第7話「全ての始まり」
「あいつを殺して」
その声のトーンは冗談で言っているのではないことを意識させるのに十分な低さだった。
僕は息を呑んだ。
武内亜也の表情は厳しかった。いつもと違う雰囲気に僕は今日のターゲットを見る。なぜだろうと自分なりに考えてみると思い当たる節があった。
「あいつは土屋だよな」
「うん……」
ターゲットの名は土屋祐介。武内が女子の輪からはみ出した後、初めて彼女と親しくなったヤツ。成績優秀、顔だって客観的に言って整っているし、おまけに誰にでも優しく、おそらく女子の間で人気があると思う(確かめたわけじゃないから分からないが)。
だから武内が最初に付き合い始めたのが土屋だったのは納得だった。ただ、僕は誰にでも優しいというところがいつも気になり、あまり親しくはない。
「『殺して』なんて本気なのか? そりゃあ、初めて付き合った相手かもしれないけどさ」
「うん、そうだよね。でもそれだけじゃなくて……全ての始まりが彼だったから」
『全ての始まり』? よく意味が分からない。
「それってどういうこと?」
「えっ!? そ、それは……」
僕は言葉の意味を聞いただけなのだが、なぜだか急に武内は黙り込んで自分の指を絡ませたり、口を尖らせたりとモジモジし始めた。
「なんで急に口ごもるんだよ」
「だって……私の初めて付き合った人だったから」
「あっ……あぁ……」
『初めて』ってあの『初めて』だよな。そう考えると僕も胸の鼓動が自分でも分かるぐらいに早くなり緊張した。今まで考えもしなかったが、このとき初めて武内のことを女性だと認識した。
「だったらなおさら殺しちゃだめだろ」
「うん。でも……」
僕はどうにか冷静になろうと努めたが全然上手くいかない。『初めての人』という言葉が頭から離れなかった。
一方の武内は黙っている。僕もかける言葉が見つからない。というか分からないし。こうしてしばらく沈黙が続いた。僕は自分なりの答えを出そうと必死に考える。どうしたら、武内を止められるのか。
そんな時、偶然に武内の持っているカバンの中が見えてしまった。なに気なく目に入ったもの――それはナイフだった。コイツは本気だ。
「お前、本気なんだな」
「え?」
「カバンの中のナイフ」
「あっ、えっと……これは護身用で……」
「嘘つくな」
また武内の沈黙が続いた。僕もやっぱり声がかけられない。どれぐらいたったのか、武内が僕へと顔を向けた。その表情は笑顔だった。でもそれは以前のような嘘っぽい表情だ。
「もういいよ。やっぱり人殺しは良くないね。じゃあ、土屋君で最後だし、今までどうもありがとう」
武内の肩は震えてた。うつむいた顔からは涙がこぼれ、地面に落ちる。武内は本屋から出て行った。これでいいんだ。
武内の復習劇はあっけなく終わりを迎えた。これでまた元通りの生活が戻ってくるんだ。嬉しいじゃないか……ははは。って、笑えるかよ。
……このままアイツを放っておいていいのか? 直感が僕を突き動かす。止せばいいのに武内を呼び止めた。
「ちょっと待てよ。お前それでもいいのかよ!!」
すると武内は立ち止まった。でもこっちを振り返らない。微かに肩が震えているように思えた。そして武内から声が漏れた。
「だって、まだ好きだから……」
それ以上なにも言えなかった。再び武内は僕から離れ、歩き始めた。僕はただ、武内を見送るしかない。
結局、この日は意味もなく疲れて家に帰るなり寝てしまった。