9▷ 山田太郎の結婚〜太郎は生涯添い遂げたい〜 (3512文字)[社会人×プロポーズ×ハッピーエンド]
山田太郎は困っていた。
給料三ヶ月分の指輪を携え、いざゆかんとなったところで職場で残業が発生し、花乃に連絡を入れようとスマホを鳴らしたところワンコールで電源が切れた。
太郎は青ざめた。
しかし太郎は諦めなかった。
必ずや彼女と連絡を取ろうと番号を思い出し、こっそりと職場の電話を借用してかけた。
しかし。
運悪く花乃のスマホからは「現在電波の届かない場所にいるか……」という音声が、太郎の耳に虚しく響く。
とりあえずの留守番電話に事情を吹き込むと、受話器を下ろした。
なんとしてでも、三十分で終わらせる。
太郎は奮起した。
※※※
レストラン。
一つ一つのテーブルの間が余裕をもって設定されており、テーブルにはクロスと花。
内装は華美ではなく、しかし品の良い調度品で整えられている。
その、窓際の席に一人、花乃が所在なさげに座っていた。
「太郎くん、どうしたのかしら……」
花乃のスマホの脇、消音モードのボタンは音をオフにする方になっている。
なんともやるせないすれ違いは続く。
「事故にでもあってないと良いのだけど」
※※※
太郎は馬車馬のように動いた。
二倍速のブルーレイディスクのように働いた。
そのおかげで残業開始から四十五分経って退社することができ、ホッとしたのも束の間。
職場でにやけて見ていた指輪と、その箱があるかが気になってコートのポケットを探った。
手に箱を持ち、パカりと中を開けてみれば眩いばかりのダイヤの指輪。
土台部分はプラチナである。
太郎はその輝きに、思わず手に取ってしげしげと眺めてしまった。
と、そこに。
向こうから歩いてきた人の肩が、太郎の肩とぶつかった。
「あ、すみません!」
そう言いながらも過ぎ去っていく人影。
手に持っていた指輪は、まるでスローモーションのように宙を舞い、やがて金網のはまった側溝の中へと吸い込まれていった。
「……あ、あ、あ、……あーーーーー!!!!」
※※※
「太郎くん、ほんと、どうしたのかしら」
花乃はずっと待っていた。
待ち合わせの時間から四十五分が過ぎていた。
流石におかしいと思い、レストランの席に座ったまま、自身の鞄からスマホを取り出すと太郎の連絡先へアクセス……しようとしてこちらも電源が切れた。
「あ……」
昔は店にて電話の取次なども、してもらえる等あったらしいが、今は令和である。
店までの道すがらに、公衆電話もなかった。
花乃は途方に暮れながら、仕方なくそのまま待つことにした。
太郎はくる、どんなことがあっても。
華やいだ会話を続ける他の客を横目に、ついでもらったミネラルウォーターをちびちび飲み、花乃は閉店まで待つ覚悟を決めた。
客の会話で消えている店内の壁にかかった時計の針の音は、コチコチと鳴りながら規則正しく進んでいく。
どれほど経っただろう。
一人、また二人と。
レストランの客がシェフに声をかけながら退店していく。
閉店まで、三十分と迫っていた。
「花乃、ごめん!!」
そこへ、バタバタという足音。
バタンという音と共に太郎の声。
「お客様……」
と窘めるウェイターの声。
しかし太郎をひと目見ると慌てて、
「今タオルを持って参りますのでお待ちください」
と、奥へと引っ込んでいった。
太郎は自分の姿を下から見て悟り、大人しく待つことにした。
花乃は思わず席を立ち、太郎の元へと向かっていく。
「太郎くん、その格好どうしたの?!」
「いや、その……」
太郎は逡巡したのち、腹を括って片膝をついた。
無論まだタオルは到着していないので、入口付近の絨毯には太郎のスラックスについた泥がベチャッとつく。
けれど太郎は心臓がバクバクしているものだから、そのことに気がつかない。
いつもならきちんと慮って突っ立っているのだがどうしても、今もう言うしかなかった。
コートのポケットから、拭きはしたがほのかに泥の筋がついてしまったダイヤモンドの指輪を、むき身のまま両の手の人差し指と親指で恭しく花乃の方へと掲げると、
「どうか、僕と、結婚してください!!」
と叫んだ。
店内にはまだ二組ほど客がいたので、びっくりして太郎の方を振り向いたり視線を投げたりした。
そのまま、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
花乃は思わずびっくりして、自分の口元へと片手をやった。
その目は僅かに潤んでいる。
すわ、傷つけたか?! と、太郎の額に冷や汗が伝う。
その瞬間。
花乃は自分の下ろし立てのワンピースが汚れるのも構わず、太郎へと抱きついた。
「心配してたのよ、事故に遭って救急車で運ばれて、とか、何かあったんじゃないかって。私、まだ太郎くんの家族じゃないし、スマホも電池が切れてしまうし……私、私、」
ほっと安心したのだろう。
花乃の瞳から大粒の涙がコロコロと転がり落ちた。
「私も、私を太郎くんのお嫁さんにしてください。あなたの、連絡先になりたいの」
その言葉に、太郎は花乃をかき抱いた。
「心配させて、ごめん」
「ううん、私こそ、うっかりしててごめんね」
「それを言うなら、俺の方こそうっかり電池無くなっちゃってごめん」
「ふふふ、お揃いね」
「うん、お揃い」
どこからともなく、ぱちぱちと、拍手が聞こえてきた。
どうやら、残っていた客が祝福しているらしい。
もう一組からも、ピュィッという、指笛が聞こえてきた。
やがてウェイターがタオルを持ってきて、二人は泥で汚れた服をありがたく拭った。
食事はできなかったが、温かい気持ちはお腹をゆるく満たしている。
太郎達は、遠慮するウェイターを説得してその日予約を入れていたコース料理分の料金を支払うと、店を後にした。
※※※
プロポーズから半年後に、結婚。
その一年後には子宝に恵まれる。
「おめでとうございます、女の子ですよ」
そう言って助産師から手渡された我が子は、まるで羽のように軽い、と太郎には感じられた。
けれど。
何という重さ、何という声。
あぎゃぁほぎゃぁという鳴き声は、存在の証。
太郎は、必ず守る、と心に決めた。
名前は二人でつけた。
羽があるように自分のやりたいことに飛び立っていけるように、瑠璃のように天空の如き広い心と視野で生きていけるように―― 羽瑠、と。
二人目はその二年後に。
羽瑠は二歳になっていて、
「とーしゃ、こち」
と、可愛く命令してきては、どーじょどーじょとおままごとの食事をすすめるようになっていた。
体重も、生まれてからすくすくと順調に増え、今では羽のようだったのがまるで夢のようだった。
出産。
入園式。
注文で建てたマイホーム。
時間は目まぐるしく過ぎる。
※※※
「ここが、おかあさんのおはなしの、おみせ?」
羽瑠が花乃の方を振り向きながら尋ねる。
「そうよ」
今日は家族揃って外食の日。
付き合い始めて十年目のお祝いをするつもりで、レストランで丁度やっていた一日貸切プランを清水の舞台から飛び降りる心持ちで、太郎がお店に直接行って予約したのだ。
あれからなんだか気恥ずかしくて、一度も訪れたことはなく。
太郎も花乃も、少しソワソワしていたが、目の前でチュールのあしらわれたワンピースを着た姉妹が、くるくると「お姫様見たいね」「たいねー」と言い合っているのを見つつ心を落ち着かせた。
二人はくすくす笑いながら、扉に手をかけ開けようとし、重くて苦戦する。
そこへそっと太郎が手を添えてやり、家族は扉の中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
ウェイターが声をかけた。
少し奥の方から顔を出した支配人が、
「いらっしゃいませ、お久しぶりでございます」
と、お辞儀をした。
太郎達はお辞儀をし、両親の真似をして姉妹もがばりとお辞儀をし、案内された席へと着く。
今日は貸切で、他の客はいない。
姉妹はルンルンと足を交互に前後させながら、フォークを手に取ってみたり、ナイフを戦わせようとして花乃に軽く叱られたりしていた。
そこへ運ばれてきたのは前菜。
「あ……」
花乃が思わずびっくりして声を上げた。
そう。
それはあの日に食べそびれた、当時一ヶ月も前に悩みに悩んで太郎が決めたお店の、イチ押しのコース料理そのままだった。
思わずウェイターの方を見ると、それはウェイターではなく支配人その人であった。
「当店の、本日限りのサービスでございます」
茶目っ気たっぷりに片目をつぶってみせた支配人に、あのタオルを持ってきてくれたウェイターの顔が重なる。
花乃が太郎の方を見やると、
「いや、あの時の料理を食べてみたくって。あ、勿論なまものが今ダメだとかカフェインは御法度とかは、伝えてあるよ」
と微笑みながら言われ。
花乃は思わず、自分のふっくらしたお腹に手を当てた。
「おとうさん、はる、もうたべたーい」
「たべたーい」
姉妹はもう、自分の腹ペコを我慢ができないらしかった。
「じゃあ、いただこうか」
「うん」
「わーい」
「せーの」
「「「「いただきます」」」」
カクヨムで、お題を元に書いた作品でした。
第一話? のショートショートを皮切りに、あれよあれよとエピソードが浮かび、楽しく、時にお題のハマり具合に苦戦しながらも書き上げた作品でもあります。
ちょっとおっとり? 良いとこのお嬢さんげな花乃と、間抜けというかうっかりというかな、ぽっちゃり高身長太郎。
結構お気に入りの二人になったので、何か思いつけばまた、書いてみたいなぁと思ったり。
お楽しみいただけたでしょうか。
そうだといいな、と思いつつ。
また、次のお話でお会いできたら幸いです。