10▷ ことのは野原の二人の子 (3819文字)[言葉×ボーイミーツガール×守り人]第42回アンデルセンのメルヘン大賞応募作品
言葉は死にます。
主には、胸の近くで、いちばん。
たくさんの言葉は、血管を通って頭へいったり、口にのぼったりします。
つま先にたどり着くこともあります。
そうすると、なんだかむずむずして、踵が浮きます。
ついで、タップ。
生まれるのは音楽です。地面へと伝わったら、命が跳ね返ってきます。
大地からの返事です。
それがまた、言葉へと生まれ変わります。
それは喉を通って口からほころびます。
歌が、風になります。
空気を伝い耳へと入った言葉は、気持ちになります。
それは鼓膜を突き抜けて、心臓へと向かいます。
大事に大事に育てられた言葉たちは、やがて心臓から駆け上がり、頭へとやってくると色々なことを始めます。
指先を使ってみたり、背筋を伸ばしてみたり、お腹を出っぱらせてみたり。
そのうちに忘れます。
段々と言葉が欠けていって、尖ります。
ついで、ボロボロ。
元はなんだったのか……もう誰にも、自身にだってわかるかどうか怪しい状態です。
たくさんの仲間たちがいました。
生まれてくる子も。
けれど毎年ひっそりと、一人、二人、消えていきます。
どこへともなく。
いなくなってしまうのを誰も気にしません。
彼もそうでした。
一生懸命たたかって。
戦って戦って、戦い抜いて。
けれどあえなく力尽き、今にも砕けて無くなっていきそうでした。
「どうしたの」
一人の少女が、通りかかってききました。
彼は、答えません。
答えられるだけの命の灯火は、もう残っていないようでした。
少女はその様子を見てとると、彼を抱えて家へと戻りました。
彼はもう、息も絶え絶えでした。
その少女は、一生懸命、それはもう一生懸命お世話をしました。
ある時は、大きな庭の野原へとおぶっていって、草花の名前を告げました。
スミレ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、シロツメクサ。
今はもう消えてしまったレンゲソウ。
調べたこともありったけ。
たくさんたくさんお話ししました。
ある時は、大きな庭に流れる小川へと、彼を乗せた荷車を押していき、川のせせらぎを聞かせました。
音にくわえて川魚の、種類をたくさん、たくさん、教えました。
キンブナ、アユ、カワムツ、ヌマエビ、ザリガニ。
失われしオオサンショウウオ。
知ってることをありったけ。
たくさん、たくさん唇にのせました。
彼はポツリとひとつだけ、自分の知識にある川の様子を、まるでお礼のように知らせました。
またある時は、大きな庭に広がった、深い森の中へ。
体を支えながら一緒にゆっくりと歩き、踏み鳴らした葉っぱのカサカサする空気や、頬を撫ぜる風。
きのこが色とりどりである理由を話して聞かせました。
彼は知る限りの全てのように、森の中で役に立つ木々のことを話しました。
そうしていつの間にか、みるみるうちに、彼の体は驚くくらい回復していたのでした。
けれど。
「……なぜ、助けた」
「え?」
「僕は助かりたくなどなかったのに……余計なことなどするな!」
癇癪を起こしてしまった彼は、少女の住まう家から出て、遠ざかってしまったのでした。
彼女は何も言いませんでした。
決して、余計なことなど、決して。
ずんずんと彼は歩いていきます。
少女が一生懸命回復させた足を使って。
ずんずん、ずんずんと進んでいきます。
もう死んでしまいたかったのに。
こんなに辛いのならばもう。
死んで無くなってしまっても良いと思っていたのに。
どれほど歩いたでしょうか。
ふと、なんだか心もとなくなって、彼は振り返りました。
そこには、広大な土地と、ぽつんと中心に建った少女の住む小屋のような家。
そして、その周りには暗闇がひそんでいました。
彼は足元を見ました。
うっすらと光り輝く道が、足裏で踏んだ土の上にできていました。
「……あっ」
もう一度、少女の家を見ます。
庭の端っこの方で、蠢く暗闇が、ひっきりなしに野原を燃やし、森を薙ぎ倒し、川へと薄暗い泥水を垂らしています。
そうして段々と真っ暗闇に染まる大地を、ちょこちょこと歩いてやってきては、彼女が花の種を蒔き、苗木を植え、泥水をバケツを使って掻き出したり堰を作って止めながら、大地に水を撒いているのが小さく、とても小さく見えました。
あの家は、一生懸命に、自分の家を、庭を、たたかい守り続けている――その結果だったのです。
少女はなおも、種を蒔き、水を汲んでは撒いています。
そこへ、大きな庭にある雪山からひゅぅ、と、黒い雪まじりの薄暗い強風がやってきました。
空気を黒く染めるその風は、どうやら山頂から吹いているようです。
少女はそちらに目をやると、立ち向かうように、一歩ずつ彼から遠ざかっていきました。
思わずといったように少しずつ、彼も庭へと戻っていき、やがて走って彼女の後を追いかけます。
山はひどく冷たく、氷のように凍てついていました。
黒い吹雪が視界を遮ります。
見失わぬよう、彼は両手で眼前を覆いながら進みました。
すると不意に、強い風が体を持ち上げようとし、
「きゃっ」
少女のか細い悲鳴がこだましました。
見ると真っ暗く、吹き荒ぶ吹雪の中心にあるクレバスへと、少女が吸い込まれていくところでした。
会 え な く な っ て し ま う 、 も う 、 二 度 と ……
い や だ
彼の脳裏に、言葉が浮かびました。
胸の辺りが熱く熱く燃えたぎり、それは足元へと突き抜けます。
鮮やかな光。
その光を足にまとい、
彼は何よりも速く駆けました。
残像しか見えないほどに、速く、速く。
少女が真っ暗闇へと消えるその間際、手を掴みその体をひっぱり抱きしめ、眩いばかりの光が闇をひるませます。
そうして腕の中にしっかりと少女を抱えると、彼はまた、光の速さでクレバスから脱出しました。
闇はもう追ってきませんでした。
照らされたためか、黒い吹雪もやんでいました。
それから二人は、山の上の雪の降る中をどちらともなく手を繋ぎ。
歩き、飛んでいったモコモコの毛糸の帽子をとりに戻りながら、いっぽいっぽ出来ていく自分達の足跡を数えてみたり。
雪を舌の上にのせるゲームをしたり。雪の結晶を観察したりして、家路につきました。
もう、言葉は必要ありませんでした。
彼はまた、自分の足と心でそこに立っていたからです。
それでも。
伝えるには、自分のことを伝えるには言葉が、必要でした。
耳から伝わり、足の裏へと抜けていき、また自身の芯、その中心にやってきた音に、名前をつけねばなりませんでした。
いいえ、つけたくなったのです。
「僕の話を、どうか聞いてはもらえませんか」
少女の家の、暖炉の前。
ほかほかのホットミルクをコップへと注いでいる彼女に、彼が声をかけました。
「どうしたの」
花びらにのる朝露のようなたおやかな声。
守ろうと必死だった少女の手は傷もぐれで、彼はその手の甲を見るとなぜか泣きそうになります。
冷たかった目の奥が、ゆっくりと雪解けていくのを感じました。
「僕はずっとずうっと、悪意……その言葉と戦っていて。鋭い棘を背中に受け、それでも立っていようと……いるんだと、昔、決めていた」
「そうだったの」
コップを彼に手渡し、椅子に座りながら少女が緩く微笑みます。
「けれど限界が来たんだ――僕には無理だと、もう背中に空いた場所はなかった。そうして折れてしまった瞬間に、その暗黒は僕の心を飲み込んできて……倒れた後は、君の知るところなんだけど」
言い切ると、彼――少年は手渡されたホットミルクを一口飲みました。
ほっと息を吐くと「あったかい」とひとりごちます。
その様子を見つめながら、少女もまた、コップへと口をつけ、それから話しはじめました。
「……もう、どれくらいかしら。ここであの暗黒と暮らしているの。あなたを見つけた時は、まさかと思ったわ。もう、誰もいないんじゃないかって、考えていたところだったから」
少女がポツリポツリと告げる言葉は、とても重いものでした。
彼はじっくりと、忘れまいというかのように、耳へと入れてしまい込みます。
「一人だけって思うのは、とてもしんどかった、辛かった、悲し、かった」
少女の瞳がかげります。
「ずっと、ずうっと」下へとさがる視線は、どこか迷子のようです。
「私もうずっと、自らを守るだけで精一杯だったの。だけれど。あなたを見た時からどうしても、どうしたって守りたくって」
俯いたまつ毛が瞬いた拍子に、雫がひとつ、落ちました。
頬を伝うそのたまを、少年がそっと指で拭い去ります。
「不思議なの、ここがふんわりと、ホットミルクを飲んだ後みたいで。だから勝手に助けたんだわ」
彼女は自分の胸に手を当てると、真っ直ぐと少年を見ました。
「酷いこと言ってごめん。君が勝手にしたのじゃなくて、きっと僕もどこかで、求めてたんだ。もう一度、もう一度だけって」
「……それなら、よかった」
「君と一緒にいて、僕もここが段々と、元あった鼓動を取り戻したよ。ううん、以前よりもっと、しっかりと」
少年も彼女の瞳を見つめながら、自分の胸に手を当てました。
「ほんとうに? それなら、よかった」
「もう自分を無くしたりしない。君を……愛してる」
微笑みながら、どこか照れくさそうでもありながら、少年が少女へと告げます。
「うれしい、私もよ」
彼女が、花開くように応えます。
二人はぽかぽかする胸が合わさるほど、きつくきつく抱き合いました。
もう、挫けても迷っても大丈夫。
二人の足元にはほら、これまでのたくさんの頑張りが、星の草原のように。
それぞれの足跡の形になって輝いています。
そばには、花咲く季節の訪れを告げる小さな小さな双葉の芽。
開けた窓から入る暖かな風が、頬をそっと、撫でていきました。