第8話「理由」
武内の事もあり、家に帰るとすぐに寝てしまった。どんな夢を見ていたのかも覚えていない。ただ真っ暗だったような気がする。もうこのまま朝でいいや。
静かな世界からゆっくりと電信音が迫ってくる。携帯から着信音で僕は目を覚ました。半分寝ぼけながら携帯の画面を見て分かったのは、午前三時頃ということと、見知らぬ番号からの電話だった。普段なら無視してしまいそうだが、寝ぼけたせいもあり電話にでる。すると聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おっ、広野か? オレ、門脇」
電話の相手は武内を犯そうとした三人組の一人の門脇健児だった。わずかに電話の向こう側から数人の笑い声が聞こえる。僕は武内のことを思い出し、嫌な気分になった。
「眠いから切るぞ」
「まっ、待てよ! ……で? どうなんだ? どこまでやった?」
「はぁ?」
「とぼけるなよ。武内とだよ」
どうやらこれはイタ電らしい。僕は昨日のこともあってか声を荒げてしまった。
「お前等には関係ないだろ!」
「まぁ怒るなよ。実はお前にある事を忠告しようと思って電話したんだぞ」
門脇の声はこの状況を楽しんでいるかのように弾んでいて、明らかに僕と武内への好奇心で一杯に違いなかった。
「聞きたくない」
「その忠告ってのがさ――」
僕の言葉を無視して門脇は喋り続ける。通話を切れば済む話なのだが、武内の事ということもあり、そのタイミングを失っていた。
「武内は別名なんて呼ばれているか知ってるか?」
「知らねえよ」
「なんと『リスカの女』って呼ばれてるんだ」
「はぁ?」
『リスカ』は『リストカット』の事だよな、とか考えていると門脇がいちいち解説をつけてくれた。
「ようするに手首を切って安心するような女」
軽々しく手首を切るなんて言葉にするコイツの挑発には載るつもりはなかった。
「……で? それだけか?」
「あれ? 驚かねえのか? 自傷行為を繰り返すような女なんだぞ」
別に驚かないわけじゃなかったが、飛び降り自殺をしようとしていたぐらいだ、武内がリストカットしていても不思議じゃない。
「オレはお前の無神経さに驚いてるよ」
「そうか? 俺は忠告してやってるだけだぜ。じゃあ、あいつがリスカを始めたわけも知ってるか?」
正直そんな理由も知らない。武内と仲良くなったようでなにも知らない。
「聞きたくもない」
「あ~あ、ノリが悪いなぁ」
電話の向こう側で門脇のため息が聞こえる。時間の無駄だとわかった。
「じゃあ、切るからな」
「待て待て、あわてるなよ。武内がああなったのは全部、土屋祐介が原因らしいぜ」
「――は?」
僕は土屋の名前に思わず反応してしまった。すると門脇達の笑い声が聞こえてくる。
「おっ、くいついてきたねぇ。まぁ簡単に言えば土屋をめぐって女子のグループ内で揉めたらしい。で、結局、武内は土屋付き合った。友情より愛情を取ったってヤツだな。それで土屋と上手くいけば、めでたし、めでたし、だったんだけどな。その後土屋は武内をあっさりふって、違うヤツと付き合った」
僕の聞いた話では仲良かった女子のグループから離れ、一人になってから土屋と付き合ったはずだった。
武内の『すべての始まりの人』の意味がなんとなく分かった気がした。悔しいが、今は門脇の話を聞くことにする。真偽は別として。
「おい聞いてるのか? それで土屋を引き止めようとしてリスカしたらしいぜ」
「リスカの話はさっき聞いた。だからどうした」
「ここからが問題でな。それ以来、男と別れそうになったら、武内はその男の前でリスカするらしいんだよ。まぁ、前も気を付けろよってことだ」
電話の向こうで笑い声が聞こえた後、一方的に電話は切れた。
くだらない電話の後、屋上での出来事を思い出した。あれは僕に対するパフォーマンスだったのか? 結局、僕は武内の思いどうりに動いてただけなのか?
「……いや」
思わず口に出してしまうほど、否定的な気分だった。そんなはずない。
第一に僕と武内は(今もだが)付き合ってない。その日に初めて(すでに二月だったというのに)言葉を交わしたんだ。
第二に僕が飛び降りそうになってる武内を見かけたとき、彼女は驚いた顔をしていた。
最後に自殺の方法。リストカットじゃなくて、確実に死んでしまう飛び降り自殺だった。僕が魔法を使わなければどうなっていたのだろう。
『復讐がしたいの』
『だって、まだ好きだから……』
『もういいよ。やっぱり人殺しは良くないね。じゃあ、土屋君で最後だし、今までどうもありがとう』
『武内は別名なんて呼ばれているか知ってるか?』
『なんと『リスカの女』って呼ばれてるんだ』
『ようするに手首を切って安心するような女』
やっぱり、屋上で武内は自殺しようとしたんだ。真似なんかじゃなくて本気だったんだ! と同時に嫌な予感が頭を駆け巡る。『今までどうもありがとう』なんて絶対変だ。
――まさか。
「そうだ、電話」
僕は慌てて携帯電話を取る……あっ、携帯の番号知らない。なんで電話番号ぐらい聞かなかったんだ! 自分に何度も舌打ちをした。しかたなく、クラス名簿を探し出し、自宅へ電話をかける。こうなったら家族の迷惑になってもいいや! 慌てて何度も電話をかけ間違えた後、やっと正しい番号が押せた。しかし、何回コールしても電話は繋がらない。
「くそっ……」
気が付けば家を飛び出し、僕は武内の家を目指して走っていた。あまり考えたくない結論だったが、アイツはおそらく……手遅れだけにはならないでくれ。