイ
グッバイ
「『革命のエチュード』を、弾いてよ。」
幼い男の子の声が、頭の中に響く。
無理だよ。
だって、すごく難しいんだよ。
そう返すのに、しばらく経ってから、また声は同じ言葉を繰り返す。
「『革命のエチュード』、弾いてよ。ねえ、弾いてってば。弾いて。」
「なんで?」と尋ねると、
「だって、聞きたいんだよ。君のピアノ。」
と声は言う。
「他の曲でもいいでしょう。」と答えると、
「ダメだよ。『革命のエチュード』じゃないと、意味がないんだ。」
と声は言う。
仕方ないので、練習することにした。
練習は、とてもつらかった。
楽しく弾くなんて瞬間は、一時もなかった。
僕は、原曲を何度もレコードで聴いて、頭に叩き込んだ。
でも、越えられない何かがあって、毎日それにぶつかった。
僕は、学校に行っていない。
僕は、毎日ピアノを弾いている。
なのに、時間が足りない。
時間が、足りない。
僕は一日中、練習をした。
『革命のエチュード』を練習した。
なのに、なかなか進まない。
出来たと思ったら、次の瞬間には弾けなくなる。
間違える。
僕は、何度も諦めたくなった。
泣いた。
わめいた。
うなった。
床を叩いた。
だって、僕の手は小さいんだよ。
僕は子どもなんだ。
それでも、声は言った。
「君の『革命のエチュード』、楽しみだよ。」
僕は、練習を続けた。
突然、『革命のエチュード』が弾けるようになった。
朝起きたら、何かが違った。
それは、劇的な変化だった。
暗い道を進み続けた僕に、突如として出口の光が見え始めたのだ。
指が、思い通りに動く。
願わなくても叶う、そんな動きで、僕はびっくりした。
僕にできる最上の技術で弾いた。
弾いた。
弾いた。
弾いた。
「どうだった?」
僕は勇気を振り絞って、声に尋ねてみた。
夕暮れが闇を刺して、オレンジと黒の雲が交差し合っていた。
「すごく、綺麗。」
声は、そう返事してくれた。
それきり、声は聞こえなくなった。
寂しかった。
僕は寂しくて、何度も『革命のエチュード』を弾いた。
でも、ダメだった。
声は、もう聞こえなかった。
そうして僕は大人になり、もっと色々な曲を弾くようになった。
人前でも弾くようになり、コンクールでもたくさん賞をとった。
でも、ダメだった。
声は聞こえないままだった。
僕は、大人になったのだ。
グッバイ。
子どもの時の『ぼく』。




