調査
家路について加賀は考えた。浜辺で見せられた光景、あれが藍の暴走状態なのだろう。大学での事も合わせると、トメノウを襲うことが暴走の内容と思われる。自分では制御できないからこそ、倒されたがっていた。
「よりによって、俺に」
倒す力を持っているからなのか、自分だからなのか、序列は分からない。だが、藍は決着をつける相手を加賀と決めてしまっている。藍の別れ際の言葉が浮かんだ。
「明日の夜、いつもの場所で待ってる。気は進まないだろうけど、来てくれると信じてる。僕のためにね」
戦いが起こると、加賀は確信していた。行かなかったらどうなるのだろう。きっと、どうにもならない。藍はトメノウを襲い続けるだけだ。
加賀は行くと決めた。その先の決着はうまく思い描けなかったが、ひとまず銃を取りに狭山の廃病院へ向かった。
薄暗い部屋にパソコンの光、狭山が叩くキーボードの音がする。加賀が開けられていた扉をノックすると、狭山が顔をあげた。「照明をつけてくれ」と言うのでスイッチを入れて中に入った。
「銃、使えそうですか」
「あのままでは厳しくてね、分解してパーツを差し替えて作り直した。ほら」
狭山が銃を見せた。加賀の目には違いが無いように映った。
「貰っても?」
「構わない」
加賀が右手を差し出すと、狭山はその手に銃を乗せた。
ガシャン!
「あッ、すいません」
ぽろっと零れ落ち、銃が床に落ちた。自分の手に力が入っていないことを自覚しながら、加賀は銃を拾った。
「なにか、あったのか?」
かすかに震え、ためらいを感じる声色だった。狭山は揺れる瞳でこちらを見つめている。
「これから」
加賀はそう答えて一度言葉を切った。これからを思って、先を続ける。
「本当に無いんですよね。トメノウを助ける方法ってやつは」
「すまない」
「もしかしたら、明日から戦えなくなるかもしれない。けど、そしたらコレ返しに来るんで、他を当たってくれますか?」
銃を見せて尋ねてみる。明日を考えると声が震えて、口角をあげないと話続けられなかった。
「貴方が無理をする必要はない」
狭山はそう言った。了承か、制止か。判断は加賀に預けられた。
夜遅く街は暗い。橋の下は特に暗がりだ。迫田藍は草の中に寝転がっていた。待ち人の気配がするまで、と彼は目を閉じる。走馬灯のようでは速すぎるから、順番に思っていくことにしていた。
両親との記憶が始まるのは、藍が小学校に入ってからだ。祖父母の家から移り住んだマンション、そこにいた。
慣れない場所、人、習慣。そんな生活が始まってから初めて引っ越しをしたのは、わずか三か月後のことだった。両親の顔を徐々に見慣れてきたころだったが、父親は一日に一度顔をみるのが関の山になっていった。「いってきます」と「ただいま」は母親に言うものだった。
次の引っ越しをすると、母親も家を空けがちになった。父親は顔を見られれば良いほうで、数日家を空けるのは珍しくなくなった。久しぶりに帰ってくるとふたりともニコニコと土産話を始め、藍は笑い返すほかなかった。
三度目の引っ越し。いよいよ、家で人を見なくなった。時折、夜中にふたりの話し声が聞こえてくるぐらいで、両親の存在は補充される食べ物や日用品で感じていた。
四度目。母親の荷物が消えていた。代わりに父親がマメに顔を出すようになった。学校のこと生活のこと困っていることが無いか尋ね、最後にお金を置いて去っていく。それも徐々に郵便へ変わっていった。
「俺も、座っていい?」
加賀和那と出会ったのは、この頃だった。たまたま偶然、泣いているところを見られただけ。だが、藍が最初で最後、マイナスな感情をさらした相手になった。
そこから約一年、この場所で話したり、時に和那の家族と出かけたり、彼との思い出が詰まっている。時間は短くとも、藍の心にはその思い出でしか満たされていない部分がある。濃く、その部分だけは塗り替えられない。
この体になってから、人生の最後を考えるようになった。得体の知れない衝動に振り回されて、それを自然に感じ始めて、生き方が形を変えていった。自分が自分でなくなる恐怖を覚えた時、思い浮かんだ顔があった。
「俺は、座らない方が良いか」
目を開ける。和那が藍を見下ろしていた。目元をぬぐってから起き上がった。
「そうだね、戦わなくちゃ。やるつもりで来てくれたよね」
加賀は腰に銃をぶら下げていた。黙ってうつむいている。
「僕は和那に負けて終わりたい。けど、そんな一方的なこと君は認めないだろう? だからね」
藍は自分の胸をゴンッと叩いた。
「僕が勝ったら、生きるよ。この先もこの体で生きていく。君は僕の願いの為に、僕は自分の未来の為に。戦うってのはどうかな」
自分で言って笑えるほど無茶で自分本位な頼みだと思った。
「分かった」加賀は頷いた。
自分の本心から出た頼みだからこそ引き受けてくれると思っていた。和那と戦って出た結果なら、どちらでも受け入れられる。幼いころの悲しみと同じように。
藍はトメノウの姿で剣をとった。
「認証」
スイッチを押して装甲を身にまとう。暗がりの中、装備の明かりが周りをぼんやりと照らした。目の前には羽のトメノウがいた。
照準を合わせる手が重い。だが、気を抜けば一瞬でやられてしまうため、残った左手で銃身を支えた。
バシュッ! 先手必勝。加賀は剣めがけて撃った。藍は素早く剣を翻してエネルギー弾を切り裂き、背中の羽を広げて飛び掛かる。
一気に距離を詰められ、とっさに銃で振り下ろされた剣をガードした。前の戦いが蘇った。同じことが起きている。このままではまた転がされてしまうだろう。
暴走していた時と同じくらい本気で戦いに来ている。身の危険と共にそう感じると、加賀はグッと腰を落とした。藍がさらに剣を押し込もうと力を込めてきたタイミングで、銃を手放した。
「ッらあ!」
「ウッ!」
剣が加賀の左肩に、加賀の拳が藍の腹部へ同時に突き刺さった。剣の石化で左腕が上がらない。加賀は落とした銃をそのままに、拳と同じ場所へ頭突きを叩きこんだ。
藍の体を後ろへ吹っ飛び、手から欠けた剣が離れる。すぐさまそれを蹴り飛ばして、加賀は藍の元へ走った。左半身がだんだんと重さを増してくる。
立ち上がりかけている藍に加賀は再び拳をふるった。しかし、羽で飛び上がった高さに手は届かない。藍の視線は加賀の頭上を越えて剣に向いていた。
加速のため一瞬、藍が体を後ろに引いた。加賀は地面を蹴り上げる。装甲のパワーが加賀の体を本来の跳躍力以上に跳ね上げた。
バチン! 藍が飛び出すと同時に、加賀の左足がオーバーヘッド。ぶつかり合って二人とも墜落した。
ボトボトと体を起き上がらせて藍と加賀は向かい合う。ゆっくりと歩み寄り、お互いに構えた。
藍の蹴りを受け、拳を返す。鈍い音が鳴り続き、だんだんと膝が笑ってきた。それを地面に足を食い込ませて立ち続ける。お互い振りかぶって、一撃。
ダンッ! 左肩にビリリと衝撃が走った。同時に藍の胸に当たった自分の拳もしびれている。
するりと拳の先から藍の体が崩れ落ちていった。思わず手をほどき、膝をついて支えた。
「藍!」
羽が消えて人の姿へ変わっていく。藍の表情は明るかった。
「負けたね。そうだと思ってたけど、悔しいかも」
藍はけらけらと笑いながら、胸元を押さえている。息も荒く、体重を加賀に任せていた。
「俺は、どうしたら」
「大丈夫大丈夫」
だらりと力の抜けた藍の肩をぎゅっと掴んだ。藍は軽く加賀の胸を叩いて答えた。
「あっ」
藍が目を見開いた。視線の先、足が欠けてきている。端から粒子になってどんどん空中に消えていった。
「結構きれいだ、僕。きっと倒してくれた相手の気持ちによるものかな。僕が倒した相手は、こうじゃなかったから」
もう下半身は消えている。加賀は腕に重さがかからなくなるのを感じて鼓動が早くなった。
「なにか、どうにか」加賀が呟く。
「大丈夫。もう何もしなくていいよ」
藍が優しい声で言った。手が体の上からずり落ちて消えていく。
「ありがとう、和那。出会ってからこれまでの全てに感謝してる」
藍は目を閉じた。時間で言えば一年と数日、それだけの全てだがじっくりと思い返すには十分だった。
目が消える。加賀の腕が支える者は無くなった。息と瞬きを止めて、零れ落ちそうな涙
をこらえた。
「もしもし。狭山おじさんですか?」
大樹が携帯電話に向かって問いかけた。
「はい。そちらは黒木くんだな」
スピーカーから狭山の声がする。一緒にカチャカチャと物音がした。
「作業中でね。雑音が入るが気にしないで欲しい」
「うん」返事をして本題に入る。「実は、加賀くんが電話に出てくれなくて。どうしてるか知ってますか?」
話があるのに平日休日昼夜問わず電話に出ない。大樹はその確認のため、狭山に電話をかけたのだった。
「彼は実家に帰省した」
「え!」
「数日で街には戻ってくるそうだから心配しなくてもいい」
狭山の付け足しにホッと胸を撫でおろした。
「じゃあ何日かだけいないんだね。なら先におじさんだけでも話聞いてくれる?」
「なんだろうか」
「この間写真見せたでしょ、リサイクルショップで。あの人のことお父さんに聞いてみた」
「あぁ、あの」
狭山の声が低くなった。だが、大樹は話を続ける。
「いくつか起きてる化物関連の事件で『怪しい!』って人が何人かいて、その人たち全員と会ってたんだって」
「そうか」狭山は乾いた返事の後、少し間が空いて尋ねた。「全員と会っていたというが、あのレベルの画質で同一人物だと?」
「服装とか体格を見て、お父さんがそうじゃないかって」
「警察にしては、なんというか」
「ね、詰めが甘いよね」
言葉が詰まった狭山に大樹は先回りして答えた。
「でも、しょうがないところもあるんだ。お父さん、別にこの事件の担当じゃないから」
「そうなのか」声に驚きが混ざっている。
「前のとこでも勝手にやって飛ばされたってのに、懲りないんだよ。すごく危ないことが起きてるから調べるんだ、って」
大樹は携帯で撮った写真を眺めた。父が一人で集めてきた防犯カメラの映像だ。一人の男が映っている。
「そうだ! 服見たらわかりやすいかも。顔だけより印象つかみやすいし。写真見せに行くよ」
「黒木くん。その写真で出来るのはあくまで推定までで、確定は出来ないんだったね」
「うん、そうなんだけど。少しでも早く解決出来るかなって。お父さんや加賀くんの手助けになるかもしれないから」
狭山は少しの間黙ったままだった。物音もやんで静かだ。
「お父さんに今から言う場所を調べてもらうよう、頼んでもらえるかい。そうすれば少なくともこの間の写真の男、瓜巣かどうか。私は断言できると思う」
狭山は三か所の住所を伝えた。大樹はそれをメモに取る。
「確認するね。瓜巣さんの別荘と研究室、それに水晶洞窟。一個だけ変なとこだけど合ってる?」
「ああ。その三か所に出入りする人間を調べてほしい。顔の分かる写真があれば十分だ」
「任せて!」
電話を切り、大樹は棚に何枚か置かれていた地図をテーブルに広げた。携帯のマップと見比べながら、右端の山へ丸印。市内の隣接する地域二か所にも印をつけた。
ピンポーン。住宅街の一軒家、加賀はインターホンを鳴らした。中からパタパタと足音が近づいてきて、ガチャンと玄関ドアが開かれた。
「どうぞ~」
顔を出したのは高校生の妹、巴だ。ドアを開けるとサンダルを脱ぎ、サッと中へ戻っていく。
「メッセージで送ったけど、ほんとに今どっちも旅行でいないよ? 私も午後から部活だし。もっと皆がそろう時に帰ってきたらいいのに!」
巴は「冷蔵庫の物食べていいよ。私はお昼終わった! 出かけるとき声かけるね~」と言い残して二階へ上って行った。
足音が上に消えていくと、一階は家電の稼働音がするだけになった。父と母は泊まりで出かけたらしく、がらんと静かだ。
時間は十一時。勧められた通りに冷蔵庫を覗いてみる。梅干し、納豆、昆布のつくだ煮、ご飯のお供たちが並ぶ中、ぽつんと二百ミリリットルの牛乳パックが置かれていた。
牛乳をストローですすりながら、加賀はリビングに移った。買ってきた弁当を広げて椅子に座る。ふたを開けると艶々したタレが光るうなぎのかば焼きが見えた。
箸で持ち上げた米が重く感じる。だが、匂いにつられて口に運ぶとゆっくりと飲み込めた。あれから三日、久しぶりの米は少し胃に負担がかかった。
のんびりと食事を続けて十二時。空になった容器に手を合わせてからゴミ箱へ捨てた。手を洗って口をゆすぎ、二階に向かう。中から物音が聞こえる部屋を通り過ぎて、ドアが開きっぱなしになっている部屋に入った。
勉強机、本棚、ベッドなど大きめの家具が置いたままになっている。中身もおおよそ空だ。机の上を見ると鉛筆の落書きが残っていて、それを避ける様に小さなカゴが乗せられていた。
カゴの中は封筒類で、実家の住所に加賀和那の名前が書かれた郵便たちだ。サクサクと目を通していくと一枚のはがきを見つけた。今回の帰省の目的は藍からのはがきだ。
手書きでインクの濃さがまちまちだ。万年筆でも使っていたのだろうか。最後の文で「僕に覚えがなければ、忘れて気になさらないででください」とある。
忘れていなくて良かったと思う。最後の日の心残りが無力感として残っていたこと、今としては良かった。だが、今だから忘れたほうが楽になれるのは確かだ。フックになっていた無力感が今回のことで膨らんでいるのが分かる。
どうにかできなかったか。もっと早く再会していたら、自分が銃を持っていなかったら? いくつ手を考えても上手くいった想像が出来ない。これから先も同じことを繰り返していくことになるのかと考えが巡って、加賀は銃を再び狭山に預けてきていた。あの時出来たのは戦うこと、しかし結果はこれだ。なのに、銃を手放したら手放したで大樹のことが頭をよぎる。またトメノウが暴れたら誰が守るのだろう、大樹の不安はいつまで続くのだろう。
自分の揺らぎもいつ収まるのか。戦うともやめるとも決めきれずにいた。何もできていない事実に、加賀は胸を叩いた。ダンという鈍い音と共に体が震え、ポトリとはがきに水が零れ落ちた。
「あー……お兄ちゃん。今いい?」
「えっ! あぁうん」
後ろから巴の声が聞こえて咄嗟に返事をする。適当に目元を押さえてから振り向くと、巴はこちらに背を向けて立っていた。ドアを開け放したままだったので、気を使ってくれたようだ。
「別にいいよ、中見ても」
「うん」巴が振り向いた。「私、部活。行ってくるね。玄関に鍵一個あるから出かけるなら使って」
「分かった。行ってらっしゃい」
大きな鞄を肩から下げて、巴は階段を下りていった。加賀は踵を返してベッド横に置かれた枕やシーツを広げた。
ブーンと風をかき回す音が鳴っている。ドローンがジッと上空に居座って、ある一点を捉え続けていた。山の中、木が失われて巨大な石が無秩序に絡み合った場所。そこにわずかに出来た隙間をカメラは狙っていた。
一瞬、風が吹いた。ドローンは体勢を崩してカメラの画角がずれる。操縦者が元の位置へ戻そうとコントローラーを動かした。
バチュンッ! 映像が消えた。ドローンを目視すると、まさに墜落の真っ最中だった。
操縦者の男、黒木は地図を広げて右端の丸にバツ印を書き足した。合計で三つの印にバツがつけられている。
黒木はノートパソコンを開いて画像に目を通していった。同じ画角で捉えたものを連続で見ていくと、ほんの少しずつだが石に動きがみられた。
「故障では無さそうか」
ここには何かがいて、ドローンも落とされた。黒木はそう考えた。大樹の「狭山おじさんは良い人だよ。加賀くんと一緒に助けてくれたんだ」という言葉を思い出す。良い人かはともかく、協力する価値がありそうだ。
黒木はスマホでメッセージを送った。
「頼まれていた三か所を調べ終わりました。直接お会いしましょう」
すぐに返事が来た。
「分かりました。場所はどこに?」
黒木は住所を送ると、ノートパソコンを鞄にしまった。コントローラーもケースに入れて、先ほど目視で確認した落下地点めがけて歩き始めた。