08
ところで、『みゆき』というのがわたしの名前だ。東京銀座にみゆき通りという通りがあって、そこにお店があるからみゆきなのだが、今になって考えてみるとなんだか名前に縛られるように結局ここへ戻ってきてしまったなぁとちょっと悔しいような気もする。
小さい頃はこのお店が大好きだった。学校が終わるとすっ飛んで帰ってきて、ランドセルを二階の居住スペースに放って降りてくると店の中をちょろちょろするのがわたしの日課で、もちろん父には邪魔だと叱られるのだけれど、常連のお客さんが娘や孫みたいに可愛がってくれるものだから強くは言えない。結果、小さな看板娘というか、客寄せパンダ的な存在としてわたしは無意識に家業の助けをしていたようだ。こじんまりとした店内には真新しい生地と糊の匂いがして、抑えた照明のもとで姿見に映る自分の姿は、毎日見ているはずなのにどこか不思議の国に紛れ込んだような、自分が自分でないような気がしたものだ。
自分の『交友関係』の特殊性を自覚しだしたのは、ようやく小学校も高学年になってからだったろうか…。それまでにはいろいろ笑い話もあった。たとえばKさんという古くからうちの店を贔屓にしてくださるお客さんがいて、わたしはずいぶんその方に可愛がっていただいたものだった。おそらく小学一年生くらいだったか、遠足だか社会科見学だかで国会議事堂を訪れたときのこと、通路で案内係のおじさんの説明を聞いていると、向こうから朱色の絨毯の上をぞろぞろ歩いてくるスーツ姿の一団があった。その先頭を速足で往く人物を見かけたわたしは、思わず「おじちゃん! Kおじちゃん!」と大きな声をかけた。「やあ! みゆきちゃんじゃないか」と足を止めたKさんは周りの制止も構わず規制のロープをひょいと越えてきてくれた。そして「また大きくなったねえ」とわたしを抱き上げてくれたのである。「ここでなにしてるの?」とわたしは訊ねた。「お仕事をしているんだよ」とKさんは微笑んで答える。周りのスーツ姿の人たちはにこにこしていたのだが、担任の先生の顔がサッと青ざめたのをよく覚えている。家に帰って両親にその話をすると、「おまえ、天下の国会で総理大臣つかまえて『ここでなにしてるの?』はねえだろ」と叱られた。
学校にも友達はいたけれど、わたしにはお店に来てくれる『友達』のほうがなんだか一緒にいて楽しかった(たまにこっそりお小遣いをくれたりするし)。政界、財界、芸能界、それから大きな声では言えないけど裏社会なんかも…。生き馬の目を抜くような世界でそれぞれ第一線で戦っている人間が発するエネルギー、色気。子どもだっただけに、わたしはそういうオーラみたいなものを素直に感じ取っていたのかもしれない。
つづく